下川誠吾
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名前 | ||||||
愛称 | シモ | |||||
カタカナ | シモカワ セイゴ | |||||
ラテン文字 | SHIMOKAWA Seigo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1975年11月17日(49歳) | |||||
出身地 | 兵庫県尼崎市 | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 78kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1991-1993 | 北陽高校 | |||||
1994-1995 | 桃山学院大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1996-2003 | セレッソ大阪 | 171 | (0) | |||
2004-2005 | 川崎フロンターレ | 6 | (0) | |||
2006-2010 | 大分トリニータ | 65 | (0) | |||
通算 | 242 | (0) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
下川 誠吾(しもかわ せいご、1975年11月17日 - )は、兵庫県尼崎市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー。
人物
[編集]中学生の時にサッカーを始める[1]。その後は北陽高校を経て、桃山学院大学に進学し体育会サッカー部に入部。2年次(1995年)の夏にセレッソ大阪の練習に参加し[1]、翌1996年にC大阪に加入した。武田治郎や武田亘弘らを抑え、110試合連続先発出場を果たすなど[1] 長年正GKを務めていたが、2003年途中から若手の多田大介の台頭により出場機会が減少。シーズン終了後に戦力外通告を受け、C大阪を退団した[1]。
2004年、川崎フロンターレへ移籍[2]。同年は終盤に吉原慎也に代わってレギュラーとなった。J1昇格した2005年は開幕戦含め3試合連続で先発起用されたが、第4節以降は相澤貴志が正GKとなり、その後はリーグ戦の出場機会は無かった。契約満了により同年を以て川崎を退団[3]。
2006年、西川周作以外のGKが全て退団していた大分トリニータに移籍[4]。同年は控えとしてのベンチ入りが中心であったが、シーズン終盤に西川が負傷離脱しリーグ戦4試合に出場した。2007年は西川の負傷やそれに伴うコンディション不良もあって、レギュラー奪取に成功し23試合に出場した。
2008年の序盤はカップ戦要員で、リーグ戦では中々出場機会を得られずにいたが、西川の北京オリンピック代表選出後はその代役を務め、五輪終了後の9月13日の浦和レッズ戦で西川が負傷離脱[5] すると、以降は正GKを務めた。11月1日の清水エスパルスとのナビスコ杯決勝にも出場し、無失点に抑え優勝に貢献した。
2009年はリーグ戦は西川が全試合フル出場を果たした為プロ1年目以来の出場無しに終わり、ナビスコ3試合・天皇杯1試合の出場にとどまった。ただ、天皇杯2回戦横河武蔵野FC戦ではPK戦にて3本のシュートを止める活躍を見せ、勝利の立役者となった[6]。
J2に降格し西川がサンフレッチェ広島に移籍した2010年は、背番号を1に変更。リーグ中盤戦まで先発出場を続けるも、後半からは清水圭介の台頭により出場機会が減少。シーズン終了後に戦力外通告を受けた[7]。
同年限りで現役を引退し、ヴィッセル神戸アカデミースクールコーチに就任[8]。
所属クラブ
[編集]- ユース経歴
- 1988年 - 1990年 尼崎市立大庄東中学校
- 1991年 - 1993年 北陽高等学校
- 1994年 - 1996年 桃山学院大学
- プロ経歴
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
1996 | C大阪 | - | J | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
1997 | 23 | 17 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 19 | 0 | ||
1998 | 1 | 34 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 37 | 0 | ||
1999 | J1 | 30 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 34 | 0 | ||
2000 | 30 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 31 | 0 | |||
2001 | 17 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 22 | 0 | |||
2002 | J2 | 32 | 0 | - | 4 | 0 | 36 | 0 | |||
2003 | J1 | 11 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 | 19 | 0 | ||
2004 | 川崎 | 21 | J2 | 3 | 0 | - | 2 | 0 | 5 | 0 | |
2005 | J1 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | ||
2006 | 大分 | 16 | 5 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 7 | 0 | |
2007 | 23 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 27 | 0 | |||
2008 | 13 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 19 | 0 | |||
2009 | 0 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | |||
2010 | 1 | J2 | 24 | 0 | - | 1 | 0 | 25 | 0 | ||
通算 | 日本 | J1 | 183 | 0 | 23 | 0 | 18 | 0 | 224 | 0 | |
日本 | J2 | 59 | 0 | - | 7 | 0 | 66 | 0 | |||
総通算 | 242 | 0 | 23 | 0 | 25 | 0 | 290 | 0 |
※1996年は変動背番号制
- リーグ戦初出場 - 1997年7月16日 1st第16節 ヴィッセル神戸戦(神戸総合運動公園ユニバー記念競技場)
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- 川崎フロンターレ
- 大分トリニータ
指導歴
[編集]- 2011年 - ヴィッセル神戸
- 2011年 アカデミースクールコーチ
- 2013年 - 2016年 伊丹U-15 コーチ(GK担当)
- 2017年 - U-18 コーチ(GK担当)
脚注
[編集]- ^ a b c d “F:SPOT PICK UP PLAYER”. 川崎フロンターレ (2006年1月24日). 2018年9月20日閲覧。
- ^ “下川 誠吾選手 川崎フロンターレへ移籍決定のお知らせ”. 日本プロサッカーリーグ (2004年1月16日). 2018年9月20日閲覧。
- ^ “選手契約満了のお知らせ”. 日本プロサッカーリーグ (2005年12月2日). 2018年9月20日閲覧。
- ^ “下川誠吾選手 完全移籍での獲得のお知らせ”. 日本プロサッカーリーグ (2006年1月24日). 2018年9月20日閲覧。
- ^ “西川 周作 選手 怪我の診断結果について”. 日本プロサッカーリーグ (2008年9月21日). 2018年9月20日閲覧。
- ^ “下川が3本ストップ!大分PK戦制し3回戦へ”. ゲキサカ (2009年10月12日). 2018年9月20日閲覧。
- ^ “下川誠吾選手 契約満了のお知らせ”. 日本プロサッカーリーグ (2010年12月7日). 2018年9月20日閲覧。
- ^ “ヴィッセル神戸サッカースクールに6名の新コーチングスタッフ加入!”. 日本プロサッカーリーグ (2011年4月8日). 2018年9月20日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 下川誠吾 - Soccerway.com
- 下川誠吾 - FootballDatabase.eu
- 下川誠吾 - WorldFootball.net
- 下川誠吾 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 下川誠吾 - J.League Data Siteによる選手データ