三好一彦
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三好 一彦(みよし かずひこ、1930年9月23日-)は、プロ野球球団阪神タイガースの元球団社長[1]。兵庫県西宮市在住[2]。
来歴・人物
[編集]兵庫県西宮市出身[3]。旧制灘中学校を経て、神戸大学に進学し、大学在学時には野球部に所属していた[4]。1953年に大学を卒業した後に阪神電気鉄道に入社した[3]。1981年6月に取締役に就任し、1986年6月に常務、1989年6月に専務を経て、1996年6月から1997年6月までに取締役を務めた[3]。
1985年には阪神タイガース取締役に就任、1990年から本社専務と兼任した上で球団社長となり、低迷するチームの再建のために甲子園球場のラッキーゾーン撤廃や若手育成施設「タイガース・デン」の建設や球団組織の改革などのチーム改革に取り組んだ[5][2]。1998年に退任した。
脚注
[編集]- ^ “古谷代表自殺後自ら渡米 大リーグ本格視察後、球団改革に着手元阪神社長語る(4)”. デイリースポーツ (2021年9月14日). 2021年9月14日閲覧。
- ^ a b “優勝“しそう”と“した”は雲泥の差であると選手に伝えたい 元阪神社長タイガース愛語る【1】”. デイリー (2021年9月11日). 2024年1月4日閲覧。
- ^ a b c 人事興信所 1999, み51頁.
- ^ “【タイガース血風録 猛虎水滸伝】フロント一新、村山色の裏ににじませた吉田色”. 産経新聞. (2014年3月15日) 2021年3月16日閲覧。
- ^ “【タイガース80年】名勝負の目撃者(7)「神のお告げ」で引退したMr.レッドソックス 断じて「不良外国人」ではなかった”. 産経新聞. (2015年12月3日) 2021年3月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所 編『人事興信録 第40版 下』人事興信所、1999年。
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