与論城
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与論城 (鹿児島県) | |
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城郭構造 | 山城 |
天守構造 | なし |
築城主 | 王舅(与論世之主) |
築城年 | 1405年頃 - 1416年 |
廃城年 | 1416年 |
遺構 | 曲輪、石垣 |
指定文化財 | 町指定史跡 |
位置 | 北緯27度01分38.8秒 東経128度25分45.1秒 / 北緯27.027444度 東経128.429194度座標: 北緯27度01分38.8秒 東経128度25分45.1秒 / 北緯27.027444度 東経128.429194度 |
地図 |
与論城(よろんじょう/よろんぐすく)は、南西諸島与論島の鹿児島県大島郡与論町大字立長にあった北山王国の城跡。与論町指定史跡に指定され[1]、国の史跡への指定が答申されている(官報告示を経て正式指定となる)[2]。
概要
[編集]島の南西隅側で、南方向に突き出した標高90メートルほどの台地上を曲輪とする。西側は天然の断崖をそのまま城壁とし、北側から南東側は200メートルに渡り石垣を築いている。石垣の形状は伏せる龍を象ったものとされる[1]。
1405年-1416年頃、北山王・珉の三男[注釈 1]「王舅(オーシャン)」または「与論世之主[1]」と言う人物が与論に渡り、築城したとされる[3]。王舅は個人名ではなく、中国への使者の役職名ではないかとする説がある[4]。しかし築城中の1416年に本国の北山が中山王・尚巴志に滅ぼされたため、未完成に終わったという[3]。現在は、地主神社(とこぬしじんじゃ)・琴平神社(ことひらじんじゃ)の境内となり、王舅の墓がある。1976年(昭和51年)2月20日に町指定史跡になった[1]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 現地解説板より。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 野口才蔵 編著 1976『南島与論島の文化』pp.87
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 「文化財 史跡を訪ねる」与論町公式HP