一須賀D4号墳
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一須賀D4号墳 | |
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墳丘・石室開口部 | |
別名 | 一須賀D-4号墳 |
所属 | 一須賀古墳群(D支群) |
所在地 |
大阪府南河内郡河南町東山 (大阪府立近つ飛鳥風土記の丘内) |
位置 | 北緯34度30分0.87秒 東経135度38分33.10秒 / 北緯34.5002417度 東経135.6425278度座標: 北緯34度30分0.87秒 東経135度38分33.10秒 / 北緯34.5002417度 東経135.6425278度 |
形状 | 円墳 |
規模 |
直径25m 高さ3.3m |
埋葬施設 |
片袖式横穴式石室 (内部に石棺・木棺) |
出土品 | 金銅製飾金具・金銅製釵子・須恵器・土師器 |
築造時期 | 6世紀後半 |
史跡 | 国の史跡「一須賀古墳群」に包含 |
地図 |
一須賀D4号墳(いちすかでぃーよんごうふん、一須賀D-4号墳)は、大阪府南河内郡河南町東山にある古墳。形状は円墳。一須賀古墳群(国の史跡、うちD支群)を構成する古墳の1つ。
概要
[編集]大阪府南部、葛城山地から北西方向に延びる丘陵上に築造された古墳である。1972年(昭和47年)に発掘調査が実施されている。
墳形は円形で、直径25メートル・高さ3.3メートルを測る[1]。埋葬施設は片袖式の横穴式石室で、南西方向に開口する。石室全長9.7メートルを測る大型石室で、一須賀古墳群中では最大規模になる。石室内には石棺・木棺を4体以上据えたとみられる。石室内の調査では、副葬品として金銅製飾金具・金銅製釵子・須恵器・土師器が検出されている。特に釵子は、全国的に出土例の少ない渡来系遺物であるが、一須賀古墳群では出土数が突出しており、中でもD4号墳からは3点が出土している点で注目される[1]。築造時期は古墳時代後期の6世紀後半頃と推定される[2]。
古墳域は1994年(平成6年)に国の史跡に指定されている(史跡「一須賀古墳群」のうち)。現在は史跡整備のうえで、史跡公園「大阪府立近つ飛鳥風土記の丘」内で公開されている。
遺跡歴
[編集]- 1970年度(昭和45年度)、分布調査(大阪府教育委員会、1971年に報告)。
- 1972年(昭和47年)、史跡整備に伴う発掘調査(大阪府教育委員会、未報告)。
- 1986年(昭和61年)、史跡公園「大阪府立近つ飛鳥風土記の丘」の開園。
- 1994年(平成6年)10月7日、国の史跡に指定(史跡「一須賀古墳群」のうち)。
- 2016年度(平成28年度)、測量調査(大阪大谷大学歴史文化学科、2017年に報告)。
埋葬施設
[編集]埋葬施設としては片袖式横穴式石室が構築されており、南西方向に開口する。石室の規模は次の通り[1]。
- 石室全長:9.7メートル
- 玄室:長さ3.87メートル、幅2.45メートル、高さ3.0メートル
- 羨道:長さ5.82メートル、幅1.48メートル、高さ1.6メートル
石室内には石棺・木棺を据えており、4体以上の埋葬が想定される[2]。
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玄室(奥壁方向)
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玄室(開口部方向)
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羨道(開口部方向)
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羨道(玄室方向)
出土品
[編集]石室内の調査で検出された主な副葬品は次の通り[1]。
- 金銅製飾金具
- ガラス玉付八弁花形飾金具
- 六弁花形飾金具
- 十文字形飾金具
- 水滴形飾金具
- 金銅製釵子 3
- 須恵器
- 土師器
関連施設
[編集]- 大阪府立近つ飛鳥博物館(河南町東山) - 一須賀D4号墳の出土品を保管。
脚注
[編集]参考文献
[編集](記事執筆に使用した文献)
- 史跡説明板
- 小浜成「一須賀D4号墳の釵子」『大阪府立近つ飛鳥博物館 館報』第9号、大阪府立近つ飛鳥博物館、2005年、43-48頁。
関連文献
[編集](記事執筆に使用していない関連文献)
- 『近飛鳥遺跡分布調査概要 -柏原市・羽曳野市・太子町・河南町-』大阪府教育委員会〈大阪府文化財調査概要1970-4〉、1971年。
- 『河内飛鳥と磯長谷』古代を考える会〈古代を考える3〉、1976年。
- 『一須賀古墳群の調査V(D・E・F・J・K・L・P支群)』大阪府立近つ飛鳥博物館〈大阪府立近つ飛鳥博物館図録37〉、2005年。
- 犬木努・近藤麻美・松本祐樹・吉田昌史「一須賀D4号墳の測量調査」『大阪大谷大学歴史文化研究』第17号、大阪大谷大学歴史文化学科、2017年、23-32頁。
- 市川創「一須賀古墳群D-2~5・8号墳の石室」『大阪府立近つ飛鳥博物館 館報』第27号、大阪府立近つ飛鳥博物館、2023年、41-46頁。