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ヴァシリコ・ブリャチスラヴィチ (ヴィテプスク公・12世紀末)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヴァシリコ・ブリャチスラヴィチ
Василько Брячиславич
ヴィテプスク公
在位 1186年 - ?

死去 1209年以降
配偶者 スモレンスク公ダヴィドの娘
子女 ブリャチスラフ
リュバヴァ
家名 リューリク家
父親 ヴィテプスク公ブリャチスラフ
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ヴァシリコ・ブリャチスラヴィチロシア語: Василько Брячиславич、? - 1209年以降)は、ヴィテプスク公ブリャチスラフの子である。ヴィテプスク公(在位:1186年 - ?)。

生涯

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1180年、父ブリャチスラフと共にドルツクを包囲した(ru)。1186年、義父のスモレンスク公ダヴィドドルツク公フセスラフ、ロゴジュスク公ヴァシリコ(be)らの支援を得てヴィテプスク公位に就いた。1196年にはオレグ家と共闘してスモレンスク公国軍を破った(ルーシ内戦 (1195年 - 1196年))。

1209年、ヴァシリコの娘がウラジーミル大公フセヴォロドの後妻となった。タチシチェフ(ru)、ウォイトウィチ(uk)らの説では、娘の名はリュバヴァとされている。また、ブリャチスラフという息子の存在が知られている。

参考文献

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