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一志順夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

一志 順夫(いっし よりお[1]1962年5月2日 - )は、日本音楽プロデューサー実業家

来歴

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東京都三鷹市に生まれる。東京都立三鷹高等学校を経て、1985年に早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業した。[要出典]

大学卒業後はCBS・ソニーグループに入社し、福岡営業所、エピックソニー(現・エピックレコードジャパン)、制作オフィスグループOffice3、ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)CAオフィス等に勤務する。SME CAオフィス時代にASAYANテレビ東京)男子ボーカリスト・オーディションの企画に松尾潔らと共に参加、CHEMISTRYの結成・デビューに関わる。また、現在もTVーCM等で使用されているソニー・ミュージックのCIロゴの作成にも関わり、1998年から使用されたロゴ(通称RAINBOW)は当時博報堂のプランナーであった箭内道彦(現・風とロック)との共同作業で制作された。[要出典]

2004年にエピックレコードジャパン執行役員に就任した。執行役員在任中にいきものがかりがデビューした他、Aqua TimesT.M.Revolution鈴木雅之等数多くのアーティストに関わる。また映像事業ではショートムービーと音楽を融合した「cinemusica」シリーズを立ち上げプロモーションに新機軸を展開した。[要出典]

エピックレコードジャパンの代表取締役専務(2008年)を務めた後、デフスターレコーズ(2012年)とLabel Gate(2015年)で代表取締役社長を歴任した。[要出典]2017年にSMEの広報・CSRグループ本部長となり[2]2020年に[要出典]監査役に移った後、2022年6月に退任した[3]

人物

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趣味は野球とレコード収集で、アマチュア野球観戦歴は長い。レコードはロック、ソウル、ラテン中心に一万枚超のコレクションを誇り、1980年代から1990年代にかけては専門誌への寄稿とライナーノーツの執筆も兼業していた。[要出典]

脚注

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出典

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