一ノ瀬俊民
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一ノ瀬 俊民(いちのせ としたみ、1885年(明治18年)12月27日[1][2] - 1958年(昭和33年)6月16日[2][3])は、大正から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員、佐賀県杵島郡武雄町長。
経歴
[編集]佐賀県[3]杵島郡、のちの武雄町[4](現武雄市[2])で、一ノ瀬傳三郎の長男として生まれる[2][5]。1915年(大正4年)長崎高等商業学校(現長崎大学)を卒業[2][3][4]。1920年(大正9年)家督を相続し[5]農業を営む[3]。
政界では、武雄町長、佐賀県会議員を務めた[2][3][4]。1937年(昭和12年)4月、第20回衆議院議員総選挙に佐賀県第2区から立憲政友会公認で出馬して当選し[2][6]、翼賛議員同盟に所属して衆議院議員に1期在任した[2][3][4]。
戦後、公職追放となる[7]。1951年(昭和26年)追放解除[8]。
実業界では、武雄銀行取締役、武雄製鋼社長などを務めた[2][3][4][5]。
国政選挙歴
[編集]- 第19回衆議院議員総選挙(佐賀県第2区、1936年2月、立憲政友会公認)次点落選[9]
- 第20回衆議院議員総選挙(佐賀県第2区、1937年4月、立憲政友会公認)当選[6]
- 第21回衆議院議員総選挙(佐賀県第2区、1942年4月、翼賛政治体制協議会推薦)落選[10]
親族
[編集]脚注
[編集]- ^ 衆議院『第七十二回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1937年、30頁。
- ^ a b c d e f g h i 『佐賀県大百科事典』40頁。
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』652頁。
- ^ a b c d e 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』51頁。
- ^ a b c 『人事興信録 第11版上』イ263頁。
- ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 第20回』557頁。
- ^ 公職追放の該当事項は「推薦議員」。(総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、140頁。NDLJP:1276156。)
- ^ 『朝日新聞』1951年6月19日朝刊1面。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第19回』569頁。
- ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第21回』531頁。
- ^ 石井良一『武雄史』石井義彦、1956年、682頁。
参考文献
[編集]- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第19回』衆議院事務局、1936年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第20回』衆議院事務局、1937年。
- 人事興信所編『人事興信録 第11版上』人事興信所、1937年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第21回』衆議院事務局、1943年。
- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
- 『佐賀県大百科事典』佐賀新聞社、1983年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。