三ツ丸ストアー
種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 〒620-0055[1] 京都府福知山市篠尾新町3丁目116番1[1] |
設立 | 1965年(昭和40年)8月1日[1] |
業種 | 小売業 |
法人番号 | 8130001041543 |
事業内容 | 食料品・酒類・日用品の小売業及びテナント業 |
代表者 | 代表取締役 足立康幸 |
資本金 | 5,000万円 |
従業員数 | 正社員84名・パート260名・アルバイト105名 (2020年時点) |
決算期 | 2月[1] |
外部リンク | http://www.mitsumaru-store.co.jp/ |
株式会社三ツ丸ストア[1](みつまるストア)は、日本の企業[1]。京都府北部を中心にスーパーマーケットを展開している。
概要
[編集]1924年(大正13年)に綾部市に在った村上、田中、出口の3呉服店が共同で設立した「三ツ丸百貨店」[2]の舞鶴営業所として発足し、1965年(昭和40年)8月に舞鶴市にて「株式会社三ツ丸ストア」として発足[3]した小売企業である。
前身の「三ツ丸百貨店」は綾部でははじめての鉄筋コンクリート3階建ての近代建築[4]や創業3年後の1926年(大正15年)には綾部で初めてラジオの公開[5]を行うなど綾部の近代化を代表する存在として地元では有名な企業であった。
また、1933年(昭和8年)[6]には福知山商人から反対運動を受けながら福知山市に進出し[7]、福知山で最初の高い建物で初めてエレベーターがついた鉄筋コンクリート3階建てのビルを建設し店舗とし[8]、見晴らしの良い最上階の3階に開設されたレストランのトンカツやビーフステーキが大好評となるなどこちらも福知山の歴史に残る著名な店舗として地元では有名な存在となった[9]。
「三ツ丸百貨店」は第2次世界大戦後の1948年(昭和23年)8月 に綾部店に三ッ丸映画劇場を開設すると、それに合わせて地元の愛好家等がアメリカ映画研究会を結成し、綾部文化協会の中核として文化活動の中心となったり[10][11]、1952年(昭和27年)からは児童生徒の夏休み中の研究創作活動の作品を展示する展覧会「青少年工夫創作品展」の会場の一つとなるなど文化面でも重要な役割を果たした[12]。
現在は両店舗共に閉鎖され、綾部店跡は綾部市商工会議所[13]が、福知山店跡は福知山鉄道館ポッポランド と福知山市文化資料館として利用されている[14][15][16][6]。
主な営業エリアは現在の会社設立時の本拠であった舞鶴市の他に、「三ツ丸百貨店」の店舗があった福知山市・綾部市で、中丹地方を基盤としている。なお兵庫県丹波市にも2店出店している。
沿革
[編集]- 1924年(大正13年) - 綾部市にて「三ツ丸百貨店」創業。
- 1926年(大正15年) - 「三ツ丸百貨店」(綾部市)にて初のラジオ公開。
- 1933年(昭和 8年) - 「三ツ丸百貨店」が福知山市に進出。
- 1948年(昭和23年)8月 - 「三ツ丸百貨店」(綾部市)に「三ッ丸映画劇場」を開設。
- 1965年(昭和40年)8月2日 - 舞鶴市にて資本金100万円で「株式会社三ツ丸ストア」を設立[1]。
- 1978年(昭和53年)10月 - 「株式会社三ツ丸ストア」が福知山市に進出。
- 2004年(平成16年)7月1日 - 舞鶴市の「いまがわストアー」を買収。
店舗
[編集]- 舞鶴市
生鮮&業務スーパー
[編集]- 舞鶴市
- 溝尻店(舞鶴市溝尻中町)
- 田中店(舞鶴市田中町)
- 福知山市
- 店舗面積490m2nikkei-commerce-yearbook-2003" />。
- 丹波市
- 氷上店(丹波市氷上町稲継字八ヶ坪)
過去に存在した店舗
[編集]丹波市 市島店(丹波市市島町上田字位川原)
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap 流通会社年鑑 2003年版, 日本経済新聞社, (2002-12-20), pp. 414-415
- ^ 「大正十三年に村上・田中・出口の三呉服店が合同して、南西町に三ツ丸百貨店を創立」 大正・昭和編第一章 「蚕都の成立」 第三節 「大正の社会と文化」 1 「町の変貌」綾部市史 下巻 綾部市史編さん委員会 綾部市役所 1979年3月( ウェブサイト
- ^ 「福知山市・綾部市にありました三ツ丸百貨店の舞鶴営業所として発足し、昭和40年8月に株式会社三ツ丸ストアとして資本金10万円で誕生」 株式会社 三ツ丸ストア公式サイト (ウェブサイト)
- ^ 「大正十三年に村上・田中・出口の三呉服店が合同して、南西町に三ツ丸百貨店を創立したのが最初である。鉄筋コンクリート三階建て、延坪数一八五坪、店員四〇余名を擁し、綾部の新名所となった。また後には福知山にも進出して綾部商人の心意気をしめした。」 大正・昭和編第一章 「蚕都の成立」 第三節 「大正の社会と文化」 1 「町の変貌」綾部市史 下巻 綾部市史編さん委員会 綾部市役所 1979年3月( ウェブサイト
- ^ 「1926 三ツ丸百貨店で初めてラジオが公開される」【倶楽部あやべ】 北京都 綾部市の歴史 歴史年表 (ウェブサイト)
- ^ a b 「昭和8年竣工で、三ツ丸百貨店の建物として建てられた。戦後、京都銀行の建物となるが、その後リサイクルセンターなどを経て、現在のポッポランドとなった。」 福知山 ポッポランド(旧三ツ丸百貨店): Ever Green Forest -- blog (Ever Green Forest -- blogウェブサイト)
- ^ 「綾部から郡是製糸福知山工場、三ツ丸百貨店などが福知山のど真ん中に進出した時、福知山商人から反対運動も起こっています。」 綾部の文化財を守る会35周年 記念公演「綾部九鬼藩歴代藩主とその藩士たち」 綾部史談会々長 山崎 巖 平成16年11月30日 西町ITビル (ウェブサイト)
- ^ 「福知山で最初の高い建物は、広小路から新町へ入って右側の「三ツ丸百貨店」3階建て。大正時代に、綾部の人を中心に3人で建てたもの。福知山で初めてのエレベーターがついていたので、珍しがって大勢の人がやってきた。」 福知山の栄枯盛衰~福知山の歴史~ (ウェブサイト)
- ^ 「3階の見晴らしの良いところに食堂があり、関東大震災で職を失った東京のコックさんが、京都四条通の高級洋食店のコックなどを誘い、東京・京都の味のトンカツや、ビーフステーキが大好評だったという。その後、この建物を京都銀行が使用し、現在は、福知山鉄道ポッポランドと、福知山市文化資料館になっている。」 福知山の栄枯盛衰~福知山の歴史~ (ウェブサイト)
- ^ 「昭和二十二年…九月六日役員会を開き、これを設立総会とし、福知山・舞鶴などの近隣都市にさきがけて綾部文化協会が発足した。…文化協会の人的・資金的な中心となったのは、二十三年八月、三ッ丸映画劇場の開設にともなって設立されたアメリカ映画研究会」 戦後編第一章 「戦後の社会変化と綾部市の成立」 第一節 「戦後の混乱と新生への動き」 2 「新生の文化活動」綾部市史 下巻 綾部市史編さん委員会 綾部市役所 1979年3月( ウェブサイト)
- ^ 「西町商店街、昭和時代は、本当に綾部の中心商店街として多くの商店街の花でありました…三ツ丸百貨店には映画館もあって映画も見た」 綾部市議会平成22年3月定例会会議録第4日(安藤和明議員の一般質問) (ウェブサイト)
- ^ 「二十七年、第一回目の…青少年工夫創作品展は、児童生徒の夏休み中の研究創作活動の作品を三ツ丸百貨店や波多野記念館を会場に九月中旬に展示」 戦後編第一章 「戦後の社会変化と綾部市の成立」 第三節 「社会生活の動向」 3 「文化活動」綾部市史 下巻 綾部市史編さん委員会 綾部市役所 1979年3月( ウェブサイト
- ^ 「昭和44年 綾部商工会議所本町三丁目から三ツ丸百貨店跡に転入」 西町の歴史(ウェブサイト)
- ^ 「三ツ丸百貨店、京都銀行など建物の用途は変わって、現在は鉄道資料館として開放されています」 福知山市|イベント・観光|資料館・美術館( ウェブサイト)
- ^ 「福知山市下新町、横川省三さん(81)方の土蔵に、戦時中の建物疎開を示す紙「疎開調査票」が張り付けられている。建物疎開は、敵の攻撃を受けた時に延焼を防ぐことを目的に住宅などを壊すため、疎開を強制的に進める行政命令。…福知山市内で建物疎開が告示されたのは、昭和20年(1945)7月27日。対象となったのは、当時の、下新町の三ツ丸百貨店(現福知山ポッポランド)周辺」「終戦間際の行政命令「建物疎開」示す調査票残る」 両丹日日新聞2010年8月24日(ウェブサイト)
- ^ 「「三ツ丸百貨店」・・・その後、この建物を京都銀行が使用し、現在は、福知山鉄道ポッポランドと、福知山市文化資料館になっている。」 福知山の栄枯盛衰~福知山の歴史~ (ウェブサイト)