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上の台

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上の台
上の台の山頂からの眺望。天候の良い日は島根半島、隠岐の島が見える。
標高 331 m
所在地 島根県安来市
位置
上の台の位置(日本内)
上の台
北緯35度18分35秒 東経133度15分33秒 / 北緯35.30972度 東経133.25917度 / 35.30972; 133.25917座標: 北緯35度18分35秒 東経133度15分33秒 / 北緯35.30972度 東経133.25917度 / 35.30972; 133.25917
プロジェクト 山
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上の台(うえのだい)は、島根県安来市にある標高330mの山。日本神話において伊邪那美命が葬られたとされる比婆山と対峙する山である。

神話

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古事記において「かれその神避りし伊邪那美の神は、出雲の国伯伎の国(伯耆の国)の堺、比婆の山に葬りき」と記される。伊邪那美命(イザナミ)の神陵地は本居宣長の『古事記伝』の記述によれば出雲と伯耆の境にある島根県安来市比婆山とされ、上の台はその比婆山と共に古来より鶴山亀山としての山容が伝えられ、山頂付近には日向尾根古墳群が存在するなど比婆山とは深い関係にある。

比婆山の伊邪那美命御神陵を遥拝するのに適した場所であり、東に大山・北に中海を望み、島根半島を一望できる。上の台はかつて神の台とも呼ばれていた説がある。

日向尾根古墳群

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日向尾根古墳群は標高約320 ~ 330m という高所に築かれた9基からなる古墳群で小型ながら前方後円墳を2基築かれている。この古墳群が築造された時期は、小型ながら2基の前方後円墳が築かれ、そのいずれも横穴式石室を主体部に持つことから、古墳時代後期・6世紀中葉~後葉にかけてと推定されている。また、上の台地区としては前方後円墳3基を含む40基近い古墳群が確認されている。山頂から1km程南下した月坂という場所には縄文時代の遺跡(月坂遺跡)がある。

比婆山の伊邪那美命御神陵と同様に高所にもかかわらず各尾根上に数基からなる古墳群が築造され、周辺地域と比較して古墳の築造密度が非常に高い特性から古墳時代後期の中心地をなすかのような有様であるが、この地域での調査例及び報告がないので未だ明らかとなっていない。

交通

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参考文献

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  • 安来市内遺跡調査報告書 安来市教育委員会(2011)
  • 岩屋谷古墳群他発掘調査 伯太町教育委員会(1981)

関連

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外部リンク

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