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中出 三也(なかで さんや、1897年 - 1971年)[1]は、日本の画家。
東京出身[1]。商業高校卒業後、岡田三郎助の本郷洋画研究所で学んだ[1]。1917年に院展で初入選した[1]。1928年には帝展に初入選した[1]。後に新文展でも入選した[1]。
1936年ベルリンオリンピックの芸術競技の絵画種目に、「自転車練習」という題名の作品を出品した[2]。
戦後は三重県松阪市に転居し、そこで死去した[1]。
同じく画家の甲斐仁代と共に生活していた[1]。