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三条西公時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
三条西公時
時代 南北朝時代
生誕 暦応2年(1339年
死没 永徳3年3月11日1383年4月14日
官位 従二位権大納言
主君 光厳院光明天皇崇光天皇後光厳天皇後円融天皇後小松天皇
氏族 三条西家
父母 父:正親町三条実継、母:三条公明の娘
兄弟 正親町三条公豊公時
実清
特記
事項
三条西家の始祖
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三条西 公時(さんじょうにし きんとき)は、南北朝時代公卿内大臣正親町三条実継の子。母は権大納言三条公明[1]の娘。内大臣に至った兄公豊とは同母兄弟である。官位従二位・権大納言。

子・実清応永13年(1406年)2月16日に死去してしまったため、兄・公豊の子で当時6歳であった公保三条西家を継がせることになる。

三条西家の始祖

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祖父公秀崇光院後光厳院の外祖父となったため内大臣に昇り、父実継も内大臣に、叔父実音准大臣に、と一族は大臣家の家格を固めつつあった。そうした一家の興隆を背景に、公時は分家を立てることができた。そして、後に和歌等で名をなす三条西家の始祖となったのである。

経歴

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以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

系譜

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脚注

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  1. ^ 三条実躬の兄弟三条実仲の息男である。
  2. ^ この時、頭弁であった万里小路嗣房も参議に任ぜられている。

参考文献

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