一州正伊
表示
一州正伊(いっしゅう しょうい、応永23年(1416年) - 長享元年11月4日(1487年11月18日))は室町時代の曹洞宗の僧[1]。
生涯
[編集]周防国熊毛郡出身。俗姓は稲田氏[1]。幼い頃より寺に入り、13歳で出家した。20歳で京都妙心寺の日峰宗舜に参禅し、以降、丹波円通寺の牧翁性欽、越前慈眼寺の希明清良を歴参[2]。
次に十余年にわたって月江正文に付き従い、その法嗣となった。その後美濃楞厳寺の住持であった際、上野国の有力武将・長尾景仲の帰依を受けて上野白井に雙林寺を開き、正文を開山とした[1]。雙林寺は長尾氏の庇護を得て、東国有数の禅道場として栄えた[2]。
文明4年(1472年)、相模最乗寺の住持となる[1]。その後上野沼田氏に招かれ玉泉寺を開くなどした。晩年は雙林寺に帰り、長享元年(1487年)に没した[2]。
一州に参禅し法嗣となった者に曇英恵応や天倫正挺らがいる[2]。
出典
[編集]参考文献
[編集]- デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)『一州正伊』- コトバンク
- 久保康顕「一州正伊」「月江正文」(群馬県立歴史博物館編『戦国人:上州の150傑』上毛新聞社 、2021年7月)ISBN 978-4-86352-288-6