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ローリング内沢

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ローリング 内沢(ろーりんぐ うちざわ、1970年2月17日 - )は、フリーランスライター編集者。元『週刊ファミ通』編集者。

人物

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1970年東京都出身。1989年、ゲーム誌『ファミコン通信』の求人募集記事を見て応募し、株式会社アスキーに入社。

入社面接時、ゲームの腕前テストとして、得意のファミコン版『グラディウスII』をプレイするもステージ2で全滅。しかし、「面接時の受け答えがハキハキしていたから」という理由で、他の応募者を押しのけ、見事合格[1]

ペンネームの由来は、ローリング族から。当時、髪を金髪に染め、バイクに乗っていたため、先輩編集者にローリング族と勘違いされ命名される[2]

ゲーム以外に、音楽(おもにダンスミュージック)、グラフィックデザインなどにも精通し、ゲームをカルチャーとして語るのを得意とする。

ライター・編集者だけではなく、ゲームの幅広い知識を活かし、企画ディレクションやプロデュース、ゲーム番組やゲームイベント等の構成・脚本執筆・ブレーン、およびMC、司会進行なども務める。

1992年より現在まで、『週刊ファミ通』において、新作ゲームクロスレビューの現役レビュアーとして活躍し、批評したゲーム本数はをおよそ5000本を超える(全レビュアーのなかで最多)。

経歴

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1989年アスキーファミコン通信編集部)に入社。

1992年新作ゲームクロスレビューの最年少レビュアーとして登場。同年、スチャダラパーのコラム、"スチャダラパーのバグってSDP"の編集担当を務める。

1996年、契約社員を経て、アスキー社員に。ゲーム番組『ゲームカタログII』(テレビ朝日)で、編集者として初テレビ出演。

1998年、『ファミ通WaveDVD』創刊メンバーとして携わる。

2000年アスキーを退社しフリーランスに。同年、デザイナーの草野剛、広岡毅とともに、共同事務所LEVEL1(れべるいち)を発足。

2004年、『ファミ通WAVE』の映像コンテンツ、"ボーズの○○タイム"のMCを務める。

2009年、Xbox 360のオンラインコンテンツ『Inside xbox』(日本マイクロソフト)のメインMCに抜擢。

2014年、ゲームミュージックのドキュメンタリー映像シリーズ「Diggin' in the Carts:(ディギン・イン・ザ・カーツ) 」(Red Bull)のブレーンおよび出演を務める。

2015年、デジタルゲームの企画展、"あそぶ!ゲーム展 ステージ1:デジタルゲームの夜明け"(主催:埼玉県)の制作協力を務める(2016年の「ステージ2」、2018年の「ステージ3」も同様)。

2016年セガ・インタラクティブ公式サイトで、コラム"ローリング内沢のセガ先輩のはなし"を連載開始。

2019年、日本のゲームカルチャーをテーマにしたサイト「GAME CHRONICLE | IS JAPAN COOL?」(ANA)の制作協力を務める。

2023年、国内盤CD・レコード『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー サウンドトラック』のライナーノーツの解説文を担当。

脚注

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  1. ^ “ゲームを遊ぶ = 仕事“になる時代がようやくやってきた|ローリング内沢さん(ゲームライター/編集者)”. リクナビNEXTジャーナル (2018年3月1日). 2019年5月14日閲覧。
  2. ^ 「ファミ通」編集者に一問一答!”. [任天堂ゲーム] All About. 2019年5月14日閲覧。

外部リンク

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