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三宅康武

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
三宅康武
時代 江戸時代中期
生誕 宝暦13年5月14日1763年6月24日
死没 天明5年9月12日1785年10月14日
改名 久熊(幼名)、康武
別名 襖右衛門(通称
戒名 節巌院殿源忠義堅大居士
墓所 愛知県田原市北番場の霊巌寺
官位 従五位下、備前
幕府 江戸幕府 日光祭祀奉行
三河国田原藩
氏族 三宅氏
父母 父:三宅康之、母:三宅康高の娘
兄弟 斧一郎、於滝(大森頼猶室)、市五郎、康武
康邦、政八郎、康友、於金、
妹(三宅康哉室)、妹(榊原照郷室のち植村正房室)、妹(加藤景久室)
正室:立花長煕の娘
養子:康邦
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三宅 康武(みやけ やすたけ)は、三河田原藩の第6代藩主。田原藩三宅家9代。

宝暦13年(1763年)5月14日、第5代藩主・三宅康之の三男として田原で生まれる。安永9年(1780年)11月29日、父が隠居したため家督を継ぎ、12月28日に従五位下・備前守に叙位・任官する。

天明元年(1781年)6月、江戸城半蔵口門番に任じられる。12月には藩財政再建のために倹約令を出している。天明4年(1784年)4月17日に日光祭祀奉行に任じられる。天明5年(1785年)9月12日、江戸で死去した。享年23。跡を弟で養子の康邦が継いだ。

系譜

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父母

正室

養子