並木弘道
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Hiromichi NAMIKI | |
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基本情報 | |
名前 | 並木 弘道 |
没年月日 | 2013年12月5日(55歳没) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都 |
経歴 |
並木 弘道(なみき ひろみち、1958年2月15日 - 2013年12月5日)は、東京都出身[1]のプロゴルファー。
来歴
[編集]所属していた国際商科大学ゴルフ部は関東学生連盟リーグ戦Aブロックではなかったが、並木は実力があったため個人戦には出場していた[2]。
1987年には札幌とうきゅうオープンで高橋勝成・須貝昇・渡辺司と並んでの5位タイ[3]、1988年にはテーラーメイド瀬戸内海オープンで鈴木豊・入江勉・川俣茂・中村忠夫と並んでの9位タイ[4]に入った。
1990年には後楽園カップ(第5回)で優勝し[5]、1999年のフジサンケイクラシック[6]を最後にレギュラーツアーから引退。
2005年には北見オープン・プロの部ですし石垣・日下部光隆・上原宏一と並んでの8位タイに入り、2009年には同大会シニアの部でプレーオフの末に優勝[7]。
2006年にはプロ、研修生のミニツアー「ATPツアー」の男子賞金ランキングで3位に入る[8]。
2009年には中国・上海で行われたHANDA CUP INTERNATIONALに中山徹・横山明仁と共に出場し、69をマークして優勝[9]。
2010年からは東京国際大学ゴルフ部監督に就任し、6ブロックある関東大学リーグのF、E、Dブロックでそれぞれ優勝させ、Cブロック対抗戦で準優勝させるほどの実績[10]を挙げたが、体調を崩し長期療養を送る[2]。並木は顧問となり、後任には湯原信光が就任[2]。
2013年12月5日午後3時、原発不明癌のため千葉県木更津市の病院で死去。享年55歳[1]。
主な優勝
[編集]- レギュラー
- 1990年 - 後楽園カップ(第5回)
- シニア
- 2009年 - HANDA CUP INTERNATIONAL、北見オープン・シニアの部
脚注
[編集]- ^ a b “プロゴルファー並木弘道氏ががんで死去”. www.nikkansports.com. 2024年3月15日閲覧。
- ^ a b c “機は熟した。”. yuhara32.jp. 2024年3月15日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード 札幌とうきゅうオープン 1987 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年3月15日閲覧。
- ^ 朝日新聞縮刷版p1285 昭和63年3月28日朝刊23面「スミス逆転優勝 瀬戸内海オープン」
- ^ “ABEMAツアー スケジュール 1990 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年3月15日閲覧。
- ^ “並木 弘道選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年3月15日閲覧。
- ^ “競技成績”. www.golf-okamura.com. 2024年3月15日閲覧。
- ^ “無題”. www.atp-golf.com. 2024年3月15日閲覧。
- ^ “2009 HANDA CUP INTERNATIONAL(上海) – NPO法人日本ゴルフ大学校”. npo-jgc.jp. 2024年3月15日閲覧。
- ^ “東京国際大学ゴルフ部監督就任=湯原信光”. tiu-aa-shizuoka.org. 2024年3月15日閲覧。