ヴィルヘルム・マルシャル
ヴィルヘルム・マルシャル Wilhelm Marschall | |
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1934年11月 | |
生誕 |
1886年9月30日 ドイツ帝国 バイエルン王国 アウクスブルク |
死没 |
1976年3月20日(89歳没) 西ドイツ シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州 メルン |
所属組織 |
ドイツ帝国海軍 ヴァイマル共和国軍 ドイツ国防軍海軍 |
軍歴 | 1906年 - 1945年 |
最終階級 | 海軍上級大将 |
ヴィルヘルム・マルシャル(独: Wilhelm Marschall、1886年9月30日 - 1976年3月20日)は、ドイツの海軍軍人。最終階級は海軍上級大将。
経歴
[編集]アウクスブルクに生まれる。1906年に海軍兵学校に入校。第一次世界大戦では、戦艦「クローンプリンツ・ヴィルヘルム」で勤務した後、1916年から潜水艦長となる教育を受け、潜水艦UC-74号、潜水艦UB-105号の艦長を歴任、地中海で撃沈43隻119,170トン、損傷1隻765トン、加えてイギリスのスループカウスリップ (HMS Cowslip) 撃沈といった戦果を挙げた[1] 。
UB-105号艦長の時にプール・ル・メリット勲章を授与された。
ヴァイマル共和国海軍では測量士官や参謀将校を経て、1934年11月から装甲艦アドミラル・シェーア艦長を務めた。1936年に少将に昇進し、海軍作戦部長 (Chef der Operationsabteilung) に就任。同年勃発したスペイン内戦では遣西艦隊司令官 (Befehlshaber der deutschen Seestreitkräfte vor Spanien) として沿岸警備に従事するドイツ海軍部隊を指揮。1938年に中将に昇進、2月に装甲艦指揮官に任命。
1939年に大将に昇進し、艦隊司令官に任命された。ただし装甲艦指揮官の業務も継続して行った。同年11月23日のフェロー諸島沖海戦や1940年6月のユーノー作戦で戦艦部隊(グナイゼナウ、シャルンホルスト)を指揮する。しかし6月11日に作戦が終了すると、マルシャルは作戦中指示に従わなかったことを理由に批判された。その後、6月13日に病気を理由に辞任し、後任にはギュンター・リュッチェンスがあてられた[2]。
1940年夏から2年間海軍教育総監 (Inspektion des Bildungswesens der Marine)となったが、しばしば艦隊を指揮することもあった。1942年にフランス方面、ついで西部方面の艦隊司令官に就任、半年後の1943年2月1日に上級大将に昇進した。しかし半年後、独断で艦隊を転進させたことを問題視され、英空母を撃沈する戦果をあげていたものの更迭。海軍を退役した。しかしすぐに復帰してドナウ川方面司令官 (Sonderbevollmächtigten für die Donau) となり、再度の退役を経て西部方面の艦隊司令官の在任中に終戦を迎え、1945年から1947年まで捕虜となっていた。
西ドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州メルンで死去した。
脚注
[編集]- ^ “第一次世界大戦のUボートの指揮官 ヴィルヘルム・マルシャル” (英語). uboat.net. 2024年5月29日閲覧。
- ^ ベルント・シュテーゲマン: ドイツ国と第二次世界大戦. Der Kampf um die Vormachtstellung in Westeuropa, Band 2, Deutsche Verlags-Anstalt, Stuttgart 1979, ISBN 3-421-01935-5, S. 222–223
関連項目
[編集]軍職 | ||
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先代 ヘルマン・フォン・フィッシェル |
遣西艦隊司令官 1937年10月8日 - 1938年2月8日 |
次代 ヘルマン・フォン・フィッシェル |
先代 ヘルマン・フォン・フィッシェル |
装甲艦指揮官 1938年2月9日 - 1939年10月20日 |
次代 空席 艦隊司令官直卒 |
先代 ヘルマン・ベーム |
艦隊司令官 1939年10月21日 - 1940年7月7日 |
次代 ギュンター・リュッチェンス |
先代 エルンスト・シルリッツ 代行 |
海軍教育総監 1940年8月26日 - 1942年8月8日 |
次代 ヘルマン・モーツ |
先代 カールゲオルク・シュスター |
南方方面海軍集団司令長官 代理 1941年12月9日 - 1942年3月9日 |
次代 カールゲオルク・シュスター |
先代 オットー・シュルツェ |
在仏海軍部隊司令官 1942年8月12日 - 1942年11月16日 |
次代 廃止 西方方面海軍集団司令部に統合 |
先代 アルフレート・ザールヴェヒター |
西方方面海軍集団司令長官 1942年9月21日 - 1943年4月20日 |
次代 テオドール・クランケ |
先代 ? |
ドナウ川特別総監 1944年6月4日 - 1944年11月24日 |
次代 ? |
先代 テオドール・クランケ |
西方海軍司令長官 1945年4月19日 - 1945年5月6日 |
次代 消滅 |