コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ロバート・ギンティ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロバート・ギンティ
Robert Ginty
本名 Robert Winthrop Ginty
生年月日 (1948-11-14) 1948年11月14日
没年月日 (2009-09-21) 2009年9月21日(60歳没)
出生地 アメリカ合衆国の旗ニューヨークブルックリン区
死没地 アメリカ合衆国の旗ロサンゼルス
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
身長 185cm
職業 俳優、テレビドラマ監督
活動期間 1974年 - 2002年
主な作品
映画
エクスタミネーター
エクスタミネーター2
『必殺コマンド』
『バウンティ・ハンター』
『コップ・ターゲット/狼たちの牙』
テンプレートを表示

ロバート・ウィンスロップ・ギンティRobert Winthrop Ginty 1948年11月14日 - 2009年9月21日)は、アメリカの俳優、テレビドラマ監督。

来歴

[編集]

ニューヨークブルックリン区生まれ[1] 。幼少期から音楽に親しみ、ジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョプリンカルロス・サンタナジョン・リー・フッカーなどを愛好していた[2]ミュージシャン志望だったが、後に俳優志望に転向、イェール大学演劇を学び、ネイバーフッド・プレイハウスアクターズ・スタジオで修業した。

1970年代カリフォルニア州に移り住み、テレビドラマや映画に出演するようになり、1980年、『エクスタミネーター』の主演に抜擢される。以降、B級アクション映画を中心に出演する一方、1990年代からはテレビドラマの監督も勤めた。

スターへの道のり

1974年辺りからテレビ・シリーズのゲスト出演(主役ゲストではない)をこなす様になり、『ロックフォードの事件メモ』等がある。

映画にはラリー・ピアース監督の『パニック・イン・スタジアム』(1976年)やハル・アシュビー監督の『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』(1976年)と『帰郷』(1978年)に端役出演していた。

1979年にテレビ・シリーズ『ペーパー・チェイス』(1974年製作の映画のテレビ版)のレギュラーに抜擢されたが、『白バイ野郎ジョン&パンチ』や『アーノルド坊やは人気者』等のテレビ・シリーズにゲスト出演しながらチャンスを待った。

出稼ぎ俳優としての活動

ジェームズ・グリッケンハウス監督の『エクスターミネーター』(1980年)で演じたベトナム戦争帰りの復讐鬼役で注目されたが、おいそれとはスターダムにはのし上がれず、『ナイトライダー』等のテレビ・シリーズにゲスト出演をこなしながら糊口をしのいだ。

そんな不遇な中、香港の悪名高きフィルマーク・インターナショナルとタイ映画界との合作でP・シャロン監督の『ゴールド・レイダース』(1982年/日本では1987年作として紹介/未/ビデオ)やキャリアの停滞期にあったフレッド・ウィリアムスンと共演したイタリア映画『近未来戦争/オメガ帝国の崩壊』(1984年/未/ビデオ)、フランスのジャン=マリー・パラディー監督の仏・伊・土合作の『ホワイト・ファイア/地獄の報酬』(1984年/未/ビデオ)で、いずれも主役を演じた。しかし、ドサ回り的な仕事内容だった。

1987年には南アフリカ共和国で傭兵物『コードネーム・ウルフ(テレビ放映題/地獄のエクスタミネーター)』(未/ビデオ)で主演し、同地のアクション俳優であるジェームズ・ライアンとの共演だった。また、『怒りの報酬(怒りのエクスタミネーター/死の標的)』(1989年/未/ビデオ/テレビ放映)も南アフリカ共和国との合作だった。他にも『必殺コマンド』(1985年)のメキシコ・ロケ等、意外にも外国での仕事が少なくない。

1990年代に入るとイタリアのウンベルト・レンツィがハンフリー・ハンバート名義で監督した刑事物『コップ・ターゲット/狼の牙』(1990年)の主役やシンシア・ラスロックリチャード・ノートンと共演したインドネシア映画『リベンジ・オブ・デス』(1992年/未/ビデオ)では悪役を演じた。監督は『キックボクサー』(1989年)の米国人監督デーヴィッド・ウォースが当たった。

以上の様に専らB級アクション映画のキャリアの様であるが、1987年にはジェス・フランコジャン・ローランの作品で知られるフランスのユーロシネ制作のホラー映画『キラー・マニア/殺人遊戯』に出演した。共演はイタリアや東南アジア方面への出稼ぎも少なくないボー・スヴェンスンチャック・コナーズだった。

監督としての活動

1989年には現代の賞金稼ぎを題材にした『バウンティ・ハンター』で監督業に進出し、脚本も手掛けた。また、翌年の1990年にはリトル・サイゴンを舞台にしたベトナム帰りの神父が活躍する『ベトナムU.S.A.』を製作・監督した。両作はギンティが主演も兼任したワンマン映画だった。因みに、この2作品は日本でも劇場公開された。

この流れで、テレビ・シリーズの監督も手掛ける様になり、日本ではテレビ東京でも放送された1996年の『刑事ナッシュ・ブリッジス』等がある。尚、晩年は殆ど監督業に専念していた。

プライベート

[編集]

3回結婚して、3人の子供をもうけ、息子ジェームズ・フランシス・ギンティも俳優になった[2]2009年9月21日で死去[3]。60歳。

主な出演作品

[編集]

映画

[編集]
公開年 邦題
原題
役名 備考
1976 パニック・イン・スタジアム
Two-Minute Warning
売り子
ウディ・ガスリー/わが心のふるさと
Bound for Glory
アーティチョークを摘む人
1978 帰郷
Coming Home
ディンク・モブリー刑事
1980 エクスタミネーター
The Exterminator
ジョン・イーストランド
1983 近未来戦争/オメガ帝国の崩壊
Warrior of the Lost World
ライダー
ゾンビ・怨霊の墓場
The Alchemist
アーロン
ゴールド・レイダース
Gold Raiders
マーク
1984 エクスタミネーター2
Exterminator 2
ジョン・イーストランド
ホワイト・ファイア/200カラットのダイヤを獲れ
Vivre pour survivre
ボリス・ドネリー
1985 必殺コマンド
Mission Kill
J.F.クーパー
1987 殺人サイボーグ リタリエーター
Progammed to Kill
エリック・マシューズ
トリプル・エージェント/ホシを挙げろ
Three Kinds of Heat
エリオット・クロムウェル
地獄のエクスタミネーター
Code Name Vengeance
モンロー
1989 愛の宅配-ピザ・ボーイ
Loverboy
ジョー
怒りの報酬
Out on Bail
ジョン・ディー
1990 マッド・ハウス/珍入者撃退作戦
Madhouse
デイル
ベトナムU.S.A.
Vietnam,Texas
トマス・マケイン 製作・監督・出演
ロサンゼルス大地震
The Big One: The Great Los Angeles Earthquake
ウォレン テレビ映画
バウンティ・ハンター
The Bounty Hunter
デューク・エヴァンス 出演/監督/脚本
コップ・ターゲット/狼たちの牙
Cop Target
ファーレイ・ウッド
1991 ハーレーダビッドソン&マルボロマン
Harley Davidson &and the Marlboro Man
トム
1992 リベンジ・オブ・デス
Lady Dragon
ギブソン
1999 プロフェッツ・ゲーム 殺人予告
The Prophet's Game
ブレント・ムーア

テレビシリーズ

[編集]
放映年 邦題
原題
役名 備考
1976-1978 Baa Baa Black Sheep T.J.ウィリー 30エピソード
1979-1979 The Paper Chase トマス・クレイグ・アンダーソン 22エピソード
1983 ナイトライダー

Knight Rider

エリオット・スティーブンス 1エピソード
1984 Hawaiian Heat マック・ライリー 10エピソード
1989-1990 ファルコン・クエスト
Falcon Crest
ウォーカー・ダニエルズ 7エピソード
1990 名探偵ダウリング神父
Father Dowling Mysteries
レニー 1エピソード
1991 ジェシカおばさんの事件簿
Murder, She Wrote
パウエル警部補 エピソードMoving Violation

その他

[編集]

映画評論家ギンティ小林ペンネームは、熱愛する彼の名前に由来している。

脚注

[編集]
  1. ^ Erickson, Hal. “Robert Ginty - filmography”. Allmovie. New York Times. 2006年7月9日閲覧。
  2. ^ a b ロバート・ギンティ - IMDb(英語)
  3. ^ ‘Exterminator’ star Robert Ginty dies”. 'Variety' (September 21, 2009). 2014年6月19日閲覧。

外部リンク

[編集]