ヴァリエテ
ヴァリエテ | |
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Varieté | |
監督 | E・A・デュポン |
脚本 | E・A・デュポン |
原作 | フェリックス・ホレンダー |
製作 | エーリッヒ・ポマー |
出演者 |
エミール・ヤニングス リア・デ・プッティ ワーウィック・ウォード マリー・デルシャフト |
撮影 |
カール・フロイント カール・ホフマン |
製作会社 | ウーファ |
配給 |
ウーファ パラマウント映画 中央映画社[1] |
公開 |
1925年11月16日 1926年6月27日 1927年5月20日[2][3] |
上映時間 | 102分 |
製作国 | ドイツ |
言語 | 無声 |
『ヴァリエテ』(独: Varieté)は、1925年公開のドイツのサイレント映画。フェリックス・ホレンダーの小説『Der Eid des Stephan Huller』をE・A・デュポン監督で映画化。
日本でも公開され、ヨーロッパ映画としては稀に見る興行成績を収め[4]、第4回(1927年)キネマ旬報ベストテンでは第2位に選出された[2]。映画理論家の帰山教正はとくに性的表現を高く評価したうえで、若い女性にリピーターが多く、「此の映画を見て姦通をした婦人がある」と伝えている[5]。なお、公開時の邦題は『曲藝團(ヷリエテ)』だった[1][3][6]。
タイトルの「ヴァリエテ」とは曲芸団のこと。空中ブランコのシーンは、ベルリンに実在したヴィンターガルテン劇場の設定。ブランコにカメラを乗せ、迫力のある画を撮っている[7]。
監督のデュポンは1931年にトーキー版を『泣き笑ひの人生』という題名でリメイクしている。
あらすじ
[編集]ハンブルクで怪しげな見世物小屋を経営しているボスのところに、水夫がベルタ・マリーという娘を連れてくる。
マリーに恋したボスは妻子を捨てて逐電。ベルリンの曲芸団に入り、空中ブランコで生計を立てる。
ある日、空中ブランコの第一人者アルチネーリが二人に目をつけ、トリオを組まないかと申し出る。ボスとマリーは承諾。ヴィンターガルテン劇場での三人の興行は大ヒットする。
マリーは初老のボスより若いアルチネーリを好きになる。二人はボスの目を盗んで密会を繰り返す。
友人たちの落書きで事実を知ったボスはショックを受ける。しかし、空中ブランコのショーは続けなければならない。ボスは動揺する気持ちを抑え、アルチネーリを受け止める。
しかし、その我慢も限界に達し、とうとうボスはアルチネーリを殺害してしまう。
刑務所に服役したボスのところに手紙が届く。それはマリーからではなく、捨てた妻子からの手紙だった。
キャスト
[編集]- ボスのフラー - 綱渡り芸人のボス:エミール・ヤニングス
- ボスの妻 - マリー・デルシャフト
- ベルタ・マリー - 両親のいないジプシー娘:リア・デ・プッティ
- アルチネーリ - 有名な綱渡り芸人:ワーウィック・ウォード
- 船乗り - ゲオルク・ヨーン
- ドック人足 - カート・ジェロン
- 役者 - チャールズ・リンカーン
脚注
[編集]- ^ a b 『映画五十年史』鱒書房、1947年、143頁。
- ^ a b 『日本映画発達史 (2) 無声からトーキーへ』中央公論新社、1976年、125頁。ISBN 978-4122002968。
- ^ a b 東京朝日新聞 昭和2年5月19日夕刊の広告(帝国館、武蔵野館)
- ^ 『映画五十年史』鱒書房、1947年、161頁。
- ^ 『映画の性的魅惑』文久社書房、1928年、161-164頁。
- ^ 森岩雄『映画脚本二十講 : トーキー・サイレント』映画知識社、1930年。
- ^ Eric, Rhode (1985). A History of the Cinema: from its origins to 1970. New York, USA: Da Capo Press. pp. 184–185. ISBN 978-0-306-80233-1