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世田谷区立三宿中学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
世田谷区立三宿中学校
地図北緯35度38分45秒 東経139度40分40秒 / 北緯35.64573度 東経139.67787度 / 35.64573; 139.67787座標: 北緯35度38分45秒 東経139度40分40秒 / 北緯35.64573度 東経139.67787度 / 35.64573; 139.67787
過去の名称 世田谷区立新星中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 世田谷区
設立年月日 1948年4月1日(新星中学校として)
2004年4月1日
創立記念日 6月1日(新星中学校時代は10月20日)
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C113211200278 ウィキデータを編集
所在地 154-0004
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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世田谷区立三宿中学校(せたがやくりつ みしゅくちゅうがっこう)は、東京都世田谷区太子堂にある中学校である。2004年世田谷区立新星中学校と世田谷区立池尻中学校が合併し開校した[1]

概要

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1948年(昭和23年)4月1日、現在世田谷区立三軒茶屋小学校(三軒茶屋2-42-1)の場所にあった区立駒留中学校の教室を間借りする形で、新星中学校として開校。

同年秋、通学距離があまりにも遠いという三宿、駒繁両小学校のP.T.Aの要望等により、現在本校のある太子堂に移転。敷地は、旧近衛野砲連隊の跡地を旧大蔵省から借用。後に同敷地内東側に東京朝鮮第八初級学校(現在閉校)、北側に国家公務員太子堂宿舎も建設される。

開校当時、木造の旧兵舎を校舎として使用したり、また連隊跡地のコンクリートを地域住民、保護者、教員、生徒が掘り起こしてグラウンドにする作業をし、生徒が定期的に石を拾うなど、皆の力が一体となり作り上げた。敷地内にはコスモスが咲き、新星中学時代の校歌、校章にはそのコスモスが象徴に使われていた。

中学校夜間学級(夜間中学)の設置校である、現在、12都府県に36校(2021年4月現在)が設置されている[2]

池尻中学校との分割

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昭和20年代後半、全校生徒数が1300名を超えるマンモス校となり、1955年(昭和30年)4月1日近隣に新設された池尻中学校へ学区を分割し移管する。

池尻中学校の廃校と合併

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世田谷区教育委員会では、1998年(平成10年)7月に世田谷区立小・中学校適正配置等審議会より「世田谷区立小・中学校の適正規模及び適正配置等についての基本的な考え方並びに具体的方策について」の答申を受け、2000年(平成12年)9月には「世田谷区立小・中学校の適正規模及び適正配置等具体的な方策について」を取りまとめ、新星中と池尻中を統合する計画を明らかにした。[3]

これは近年、少子化に伴い池尻中学校の全校生徒数が100名前後、1学年の学級数が1クラスだけの学年が出現する程まで減少し、学校規模の縮小が廃校の理由。 池尻中学校廃校後の2015年、文部科学省は公立小中学校の統廃合に関する基準を見直し、中学校はクラス替えのできない、総クラス3学級以下で、統廃合を含めた検討を自治体に求めることを明らかにしている。[4] 池尻中学校との統合は、1955年に新星中学から学区を分離して以来、49年ぶりである。

沿革

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新星中学校として

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校名は三駒、三宿、冨士見、新星、等多くの候補があったが、戦後の復興にあたり大きな希望と未来を託す意味で新星中学校と決定した。

  • 1948年(昭和23年)4月1日 - 世田谷区三軒茶屋2-42-1の旧世田谷区立駒留中学校(現在の三軒茶屋小学校)校舎内の5教室を借り、開校。生徒1年生・293名、5学級。初代校長=天生目倉吉。
  • 同年9月30日 - 現在、校舎のある場所に第1期の新築校舎、8教室、用務員室、宿直室、トイレ、工事竣工。
  • 同年10月6日 - 旧駒留中学校から、現在の場所へ生徒、職員一同が机、椅子を運び新校舎へ移動。
  • 同年10月15日 - 第1期工事新築校舎落成式挙行。10月20日を開校記念日と決定。
  • 1949年(昭和24年)4月11日 - 第2期生入学式。339名入学。
  • 1950年(昭和25年)4月10日 - 第3期生入学式。361名入学。
  • 1950年(昭和25年)11月15日 - 校歌制定
  • 1951年(昭和26年)4月7日 - 入学式。310名入学。
  • 1954年(昭和29年)5月1日 - 都内で7番目となる夜間学級併設。職員4名、生徒15名。
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 学区内に世田谷区立池尻中学校が開校し、本学区の一部が移管。
  • 1969年(昭和44年)9月21日 - 木造第一校舎より出火。2教室焼失。
  • 1970年(昭和45年)4月6日 - 制服が詰め襟から背広に切替。
  • 1974年(昭和49年)5月 - 給食開始
  • 1978年(昭和53年)9月10日 - テニスコート改修工事終了。
  • 1983年(昭和58年)10月 - 体育館プール等増改築工事着工。
  • 1984年(昭和59年)3月16日 - 体育館、格技室、クラブハウス、図書館、音楽室、プール、テニスコート新築落成式。
  • 1990年(平成2年)8月31日 - パソコン室・カウンセリング室完成
  • 1992年(平成4年)9月1日 - 学校週5日制(毎月1回・第2土曜日休み)開始
  • 1995年(平成7年)4月1日 - 学校週5日制(毎月2回)開始
  • 2000年(平成12年)9月 - 新星中、池尻中の統合計画を策定
    • 11月 保護者や地域住民への周知(パンフレット、せたがやの教育)説明会の開催(11月~1月)※関係4小学校保護者含む
  • 2001年(平成13年)4月 - 両中学校に統合協議会を設置、開催(第1回)
    • 5月 - 両中学校で統合協議会を開催(第2回)
    • 6月 - 両中学校で統合協議会を開催(第3回)
    • 7月 - 合同統合協議会の開催及び、統合計画どおり学校統合を進めることとし、新校開設に向けた具体的な検討をさらに進めるため新校準備会を設置、開催(第1回)
    • 10月 - 新校準備会(第2回)の開催
    • 12月 - 新校名を生徒や保護者、地域住民から募集
  • 2002年(平成14年)3月14日 - 給食棟改修工事完了
  • 2002年(平成14年)3月 - 新校準備会(第3回)の開催
    • 7月 - 新校準備会(第4回)の開催。新星中学校の第1期大規模改修工事開始(工期:~2015年3月)
    • 10月 - 新入学生及び保護者説明会に合わせて新校の標準服案の展示会を実施。新校準備会(第5回)の開催
    • 11月 新校準備会から新校名「三宿中学校」を提案
  • 2003年(平成15年)2月 - 校歌に盛り込みたい言葉と校章デザインを募集
    • 3月 - 新校準備会(第6回)の開催
    • 4月 - 自校調理による給食試食会を実施
    • 6月 - 新校準備会(第7回)の開催
    • 7月 - 校章図案について生徒アンケートを実施。新星中学校の第2期大規模改修工事開始(工期:~2015年2月)。新校準備会(第8回)の開催
    • 9月 - 第3回区議会定例会で学校設置条例の一部を改正する条例を可決
    • 10月 - 三宿中学校説明会(第1回)を実施(在校生保護者、新入生等)新校準備会(第9回)の開催
  • 2004年(平成16年)2月 - 三宿中学校説明会(第2回)を実施(在校生、新入生保護者等)都教育委員会へ学校設置届及び廃止届を提出。新校準備会(第10回)の開催
    • 3月 - 両中学校1・2年生に三宿中学校標準服を配布。新星中学校及び池尻中学校閉校式を開催
    • 3月31日 - 新星中学校として55年の歴史を経て閉校。総卒業生13500名(昼夜間合計)、総勤務者512名(昼間436名、夜間76名)

三宿中学校として

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  • 2004年(平成16年)4月1日 - 世田谷区立新星中学校の施設を引き継ぎ、世田谷区立池尻中学校と統合し、三宿中学校として開校。開校式及び第1回入学式を開催。

部活動

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通学区域

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  • 太子堂1丁目全域
  • 太子堂2丁目1~13番、32~38番
  • 池尻1~3丁目全域
  • 三軒茶屋1丁目全域
  • 下馬1丁目全域、
  • 下馬2丁目6~44番
  • 下馬3丁目26~31番、33~38番
  • 下馬5丁目35~41番
  • 三宿1丁目全域

在校生の主な出身小学校

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  • 三宿小学校
  • 駒繋小学校
  • 中里小学校
  • 池尻小学校

歴代校長

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歴代校長一覧(三宿中学校)
氏名 着任年月日
初代 中野義邦 2004年(平成16年)4月1日~
2代 岡部正直 2006年(平成18年)4月1日~
3代 岩崎正道 2010年(平成22年)4月1日~
4代 牧野英一 2014年(平成26年)4月1日~
5代 濱川一彦 不明

入学卒業者数

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入学卒業者数偏移(新星中学校時代)
入学者 卒業者
年度 人数 年度 人数 入学卒業者の生年度
1948(昭和23) 293 1950(昭和25) 283 1935(昭和10)
1949(昭和24) 339 1951(昭和26) 381 1936(昭和11)
1950(昭和25) 361 1952(昭和27) 367 1937(昭和12)
1951(昭和26) 310 1953(昭和28) 290 1938(昭和13)
1952(昭和27) 418 1954(昭和29) 408 1939(昭和14)
1953(昭和28) 429 1955(昭和30) 437 1940(昭和15)
1954(昭和29) 510 1956(昭和31) 506 1941(昭和16)
1955(昭和30) 229 1957(昭和32) 228 1942(昭和17)
1956(昭和31) 401 1958(昭和33) 376 1943(昭和18)
1957(昭和32) 339 1959(昭和34) 321 1944(昭和19)
1958(昭和33) 238 1960(昭和35) 223 1945(昭和20)
1959(昭和34) 295 1961(昭和36) 280 1946(昭和21)
1960(昭和35) 411 1962(昭和37) 394 1947(昭和22)
1961(昭和36) 384 1963(昭和38) 362 1948(昭和23)
1962(昭和37) 347 1964(昭和39) 329 1949(昭和24)
1963(昭和38) 280 1965(昭和40) 273 1950(昭和25)
1964(昭和39) 216 1966(昭和41) 228 1951(昭和26)
1965(昭和40) 209 1967(昭和42) 204 1952(昭和27)
1966(昭和41) 194 1968(昭和43) 192 1953(昭和28)
1967(昭和42) 202 1969(昭和44) 211 1954(昭和29)
1968(昭和43) 189 1970(昭和45) 188 1955(昭和30)
1969(昭和44) 211 1971(昭和46) 209 1956(昭和31)
1970(昭和45) 228 1972(昭和47) 204 1957(昭和32)
1971(昭和46) 228 1973(昭和48) 213 1958(昭和33)
1972(昭和47) 228 1974(昭和49) 217 1959(昭和34)
1973(昭和48) 214 1975(昭和50) 218 1960(昭和35)
1974(昭和49) 247 1976(昭和51) 248 1961(昭和36)
1975(昭和50) 224 1977(昭和52) 233 1962(昭和37)
1976(昭和51) 230 1978(昭和53) 223 1963(昭和38)
1977(昭和52) 260 1979(昭和54) 263 1964(昭和39)
1978(昭和53) 274 1980(昭和55) 263 1965(昭和40)
1979(昭和54) 245 1981(昭和56) 235 1966(昭和41)
1980(昭和55) 258 1982(昭和57) 255 1967(昭和42)
1981(昭和56) 251 1983(昭和58) 252 1968(昭和43)
1982(昭和57) 259 1984(昭和59) 252 1969(昭和44)
1983(昭和58) 256 1985(昭和60) 253 1970(昭和45)
1984(昭和59) 253 1986(昭和61) 251 1971(昭和46)
1985(昭和60) 235 1987(昭和62) 231 1972(昭和47)
1986(昭和61) 240 1988(昭和63) 246 1973(昭和48)
1987(昭和62) 225 1989(平成1) 229 1974(昭和49)
1988(昭和63) 180 1990(平成2) 185 1975(昭和50)
1989(平成1) 142 1991(平成3) 135 1976(昭和51)
1990(平成2) 157 1992(平成4) 150 1977(昭和52)
1991(平成3) 153 1993(平成5) 147 1978(昭和53)
1992(平成4) 113 1994(平成6) 112 1979(昭和54)
1993(平成5) 102 1995(平成7) 103 1980(昭和55)
1994(平成6) 110 1996(平成8) 100 1981(昭和56)
1995(平成7) 99 1997(平成9) 100 1982(昭和57)
1996(平成8) 92 1998(平成10) 88 1983(昭和58)
1997(平成9) 105 1999(平成11) 106 1984(昭和59)
1998(平成10) 87 2000(平成12) 87 1985(昭和60)
1999(平成11) 86 2001(平成13) 84 1986(昭和61)
2000(平成12) 74 2002(平成14) 75 1987(昭和62)
2001(平成13) 94 2003(平成15) 95 1988(昭和63)
2002(平成14) 65 1989(平成1)
2003(平成15) 84 1990(平成2)

※1955(昭和30)年度に入学者数が激減しているのは、この年度より本学区の一部を池尻中学へ移管した為である。

著名な卒業生

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アクセス

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校歌

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作詞 校歌制定委員会 作曲 太田俊彌 補作 宮下洋

脚注

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外部リンク

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