万代嘉平治
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万代 嘉平治(萬代、まんだい かへいじ、1872年6月27日(明治5年5月22日[1])- 1917年(大正6年)3月9日[1][2])は、明治から大正前期の園芸家、政治家。衆議院議員(1期)、岡山県赤磐郡石生村長。
経歴
[編集]岡山県[2]磐梨郡原村[1](石生村、赤磐郡石生村[3]を経て現和気郡和気町)で生れた[1]。同志社(現同志社大学)を卒業した[2][3]。
1901年(明治34年)石生村長に就任し1914年(大正3年)まで在任[1]。この間、難航していた同村田原上・下耕地整理事業を推進した[1]。その他、赤磐郡会議員(1900年-1904年、1911年-1913年)、岡山県会議員(1899年-1917年)を務め[1]、郡会議長、岡山県参事会員にも在任した[2][3]。立憲国民党に所属し第一次護憲運動を推進し[1]、和気橋の架橋に尽力した[1]。
1915年(大正4年)3月、第12回衆議院議員総選挙(岡山県郡部、立憲国民党)で当選したが[4]、履歴の些少の誤記を政権与党に摘発され[1]、1916年(大正5年)9月13日、公文書偽造行使及公文書毀棄教唆被告事件が大審院で裁判確定し、衆議院議員を退職した[5]。これにより勲七等を褫奪された[6]。
また、果樹園芸業を営み、山陽青果取締役社長、岡山県果物同業組合組長、赤磐郡産業組合長などを務める[2][3]。岡山県から派遣され、1905年(明治38年)利源調査員として満洲や朝鮮に、1910年(明治43年)青果販路調査員としてロシア帝国領アジアに、1914年(大正3年)果樹園芸視察員として清国に、通算3度の視察を行った[2][3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『岡山県歴史人物事典』山陽新聞社、1994年。