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上杉憲孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
上杉憲孝
時代 南北朝時代 - 室町時代初期
生誕 正平21年/貞治5年(1366年
死没 応永元年(1394年)?
幕府 室町幕府 関東管領
氏族 山内上杉家宅間上杉家
父母 父:上杉憲方、養父:上杉能憲
兄弟 憲孝房方憲定憲重
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上杉 憲孝(うえすぎ のりたか)は、南北朝時代から室町時代前期にかけての武将関東管領

略歴

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正平21年/貞治5年(1366年)、上杉憲方の子として誕生。伯父・上杉能憲の養嗣子となって宅間上杉家の家督を継いだ。小山若犬丸の反乱鎮圧など実父・憲方に従って多くの戦功を挙げ、元中9年/明徳3年(1392年)に実父の後を受けて関東管領に就任した。しかし応永元年(1394年)11月、病のために管領職を辞し、まもなく死去した。

子がなく、関東管領は上杉朝宗が就任、宅間上杉家は上杉重能の弟・重兼の子孫が継承した。

なお、憲孝の関東管領の在任期間中に発給文書が確認できず、関東管領就任の事実を否定する説もある[1]

脚注

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  1. ^ 小要博「関東管領補任沿革小稿-その(二)-」 芥川龍男編『日本中世の史的展開』 文献出版、1997