ヴェルフスラヴァ・フセヴォロドヴナ
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ヴェルフスラヴァ・フセヴォロドヴナ Верхуслава Всеволодовна | |
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ポーランド大公妃 | |
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在位 | 1146年 - 1162年 |
出生 |
1125年頃 |
死去 |
1162年3月15日 |
配偶者 | ポーランド大公ボレスワフ4世 |
子女 |
ボレスラフ 娘(シュムスク公ヴァシリコ・ヤロポルコヴィチ妃) レシェク |
家名 | リューリク家 |
父親 | ノヴゴロド公フセヴォロド |
ヴェルフスラヴァ(アナスタシヤ)・フセヴォロドヴナ(ロシア語: Верхуслава(Анастасия) Всеволодовна、ポーランド語: Wierzchosława nowogrodzka:「ノヴゴロドのヴェルフスラヴァ」の意、1125年頃 - 1162年3月15日)は、ノヴゴロド公フセヴォロドの娘であり、ポーランド大公ボレスワフ4世の妻となった人物である[1]。
生涯
[編集]1137年にボレスワフと結婚し3人の子を産んだ。なおヴェルフスラヴァの死後、ボレスワフはガーリチ公ウラジーミルの娘・マリヤと再婚している。
子女
[編集]ポーランド大公ボレスワフ4世との間に以下の3人の子を産んだ。
- ボレスラフ(1156年 - 1172年)
- 娘(1160年以前 - 1178年以降) - 1172年もしくは1173年に、ヴァシリコ・ヤロポルコヴィチ(シュムスク公、後にドロヒチン公)と結婚した。
- レシェク(en)(1162年 - 1186年) - マゾフシェ公
出典
[編集]- ^ Cawley, Charles RUSSIA, Rurikids // Foundation for Medieval Genealogy
参考文献
[編集]- Balzer O., Genealogia Piastów, wyd. II - Kraków 2005.
- Magdalena Biniaś-Szkopek: Bolesław IV Kędzierzawy - książę Mazowsza i princeps. Poznań: Wydawnictwo Poznańskie, 2009.