三重カンツリークラブ
三重カンツリークラブ Mie Country Club | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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所在地 |
日本 三重県三重郡菰野町大字千草7190番地 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
概要 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
開業 | 1960年(昭和年)10月2日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営 | メンバーシップコース | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
設計 | 保田 与天 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営者 | 株式会社 三重カンツリークラブ | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コース | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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その他 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公式サイト | 三重カンツリークラブ |
三重カンツリークラブ(みえカンツリークラブ)は、 三重県三重郡菰野町にあるゴルフ場である。
概要
[編集]三重県三重郡菰野町大字千草は、戦前、陸軍千草演習場で、戦後、演習場は地元の菰野町に払下げられ、菰野町千種財産区が生まれた[1]。1957年(昭和32年)、菰野町役場、千種財産区管理会、三重交通株式会社の間で財産区の売買、賃貸借契約が結ばれ、それに伴ってゴルフ場計画が持ち上がった[1]。
翌1958年(昭和33年)5月15日、ゴルフ場の設計測量のため、菰野町にコース設計者の保田与天が助手の吉田雄を伴って訪れた[1]。コースの建設予定地の千種財産区は、標高1200メートルの鈴鹿山脈の主峰・御在所岳を背景に伊勢湾が遠望でき、域内を三滝の渓流がめぐる芦刈場だった[1]。
1959年(昭和34年)2月6日、新たなゴルフ場の建設に向けて経営母体「株式会社三重カンツリークラブ」が設立され、三重交通社長の阿部正敏が社長に就任した[1]。1960年(昭和35年)7月20日、先行して進めていたコースの造成工事が完成した[1]。正式開場前に、ゴルフ場運営をプライベート制にするかパブリック制かが検討され、保田与天が「川奈ホテルゴルフコース(1928年(昭和3年)開場、設計・大谷光明、C・H・アリソン)に習って少数の会員を募集、運営の主体を置くべき」と強調し、セミパブリックのリゾートコースに決まった[1]。
1959年(昭和34年)11月3日、クラブ名称「湯の山ゴルフ倶楽部」が発足された[1]。1960年(昭和35年)10月2日、正式開場された。保田与天が名誉書記に就任し、運営を担当することになった[1]。1966年(昭和41年)、クラブ名称の湯の山ゴルフ倶楽部を「三重カンツリークラブ」に名称変更した[1]。保田与天は、1969年(昭和44年)1月9日、80年の生涯終えるまで、三重カンツリークラブがある菰野町を離れることはなかった[1]。
所在地
[編集]〒510-1251 三重県三重郡菰野町大字千草7190番地
コース情報
[編集]- 開場日 - 1960年10月2日
- 設計者 - 保田 与天
- 面積 - 660,000m2(約19.9万坪)
- コースタイプ - 丘陵コース
- コース - 18ホールズ、パー72、6,585ヤード、コースレート71.7
- フェアウェー - コウライ
- ラフ - ノシバ
- グリーン - 2グリーン、ベント
- ハザード ^ バンカー54、池が絡むホール8
- ラウンドスタイル - キャディ・セルフ選択可、キャディ付プレーとセルフプレー混成、1組4人が原則、状況によりスリーサム・ツーサム可
- 練習場 - 20打席250ヤード
- 休場日 - 12月31日、1月1日、9月頃メンテナンス休場日有[2][3]
クラブ情報
[編集]ギャラリー
[編集]交通アクセス
[編集]鉄道
道路
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「設計者・保田与天は晩年を三重カンツリークラブで過ごしゴルフをこよなく愛した」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年5月7日閲覧
- ^ a b 「三重カンツリークラブ」、ゴルフダイジェスト、2021年5月7日閲覧
- ^ a b 「三重カンツリークラブ」、ゴルフホットライン、2021年5月7日閲覧
- ^ a b 「三重カンツリークラブ」、アクセス、2021年5月7日閲覧
関連文献
[編集]- 『ゴルフ場ガイド 西版』、2006-2007、「三重カンツリークラブ」、東京 ゴルフダイジェスト社、2006年5月、2021年5月7日閲覧
- 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である』、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、「設計者・保田与天は晩年を三重カンツリークラブで過ごしゴルフをこよなく愛した」、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2021年5月7日閲覧