中代豊治郎
中代 豊治郎 | |
---|---|
生誕 |
1887年1月29日 日本 兵庫県 |
死没 | 1964年9月2日(77歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 |
1910年 - 1944年 1945年 |
最終階級 | 陸軍少将 |
中代 豊治郎(なかしろ とよじろう、1887年(明治20年)1月29日[1] - 1964年(昭和39年)9月2日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。
経歴
[編集]1887年(明治20年)に兵庫県で生まれた[1]。陸軍士官学校第22期卒業[2]。1935年(昭和10年)3月に独立守備歩兵第4大隊長に就任し[3]、1936年(昭和11年)8月に陸軍歩兵大佐に進級[3]。1937年(昭和12年)3月に第4師団司令部附となり、大阪商科大学に配属された[3]。1938年(昭和13年)に甲府連隊区司令官に転じ[3]、1939年(昭和14年)に第6独立守備隊長を経て[3]、1940年(昭和15年)3月に独立混成第10旅団司令部附となる[3]。
同年8月1日に陸軍少将進級と同時に留守第1師団司令部附となり[1][3]、1941年(昭和16年)4月1日に留守近衛師団司令部附を経て[1]、8月15日に留守近衛師団兵務部長に着任[1]。12月1日に留守第19師団兵務部長に転じ[1]、第19師団司令部附を経て[4]、1943年(昭和18年)6月に第37歩兵団長(第1軍・第37師団)に着任し、北支に出動[2]。1944年(昭和19年)1月10日に独立歩兵第3旅団長に転じ[1]、7月14日には同旅団を改編した第114師団長心得に就任し[1][2]、臨汾周辺の警備に当たった[2]。同年10月26日に中部軍司令部附となり[5]、12月1日に待命[6]、12月2日に予備役に編入された[2]。1945年(昭和20年)2月22日に召集され、北部軍管区兵務部長に着任[7]。3月31日には札幌連隊区司令官兼札幌地区司令官に就任した[8]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[9]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 福川 2001, 515頁.
- ^ a b c d e 福川 2001, 516頁.
- ^ a b c d e f g 外山 1981, 284頁.
- ^ 「第107号 昭和18年6月11日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120890900
- ^ 「第221号 昭和19年10月26日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120923500
- ^ 「第252号 昭和19年12月2日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120926900
- ^ 「第39号 昭和20年2月22日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120934200
- ^ 「第74号 昭和20年3月31日 陸軍異動通報」 アジア歴史資料センター Ref.C12120937900
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」106頁。
参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。