ヴァシリコ (ロストフ公)
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ヴァシリコ・コンスタンチノヴィチ Василько Константинович | |
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ロストフ公 | |
ヴァシリコ・コンスタンチノヴィチの死 | |
在位 | 1218年 - 1238年 |
出生 |
1209年12月7日 |
死去 |
1238年3月4日(28歳没) |
配偶者 | マリヤ・ミハイロヴナ |
子女 |
ボリス グレプ |
家名 | リューリク家 |
父親 | ウラジーミル大公コンスタンチン |
母親 | アガフィヤ・ムスチスラヴナ |
ヴァシリコ・コンスタンチノヴィチ(Василько Константинович, 1209年12月7日 - 1238年3月4日)は、ロストフ公(在位:1218年 - 1238年)。ウラジーミル大公コンスタンチンの長男。
略歴
[編集]1209年に生まれる。
1218年の父の死に伴い、ロストフ公位(およびコストロマ、北部ガーリチ地方)を相続する。
1220年にウラジーミル大公ユーリー2世と共にヴォルガ・ブルガールに遠征し、勝利を収める。
1223年のカルカ川の戦いに参加するために準備を進めていたが、到着までに南ルーシ諸公が討ち破られ、北方に引き返した。
1226年にはユーリー大公に率いられて、チェルニゴフのミハイル公の支援に駆けつけた。
1227年にはミハイル公の娘マリヤを妃として迎える。
1238年にモンゴル軍がルーシの北方に攻め寄せた際に、大公ユーリー2世と共に軍を集めるために北方に向かうが、シチ川の戦いでモンゴルの急襲に遭い戦死した。ロシア正教会で聖人とされる。
家族
[編集]公妃マリヤとの間には、ロストフ公国を継いだボリスと、ベロオーゼロ公国を継いだグレプを授かった。
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