下之郷 (上田市)
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下之郷 | |
---|---|
生島足島神社 | |
北緯36度21分47.63秒 東経138度13分1.69秒 / 北緯36.3632306度 東経138.2171361度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 長野県 |
市町村 | 上田市 |
地域 | 上田地域 |
人口 | |
• 合計 | 1,459人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
386-1211[2] |
市外局番 | 0268 (上田MA)[3] |
ナンバープレート | 長野 |
下之郷(しものごう)は、長野県上田市の地名。郵便番号は386-1211。
地理
[編集]上田市の塩田地区に属する。北は神畑、諏訪形、東は生田、南は富士山、古安曽、西は本郷、五加に隣接する。西部を上田電鉄別所線、県道上田丸子線が通じる。南部で県道塩田仁古田線が西へ分岐し、東は久保峠に通じる。三郎川右岸に市営桜団地がある。
産川支流の尾根川が形成する扇状地の扇端部にあたる[4]。生島足島神社横の十字路を中心に形成された塊村で、格子状の道路網を骨格として形成された交通の要地である[4]。
歴史
[編集]初見は天文22年(1553年)武田信玄が生島足島神社に下した安堵状に「下之郷上下社」とあるもので[5]、上本郷(現・本郷)に相対する地名と考えられる[5]。生島足島神社から東方約1kmの東山古墳群は6世紀の造築とされ、ほぼ完全に残るもののうちの最大のものは「他田塚」といい、科野国造後裔の他田氏との関連が指摘される[4]。
沿革
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、小県郡下之郷・古安曽村が合併し東塩田村となり、その大字となる。
- 1949年(昭和24年)9月1日 - 東塩田村・富士山村が合併し、改めて東塩田村が発足。
- 1956年(昭和31年)5月1日 - 西塩田村・別所村・中塩田村と合併して塩田町が発足。同日東塩田村廃止。
- 1970年(昭和45年)4月1日 - 上田市に編入。同日塩田町廃止。上田市下之郷となった。
世帯数と人口
[編集]2021年(令和3年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
下之郷 | 745世帯 | 1,459人 |
人口の変遷
[編集]2005年(平成17年) | 1,686人 | [6] | |
2010年(平成22年) | 1,564人 | [6] | |
2015年(平成27年) | 1,509人 | [6] |
交通
[編集]施設
[編集]- 生島足島神社
- 長野大学
- 上田女子短期大学
- 上田リサーチパーク
- 上田市マルチメディア情報センター
- 長野県工科短期大学校
- 上田市自然運動公園
- 東塩田郵便局
小・中学校の学区
[編集]市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
地区 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
下之郷 | 上田市立東塩田小学校 | 上田市立塩田中学校 |
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会・竹内理三編『角川日本地名大辞典 20 長野県』角川書店、1990年7月18日。ISBN 4040012003
- 『日本歴史地名大系 20 長野県の地名』平凡社、1979年11月25日。ISBN 4582490204