三島村立三島硫黄島学園
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三島村立三島硫黄島学園 | |
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北緯30度47分2.2秒 東経130度16分45秒 / 北緯30.783944度 東経130.27917度座標: 北緯30度47分2.2秒 東経130度16分45秒 / 北緯30.783944度 東経130.27917度 | |
過去の名称 |
硫黄島尋常小学校 硫黄島国民学校 硫黄島小学校・三島中学校 三島村立三島小中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 三島村 |
校訓 |
かしこく あかるく たくましく |
設立年月日 | 1930年 |
共学・別学 | 男女共学 |
分校 | #分校・分教場を参照 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | C246210000049 |
所在地 | 〒890-0901 |
鹿児島県鹿児島郡三島村大字硫黄島80番地 | |
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三島村立三島硫黄島学園(みしまそんりつみしまいおうじまがくえん)は鹿児島県鹿児島郡三島村の中央部の硫黄島にある村立の義務教育学校である。
概要
[編集]三島村の三島の中央に位置する硫黄島にある義務教育学校である。小中併設校であった2017年現在で小学校の児童は18名、中学校の生徒は4名が在籍していた[1]。また、しおかぜ留学制度があり、島外からの留学生を受け入れている[2]。県内の公立高等学校のうち全日制普通科に設定されている学区の制限を受けない義務教育学校のひとつである。
沿革
[編集]- 1884年(明治17年) - 長濱衛守によって私塾が開かれる[3]。
- 1930年(昭和5年) - 硫黄島尋常小学校を設置[4]。また、以下のとおり分教場を設置。
- 1941年(昭和16年) - 国民学校令が施行され、硫黄島国民学校に改称。
- 1947年(昭和22年) - 中学校を併設し[8]、硫黄島小中学校に改称。中学校に黒島分校と竹島分教場が設置される[8]。小学校の大里分校が黒島小学校として独立し、片泊分教場は黒島小学校の分校となる[9]。
- 1948年(昭和23年) - 中学校の竹島分教場が竹島分校となる[10]。
- 1949年(昭和24年) - 硫黄島中学校を三島中学校に名称変更[9]。小学校の竹島分校が独立し竹島小学校となる[11]。中学校の黒島分校を廃止。大里分校及び片泊分校を設置[11]。
- 1952年(昭和27年)2月10日 - 吐噶喇列島の本土復帰に伴い、十島村(じっとうそん)の境界を北緯30度線(口之島を除く)以北に変更し、同時に村名を改称し三島村となる[12][13]。
- 1956年(昭和31年) - 中学校の分校が以下のとおり独立した。
- 竹島分校 → 三島村立竹島小中学校[10]
- 大里分校 → 三島村立大里小中学校[7]
- 片泊分校 → 三島村立片泊小中学校[14]
- 2020年(令和2年) - 三島村立三島小中学校を廃止し、義務教育学校への移行に伴って三島村立三島硫黄島学園を設置[15]。
分校・分教場
[編集]いずれの分校、分教場も小学校は1949年(昭和24年)に、中学校は1956年(昭和31年)に独立しており、2020年(令和2年)現在分校は置かれていない。
小学校
[編集]中学校
[編集]通学区域
[編集]周辺
[編集]- 硫黄島郵便局
- 薩摩硫黄島飛行場
- 三島村役場硫黄島出張所
脚注
[編集]- ^ 三島小中学校HP(学校紹介)
- ^ しおかぜ留学生 - 三島村役場HP
- ^ 三島村(1990) p.1029
- ^ 角川(1983) p.270
- ^ 三島村(1990) p.1054
- ^ 三島村(1990) p.1049
- ^ a b 三島村(1990) p.1056
- ^ a b 三島村(1990) p.1035
- ^ a b 三島村(1990) p.1383
- ^ a b 三島村(1990) p.1036
- ^ a b 三島村(1990) p.1043
- ^ 鹿児島県告示第74号(大島郡十島村の境界)
- ^ 大島郡十島村を三島村に変更する条例の許可
- ^ 三島村(1990) p.1050
- ^ “公立学校(幼・小・中・義務教育学校)の設置廃止一覧” (PDF) (2020年4月1日). 2020年8月10日閲覧。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店、1983年。ISBN 978-4040014609。
- 三島村誌編纂委員会『三島村誌』三島村、1990年。