小林のり一
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(三木のり一から転送)
こばやし のりかず 小林 のり一 | |
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本名 |
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ニックネーム | のりー |
別名義 | 三木 のり一 |
生年月日 | 1951年5月9日 |
没年月日 |
2022年7月6日(71歳没) 日本・神奈川県 |
出身地 | 日本・東京都中央区日本橋浜町 |
言語 | 日本語 |
最終学歴 | 玉川学園高等部 |
配偶者 | 美香 |
親族 |
父:三木のり平 祖母:水町庸子 |
小林 のり一(こばやし のりかず、本名:田沼 則一〈たぬま のりかず〉、1951年5月9日 - 2022年7月6日)は、日本のコメディアン・漫画家。以前は、三木のり一と名乗っていたが、結婚後改名。舞台、TV、映画、漫画、お笑いとこなすマルチ活動している。
父親の三木のり平は、昭和を代表する喜劇役者。東京都中央区日本橋浜町出身。母方の祖父は新宿末廣亭の高座上の額「和気満堂」を書いた中山呑海。息子はものつくり株式会社の田沼遊歩[1]。
人物
[編集]- 非常に特殊な世界観、雰囲気をもつ彼のお笑いセンスは、永六輔や立川談志も評価している。木村万里プロデュースのお笑いライブに出演していた。
- 赤塚不二夫とも親交があり対談をしている。
- 小学校6年生で玉川学園小学部に転校、高等部まで在籍。中学部から高等部の同級生に石川セリ、川口厚、中学部の先輩に江戸家猫八(4代目)、高等部の先輩に風間杜夫、同級生に志垣太郎[2]。
- 中学生の頃から人形町末廣に入りびたり、15歳で寄席の高座に上がる。自称・古今亭志ん生の最後の弟子[2]。
- 三木のり平がナレーションを務めていた『桃屋』のテレビCMを、のり平の死後2代目としてナレーションを務めている。
- 2022年7月6日死去、71歳没。急逝だった。亡くなる数日前に日刊ほぼイトイ新聞の特集「色物さん。」のインタビューで語ったのが最後の仕事となった[3]。訃報は、小林と親交のある記者がいる毎日新聞がいち早く報じた[4]。
- 2022年10月19日、東京・上野広小路亭で開催された桂文字助追善落語会「もう一度、文字助の話をしよう」では、2月に開催された第一回の文字助追善落語会に出演後に死去したのり一を偲ぶトークも行われた。
三木のり平との親子関係
[編集]父・三木のり平と仕事で何度も共演したが、私生活では三木は小林たちの育児に一切関わらなかったことから父子としての触れ合いはあまりなかった。本人によると「父と一緒に外出することや家族団欒で食事をした記憶も数えるほどしかなく、『おはよう』の挨拶のやり取りすらほとんどなかった。父がいつ何をきっかけに怒り出すかわからず、私や妹は腫れ物に触るようにピリピリしていた」とのこと[5]。
独立して家を出た後、1999年に三木の危篤の知らせを受けて病院に駆けつけると、病床の三木に喜劇役者として最も多忙だった昭和30年代の様子が書かれた本を朗読した。三木はこの声に耳を傾けながら懐かしそうにかすかに「うん…うん」とうなずき、これが小林の人生において父との距離が最も近づいた瞬間だったとのこと[5]。
2020年、演芸評論家の戸田学の協力により、のり一の口述の形をとり、父・三木のり平の生涯と多彩な活動をまとめた「何はなくとも三木のり平」が発行された。序文は矢野誠一、帯文は高田文夫[6]。
映画
[編集]- 姉妹坂(1985年、東宝映画) - 警官 役
- 彼のオートバイ、彼女の島(1986年、東宝 / 角川映画)
- 四月の魚(1986年、ジョイパックフィルム / ピー・エス・シー) - 助監督
- 日本殉情伝 おかしな二人 ものくるほしきひとびとの群れ(1988年、フィルムリンク・インターナショナル) - 与太 役
- 怖がる人々(1994年、サントリー / 松竹) - 弟 役
- SF サムライ・フィクション(1998年、SF製作委員会) - 按摩の市 役
- 淀川長治物語 神戸篇 サイナラ(2000年、武市プロ / PSC)
- Stereo Future SF episode 2002(2001年、SF製作委員会) - 衣装さん 役
- 理由(2004年、アスミック・エース エンタテインメント) - 出版社の編集長 役[注釈 1]
- ゲゲゲまつりだ!!五大鬼太郎(2008年、東映) - のり平鬼太郎 役(声の出演)
テレビ
[編集]- 男は度胸(1970年、NHK)- 床屋の丁稚 役
- 桃から生まれた桃太郎(1972年、NHK)- ケンネル・ボーイ 役
- 達磨大助事件帳 第6話「血染めの恋友禅」(1977年、テレビ朝日 / 前進座 / 国際放映) - 手代 役
- 結婚前夜 消えた殺人事件(1985年、フジテレビ)
- 鶴ちゃんのプッツン5(1986年 - 1994年、日本テレビ)
- TV海賊チャンネル(1984年 - 1986年、日本テレビ)
- エプロンおばさん(1983年、フジテレビ)
- シャボン玉の消えた日(1989年、日本テレビ)
- 高城剛X(1994年、テレビ東京)
- 理由(2004年、WOWOW) - 出版社の編集長 役[注釈 1]
CM
[編集]著書
[編集]- 『何はなくとも三木のり平 父の背中越しに見た戦後東京喜劇』(戸田学編、青土社、2020年)ISBN 978-4791773084
舞台
[編集]- オバラ座の怪人20面相(2004年) - 小林元少年 役 他
漫画
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 奥野 武範 (2022年5月10日). “第2回 お父さんは「小林のり一」。”. インタビューではなく、おしゃべり。. ほぼ日刊イトイ新聞. 2022年7月11日閲覧。
- ^ a b “俳優 小林のり一”. 広告ギャラリー. 懐かしののり平アニメCM スタッフインタビュー. 桃屋 (2004年3月16日). 2022年6月30日閲覧。
- ^ 奥野武範 (2022年11月7日). “特集 色物さん。004 特別出演 小林のり一(俳優・遊芸人)篇”. ほぼ日刊イトイ新聞. 2022年11月15日閲覧。
- ^ 「小林のりーさんが死去、71歳 ボードビリアン「桃屋のCM」」『毎日新聞』2022年7月8日。2022年7月8日閲覧。
- ^ a b 週刊現代5月22、29日号「昭和の怪物」研究その118・三木のり平「照れ屋だから、喜劇役者になった」p25-32
- ^ 高田文夫 (2022年7月14日). “第39回『喜劇人の子』”. 高田文夫の『おもひでコロコロ~バウバウ昼ズ編』. ニッポン放送. 2022年7月4日閲覧。
外部リンク
[編集]- 小林のり一 (@noribiyori) - X(旧Twitter)
- 電脳温泉デラックス 小林のり一 - 電脳マヴォ
- 俳優 小林のり一 インタビュー(2004年3月16日)- 桃屋
- 特集「色物さん。」第4弾 小林のり一 編(2022年11月07日)- ほぼ日刊イトイ新聞