コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

三井康浩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三井 康浩
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 島根県[1]出雲市
(生まれは滋賀県[2]
生年月日 (1961-01-19) 1961年1月19日(63歳)
身長
体重
175 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 内野手/外野手
プロ入り 1978年 ドラフト外
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

三井 康浩(みつい やすひろ、1961年1月19日[1] - )は、日本の元プロ野球選手、球団職員。

読売ジャイアンツにおいて長年スコアラーを務めていた

略歴

[編集]

滋賀県で生まれ、中学時代から島根県で過ごす[2]出雲西高等学校時代に強打で鳴らし、1978年にドラフト外で読売ジャイアンツに入団(同年、巨人はドラフト会議を欠席)。同期は江川卓阪神より移籍)、鹿取義隆など[3]。しかし巨人入団後は伸び悩み、二軍暮らしが続いた。1984年に定期健康診断で腎臓疾患が見つかり、再検査でドクターストップをかけられたため現役を引退[2]。本人いわく「自覚症状は全くなかった」ため、いきなりの宣告だったという[4]

引退後、翌1985年は巨人の二軍マネジャーを務めるが、当時チーフスコアラーだった小松俊広の誘いもあって1年でスコアラーに転じ[4]、以後、2002年にチーフスコアラーになるなど[1]22年間に渡り巨人のスコアラーを務める。2008年には査定室長となったほか、翌2009年2009 ワールド・ベースボール・クラシックに向けた野球日本代表のスタッフ入りし、代表のチーフスコアラーとして日本代表の優勝に貢献した[5]

以後、2013年に統括ディレクター、2017年に編成本部参与を歴任し、2018年末に退団[5]

退団後の2019年にOffice奏を設立[6]。主にスコアラー時代の経験を元に講演・著述活動、野球教室での指導等を行っている。

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
  • 一軍公式戦出場なし

背番号

[編集]
  • 65(1979年 - 1984年)

著書

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 三井康浩”. TURNING POINT. 2022年1月28日閲覧。
  2. ^ a b c 第五話 江川さんと西本さんは色んな意味で凄かった - デーブ大久保チャンネル
  3. ^ 三井康浩 - マイナビニュース
  4. ^ a b 第六話 スコアラー人生が変わった原辰徳選手からの厳しい言葉。 - デーブ大久保チャンネル
  5. ^ a b 三井康浩 - slipstream
  6. ^ 三井康浩 プロフィール”. 講演会・セミナーの講師紹介なら講演依頼.com. 2022年1月28日閲覧。
  7. ^ 読売巨人軍で22年、WBCで世界一「伝説のスコアラー」初著作! - PR TIMES・2020年2月4日

外部リンク

[編集]