ヴィクトル・レベデフ
ヴィクトル・ザハロヴィチ・レベデフ Виктор Захарович Лебедев | |
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1954年のレベデフ | |
生年月日 | 1900年 |
没年月日 | 1968年(67 - 68歳没) |
死没地 |
ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国、モスクワ |
出身校 |
リャザン教育学院卒業 モスクワ大学卒業 |
前職 | スターリン全連邦食品産業アカデミー・マルクス・レーニン主義学部部長・准教授 |
所属政党 |
(ボリシェヴィキ→) ソビエト連邦共産党[1] |
称号 |
労働赤旗勲章[1] 祖国戦争勲章1等[1] 1941年-1945年大祖国戦争勇敢労働記章[1] |
在任期間 | 1943年11月12日 - 1945年3月13日 |
在任期間 | 1943年11月30日 - 1945年1月6日 |
在任期間 | 1943年11月30日 - 1945年11月17日 |
駐ポーランド特命全権大使 | |
在任期間 | 1945年1月6日 - 1951年3月2日 |
駐フィンランド特命全権公使・大使 | |
在任期間 | 1951年4月8日 - 1958年10月10日 |
ヴィクトル・ザハロヴィチ・レベデフ(Виктор Захарович Лебедев、1900年 - 1968年)は、ソビエト連邦の外交官。
生涯
[編集]1900年に生まれ、1922年にリャザン教育学院を、1925年にモスクワ大学を卒業した[2]。
1929年から1940年までスターリン全連邦食品産業アカデミー・マルクス・レーニン主義学部部長・准教授を務め、同年にはソビエト連邦外務人民委員部 (ru) 近東部インターン、同年から翌1941年5月8日までは駐ユーゴスラビア・連邦大使顧問、同年から1943年11月までは外務人民委員部の外交文書選択専門コンサルタント[2]、さらに同時期には赤軍参謀本部情報局スタッフ、人民委員部予備役、ソビエト情報局国際部副部長にも就いた[1]。
同月12日から(正式には翌12月11日から)1945年3月13日まで在ロンドン・ユーゴスラビア政府担当大使、1943年11月30日から1945年1月6日まで在ロンドン連合国政府および在ロンドン・ベルギー政府担当大使(ベルギー大使は翌1944年2月8日から)、1943年11月30日から(正式には翌1944年1月26日から)1945年1月6日まで在ロンドン・ノルウェー政府担当大使、1943年11月30日から(正式には翌1944年2月24日から)1945年1月6日まで在ロンドン・オランダ政府担当大使、1943年11月30日から(正式には翌1944年6月21日から)1945年11月17日まで在ロンドン・ルクセンブルク政府担当公使を歴任[2]。1945年1月6日から(正式には3月3日から)1951年3月2日までは駐ポーランド大使を務め、ソ連=ポーランド関係の最重要人物としてヨシフ・スターリンの外交政策を推進した[3]。
1951年4月8日から(正式には翌5月10日から)1958年10月10日までは駐フィンランド公使および大使に就き、同月から1961年までは外務省外交文書公開委員会専門コンサルタント、同年から1965年までは外務省高等外交学校校長を務めた[2]。
1965年11月に引退し、1968年にモスクワで死去した[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f Алексеев М. А., Колпакиди А. И., Кочик В. Я. (2012). Энциклопедия военной разведки. 1918-1945 гг. М.: Кучково поле. ISBN 978-5-9950-0219-2。
- ^ a b c d “Лебедев Виктор Захарович”. Справочник по истории Коммунистической партии и Советского Союза 1898 - 1991. 2018年8月20日閲覧。
- ^ Залесский К. А. (2002). Империя Сталина: Биографический энциклопедический словарь. М.: Вече. ISBN 5-7838-0716-8。
外交職 | ||
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先代 アレクサンドル・ボゴモロフ |
在ロンドン・ユーゴスラビア政府担当特命全権大使 公式には1943年12月11日から 1943年11月12日 - 1945年3月13日 |
次代 イヴァン・サッチコフ |
先代 アレクサンドル・ボゴモロフ |
在ロンドン連合国政府担当特命全権大使 1943年11月30日 - 1945年1月6日 |
次代 イヴァン・チチャエフ 臨時代行 |
先代 アレクサンドル・ボゴモロフ |
在ロンドン・ベルギー政府担当特命全権大使 正式には1944年2月8日から 1943年11月30日 - 1945年1月6日 |
次代 ミハイル・セルゲーエフ 駐ベルギー特命全権大使 |
先代 アレクサンドル・ボゴモロフ |
在ロンドン・ノルウェー政府担当特命全権大使 正式には1944年1月26日から 1943年11月30日 - 1945年1月6日 |
次代 ニコライ・クズネツォフ 駐ノルウェー特命全権大使 |
先代 アレクサンドル・ボゴモロフ |
在ロンドン・オランダ政府担当特命全権大使 正式には1944年2月24日から 1943年11月30日 - 1945年1月6日 |
次代 ヴァシリー・ヴァリコフ 駐オランダ特命全権大使 |
先代 アレクサンドル・ボゴモロフ |
在ロンドン・ルクセンブルク政府担当特命全権公使 正式には1944年6月21日から 1943年11月30日 - 1945年11月17日 |
次代 ミハイル・セルゲーエフ 駐ルクセンブルク特命全権公使 |
先代 アレクサンドル・ボゴモロフ 在ロンドン・ポーランド政府担当特命全権大使 |
駐ポーランド特命全権大使 正式には1945年3月3日から 1945年1月6日 - 1951年3月2日 |
次代 アルカディー・ソボレフ |
先代 グリゴリー・サヴォネンコフ |
駐フィンランド特命全権公使 正式には1951年5月10日から就任 1954年8月5日から特命全権大使 1951年4月8日 - 1958年10月10日 |
次代 アレクセイ・ザハロフ |
学職 | ||
先代 ミハイル・スーリン |
外務省高等外交学校校長 1960年 - 1965年 |
次代 ミハイル・ヤコヴレフ |