三重県南部集中豪雨
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発災日時 |
1971年9月9日〜9月10日 |
---|---|
被災地域 | 三重県南部 |
災害の気象要因 | 大雨(前線) |
気象記録 | |
最多雨量 | 尾鷲で1,095 mm |
最多時間雨量 | 尾鷲で92 mm |
人的被害 | |
死者 |
41人 |
行方不明者 |
1人 |
負傷者 |
39人 |
建物等被害 | |
損壊 |
79棟 |
床上浸水 |
459棟 |
床下浸水 |
741棟 |
浸水 |
1,200棟 |
出典: 理科年表・津地方気象台 |
三重県南部集中豪雨(みえけんなんぶしゅうちゅうごうう)とは[1][2]、1971年9月9日から翌10日にかけて三重県南部を襲った豪雨災害のことである。三重県南部の尾鷲市や熊野市などで甚大な土砂災害が発生し[3][4]、42人が犠牲になった[5]。
概要
[編集]この年は、紀伊半島を横断した台風23号の影響などで8月30日に尾鷲で513ミリの降雨があり、さらに9月に入ってからも雨天が続いていたところで、台風25号が通過した後、前線が北上して活発化し、発災前後の3日間だけでも、尾鷲測候所で1095ミリと、年間降水量(約4,000ミリ)のおよそ4分の1が一挙に降ることになった[3][6]。
三重県南部(尾鷲市や熊野市など)を襲ったこの集中豪雨による土砂災害は、死者・行方不明者42人、負傷者39人の被害を出した[3][5]。特に、尾鷲市賀田町の小浜川や古江町のおぶこ川で発生した土石流は、甚大な被害をもたらし、それぞれ13人の死者を出した[3][7][8]。
記録
[編集]被害
[編集]遺されたもの
[編集]尾鷲市賀田町の東禅寺には、死者13名、流失家屋26戸の被害を出した当地の土石流災害を記録した自然災害伝承碑である「遭難之碑」がある[13]。
災害から50年となった2021年には、尾鷲市古江町で慰霊祭がおこなわれた[14]。
脚注
[編集]- ^ 豪雨による山地被害 昭和46年台風23号および9月9~10日三重県南部集中豪雨の場合 - CiNii Research
- ^ “昭和46年9月10日の「三重県南部集中豪雨」による被害者に対する市税減免に関する条例”. www1.g-reiki.net. 昭和46年10月30日 条例第24号. 2024年10月14日閲覧。
- ^ a b c d 「社説「三重南部集中豪雨から50年」」『太平洋新聞DIGITAL』紀南新聞社/紀勢新聞、2021年8月28日。2024年10月9日閲覧。
- ^ “南部集中豪雨50年「伝承は遺族の責務」尾鷲で慰霊祭 (三重)”. 毎日新聞. 2024年10月13日閲覧。
- ^ a b みえの砂防 (PDF) 三重県 (P.6) [1]
- ^ “尾鷲市 / 三重県南部集中豪雨(S46) 災害発生状況”. www.komeri-npo.org. NPO法人 コメリ災害対策センター. 2024年10月14日閲覧。
- ^ 「1 文献名 『百年史 賀田小学校』 (PDF)」みえ防災・減災アーカイブ。2024年10月9日閲覧。
- ^ “尾鷲市 / 三重県南部集中豪雨(S46) 被害状況”. www.komeri-npo.org. NPO法人 コメリ災害対策センター. 2024年10月14日閲覧。
- ^ a b 三重県における主な気象災害 (PDF) 津地方気象台
- ^ 過去の洪水災害 (PDF) 三重県
- ^ “「逃げて生きて」今も教壇から 三重県南部豪雨で家族失った米倉さん”. 中日新聞Web. 2024年10月13日閲覧。
- ^ 理科年表・津地方気象台
- ^ 「自然災害伝承碑の取組(中部地測)」国土交通省国土地理院。2024年10月9日閲覧。
- ^ 「「三重南部集中豪雨」から50年、尾鷲市古江地区で初の慰霊祭」中京テレビNEWS/YouTube、2021年9月10日。2024年10月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 国立天文台『理科年表 2021年』丸善、気176(354)頁。ISBN 978-4-621-30560-7。
- 津地方気象台. “三重県における主な気象災害 (1945年以降)”. 2024年10月13日閲覧。
外部リンク
[編集]- 悲しみの集中豪雨 忘れ得ぬ九月十日の記憶 尾鷲市立輪内中学校 - 当時の体験者の文集
- 尾鷲市/三重県南部集中豪雨 - NPO法人コメリ災害対策センター