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ロズウェル事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ロズウェル事件(ロズウェルじけん、Roswell Incident)は、1947年7月アメリカ合衆国ニューメキシコ州ロズウェル付近で墜落したUFOが米軍によって回収されたとして有名になった事件。ロズウェルUFO事件(Roswell UFO Incident)とも呼ばれる。なお、付近といってもロズウェルからは70マイル離れていたが、ロズウェル陸軍飛行場(のちの ウォーカー空軍基地、1967年に閉鎖)が深く関わったため、ロズウェル事件と呼ばれる。世界で最も有名なUFO事件といわれている。

本事件に関する情報はきわめて多数あり大変混乱しており、本当に何か不可思議な事件が起きたのか、はたまた町おこしのための壮大なフィクションなのか、詳しいことは判明していない。本稿では超常現象を主張するWebや書物の内容を中心に紹介する。

概要

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発端

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ロズウェル事件
1947年7月8日に発刊されたロズウェル・デイリー・レコード英語版、"空飛ぶ円盤"の"捕獲"を報じている
日付1947年
場所アメリカ合衆国 ニューメキシコ州 リンカーン郡
座標北緯33度58.1分 西経105度14.6分 / 北緯33.9683度 西経105.2433度 / 33.9683; -105.2433座標: 北緯33度58.1分 西経105度14.6分 / 北緯33.9683度 西経105.2433度 / 33.9683; -105.2433

この事件の発端となったのは、1947年7月8日ロズウェル陸軍飛行場(RAAF)[注 1]が発表したプレスリリースである。このプレスリリースの中で、軍は「第509爆撃航空群の職員がロズウェル付近の牧場から潰れた「空飛ぶ円盤(flying disc)」を回収した」と発表した。しかしその数時間後、第8航空軍司令官はこのプレスリリースを訂正し、「RAAF職員が回収したものは「空飛ぶ円盤(flyingsaucer)」ではなく、気象観測用気球であったと述べた。墜落現場については、1ヶ所である説と2ヶ所である説がある。ここでは、現在有力とされる2ヶ所説をもとに墜落現場の候補を記載する。

● 第1墜落現場
 ・候補① ー 北緯33度57分0.1秒 西経105度18分51.2秒 / 北緯33.950028度 西経105.314222度 / 33.950028; -105.314222[注 2][注 3][注 4]
 ・候補② ー

● 第2墜落現場
 ・候補① ー 北緯33度54分48.7秒 西経108度13分21.4秒 / 北緯33.913528度 西経108.222611度 / 33.913528; -108.222611[注 5] [要出典]
 ・候補② ー

この出来事はすぐに忘れさられたが、30年以上後に、突如注目を浴びることになった。

1978年UFO研究家スタントン・T・フリードマンは、1947年の事件発生当時、問題の残骸の回収に関わったジェシー・マーセル少佐(en:Jesse Marcel)にインタビューを行い、「軍は異星人の乗り物を極秘裏に回収した」と発表した。フリードマンの主張はテレビのドキュメンタリー番組で取り上げられることとなった[1]

1980年2月、タブロイド紙の「ナイアラー」紙(The National Enquirer) がマーセルのインタビュー記事を掲載し、ロズウェル事件は全世界の注目を集めることとなった。

それ以降、この事件は世界中で様々な憶測や噂、研究、調査などを巻き起こした。

アメリカ政府の公式見解

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アメリカ政府の公式見解は1997年6月24日アメリカ空軍総司令部が提出した報告書としてまとめられており、それによると、1947年に調査した「宇宙人の回収と解剖」とは、1956年6月26日に発生したKC97航空機の墜落事故との記憶混同であるとされる。

経緯

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1947年7月8日、「空飛ぶ円盤(Flying Saucer)」が回収されたという報告がロズウェル陸軍飛行場から起こった。以下の歴史的な話は、最初のニュース報告と幾つかの当時のテレックスに記述され報告されたとおりに、出来事の年表を復元したものである。

牧場にあった異常な残骸

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6月14日、農家ウィリアム・"マック"・ブレイゼルWilliam "Mac" Brazelは、フォスター牧場で働いている間に奇妙な残骸があることに気づいた。この牧場はロズウェルの北約70マイルにある、J・B・フォスターが所有する牧場で、ブレイゼルはその管理を任されていた。彼が残骸を発見した日の正確な日付(別の話では7月8日の「約3週間前」)は議論の的となっている[注 6]

しかし6月14日の日付は、数件の最初の話に繰り返し出てくる日付である。特に、ブレイゼルを引用する話と、話が知らされた数時間後に送られたジョージ・ウィルコックス保安官Sheriff George Wilcox(ブレイゼルが最初に連絡した人)を引用するテレックスの中に、この日付が出てくる。ロズウェル陸軍飛行場からの最初の報告によるとこの発見は「先週のいつか」であったが、その記述はブレイゼルが実際に言ったことの四次のまた聞き話であったらしく、保安官を発見について彼らに連絡した人物として言及している[2]。ブレイゼルはロズウェル・デイリー・レコード紙Roswell Daily Recordに、彼と彼の息子が「広い範囲にゴムひも、スズ箔、いくぶん頑丈な紙、棒によって作られた輝く残骸がある」のを見た、と話した。彼はそれに少ししか注意を払わなかったが、7月4日に彼の息子、妻、娘を動員して物体をかき集めた[3]。もっと前にブレイゼルは物体の一部を収集しており、一緒にして包み、それをある藪の下に隠していた、と一部の話は叙述している[4]

次の日、ブレイゼルは「空飛ぶ円盤」についての報告を聞き、彼が拾い上げていた物がそれかも知れないと思った。7月7日、ブレイゼルはウィルコックス保安官と会い、彼が空飛ぶ円盤を見つけたかも知れないことを「秘密を打ち明けるように耳打ち」した[3]。別の話はウィルコックスを引用してブレイゼルが物体を7月6日に報告したと言ったとしている[2]

ウィルコックス保安官はロズウェル陸軍飛行場に連絡した。ジェシー・マーセル少佐Major Jesse Marcelと「私服の男」がブレイゼルに同行して牧場へと戻りそこでさらなる破片が拾い上げられた。「"我々"は気象デバイスのさらなる部分を探すのに月曜"7月7日"の午後の2時間を費やした。我々は気象デバイスのスズ箔とゴムのパッチをもう少しだけ見つけた」、とマーセルは言った[5]。彼らは次に対象を再組み立てしようと試みた。しかしブレイゼルによると彼らはそれができなかった。翌朝マーセルは残骸をロズウェル陸軍飛行場へと持って行った。

「ロズウェル・デイリー・レコード」紙の1947年7月9日版は以下のように記述する[6]

「それを持ち上げていた気球は、それが機能していたときには、12フィートの長さがあったに違いない。彼が座っていた部屋のサイズから距離を見積もるとそうなる、"ブレイゼルは"そう感じた。ゴムはくすんだ灰色で直径約200ヤードの領域に渡って散らばっていた。残骸がかき集められたとき、スズ箔、紙、テープ、棒は長さ約3フィート、厚さ7〜8インチの束を作っていた。一方、ゴムは長さ約18〜20インチ、厚さ約8インチの束を作っていた。全体で重さは5ポンドあっただろうと、彼は見積もっていた。この領域にエンジンに使われたと思われるいかなる金属のサインもなかったし、いかなる種類のどんなプロペラのサインもなかったが、少なくとも一つのペーパーフィンがスズ箔の一部の上へと糊付けされていた。機器のどこにも単語は見つけられなかったが、パーツの一部には文字があった。かなりのスコッチテープと花柄がプリントされたテープが構造物に使われていた。ヒモもワイヤーも見つからなかったが、紙にヒモ通しの孔が開いていたことはある種のアタッチメントが使われていたことを示唆する」

テキサス州ダラスにあるFBI事務所からあるFBI事務所へ送られたテレックスは、7月8日に第8航空軍の一少佐を引用する[7]:

「円盤は六角形の形であり気球からケーブルによって吊るされていた。気球は直径およそ20フィートだった。見つかった物体はレーダー反射板をつけた高高度気象観測用気球に似ているとCURTAN少佐がさらにアドバイスしたが、彼らの事務所と当基地の間の電話会談はこの確信を生じさせなかった」

ニュース報告

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7月8日火曜日の早い時間、ロズウェル陸軍飛行場の報道官ウォルター・G・ハウト中尉(Lt. Walter G. Haut)はプレスリリースを発表しそれはすぐに多数のニュース特約社によって取り上げられた[8]

第509爆撃航空群の指揮官、ウィリアム・H・ブランチャード大佐(Colonel en:William H. Blanchard)は、テキサス州フォートワースにある第8航空軍のロジャー・M・レイミー准将General en:Roger M. Rameyにコンタクトを取り、レイミーは物体をフォートワース陸軍飛行場へと航空輸送するよう命令した。この基地で、アーヴィング・ニュートン准尉Warrant Officer Irving Newtonは、物体を気象観測用気球およびその「凧」であると同定するという、レイミーの予備的意見を承認した[4]。「凧」は地上から気球を追跡するのに使われたレーダー反射板へのニックネームである。物体が「気象観測用気球」であったと記述する、もう一つのニュースリリースが、こんどはフォートワース基地から発表された。

フォートワースでは、物体に由来すると言われる残骸の数枚のニュース写真がその日に撮られた。残骸は凧をつけた気象観測用気球の一般的記述と一致した。レイミー、トマス・J・デュボーズ大佐Col. en:Thomas J. Dubose、マーセルの三人は物体とともにポーズを取っていた。ブレイゼルは、その日のロズウェル・デイリー・レコード紙とAP通信によるインタビューの中で、「気象観測用気球」であるとする軍の断定をはねつけた。以前に牧場で彼が回収していた数個の他の気象観測用気球の例を出して、彼はこう言った。「私は自分が見つけたものはいかなる気象観測用気球でもないと確信している」[6]。この事件はすぐに忘れ去られた。

新たな目撃証言の登場

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1978年以降、数年の間に「11の地点で、異星人の乗り物と異星人を回収することを目的とした大きな軍事作戦があった」など、新たな証言が現れた[1]

1989年には、元葬儀屋グレン・デニス(en:Glenn Dennis)が、「ロズウェル基地でロズウェル異星人死体解剖が行われていた」との証言を行った[9](App.C)。

これらの証言を受け、ロズウェルのあるニューメキシコ州選出の下院議員スティーヴン・シフは空軍に対する会計監査を要求。これを受けて 会計検査院は調査を開始し、空軍長官室に内部調査を行うよう指示した。その結果は『ロズウェル・リポート』と題された二つの報告にまとめられた。

最初の報告書[10]1995年に発表された。それによると、「1947年に回収された物体はモーグル計画(Project Mogul)と呼ばれる秘密の政府計画に由来する残骸である可能性が高い」とのことであった。

第二の報告書[9]1997年に発表された。それによると、「回収された異星人の死体についての報告は、1956年6月26日に発生したKC97航空機の墜落事故の記憶や、1950年代に行われたハイダイヴ計画Project High Dive)などの擬人ダミー回収の記憶が無意識のうちに変質したものであり、またそれらをもとにしてUFOマニアが創作した捏造であろう」とのことであった。最初の事件と航空機墜落事故との日付の違いについては、心理学的に説明可能な現象であるとされた。

異星人の話の出現

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ロズウェル事件墜落現場のCGによる復元

新しい目撃談とロズウェルUFOについての本

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1978年、元核物理学者で作家のスタントン・T・フリードマンはジェシー・マーセルにインタビューした。マーセルは、回収された場所からフォートワースまでロズウェルの残骸に同行したと知られる唯一の人物である。それからほぼ15年のあいだ、彼や他の関係者はロズウェル事件についての話をもたらし、これらの話はロズウェルを忘れられた事件から、たぶん全ての時代の中で最も有名なUFO事例へと押し上げることとなった[1]

1990年代初頭までに、フリードマン、ウィリアム・ムーア、カール・フロック、ケヴィン・ランドルとドン・シュミットのチーム、といったUFO研究家たちは1947年のロズウェルでの出来事に関係を持つ、あるいは持つと主張する、数百人の人々にインタビューした[11]。さらに、何百もの文書が情報公開法に基づく請求を通して得られた。これらの文書の一部は、疑わしい「マジェスティック12」文書のように一見内部の者によってリークされたかのように装われた[12]

彼らの結論は、少なくとも一機の異星人の乗り物がロズウェル近辺に墜落したこと、異星人が回収されその一部はまだ生存していた可能性もあること、事件についてのあらゆる知識に対する大規模な隠蔽が行われたこと、であった。

多数の本、記事、テレビ特集、さらにはテレビ映画までもが1947年の事件に名声と悪評をもたらした。1990年中ごろまでに、1997年のCNN/Time のものをはじめとする複数の世論調査で、異星人が地球を訪れたこと、特にロズウェルに異星人が着陸し、政府がその事実を隠蔽したことを信じる者が大多数だったほどである[13]

1947年に報告された話と大きく食い違う一つの新しい物語が出現した。1980年にロズウェルについての最初の本が出版されてからの数年のあいだに、多くの新しい目撃者と報告が出現するとともに、この物語は進化していった。これらの話のある程度は事件が有名になったことによって出てきたという面もあるだろう。懐疑論者はこれらの話のもっともらしさに対して多くの反論を出したが、事件についての最初の空軍報告が発表され、異星人が存在することへの強い反論が広く知らしめられたのは1994年になってのことであった。

これらの著者たちが本当の出来事の推移であると思っていたことはそれぞれ違い、多数のシナリオが彼らの手によって出現した。それは、どの目撃談を採用しどれを無視するか、文書の証拠が示しているものを何とするか、によって違うものとなった。これは特に異星人の乗り物の墜落地点および回収地点として主張されたさまざまな場所に関して本当だった。さまざまな著者たちがこれらの出来事に対して別々の目撃者と別々の位置を記したのである[1]

ところが、以下のケヴィン・D・ランドルKevin D. Randleとドナルド・R・シュミットDonald R. SchmittによるUFO Crash at Roswell (1991)からの一般的輪郭はこれらの話のほとんどに共通である:

「UFOは、1947年の夏に、ニューメキシコ州ロズウェルの北西に墜落した。その存在が牧場主によって報告された後に、軍はすぐに効果的に活動し残骸を回収した。残骸―これらの高度に訓練された男たちがそれまで見たことのあるいかなる物とも違う―は少なくとも三つの政府の軍事施設へとさっさと航空輸送された。残骸と活動の動揺を言い逃れるために偽の話がでっち上げられた。それは新しいラジオゾンデ標的デバイスをつけた気象観測用衛星が見つけられ、第509爆撃航空群の隊員を一時的に混乱させていたと説明された。政府職員がリポーターのデスクからメモを取り上げ、ラジオリポーターに記録された牧場主とのインタビューを再生しないよう警告した。回収にたずさわった男たちは事件について決して話さないよう言われていた。大騒ぎになることなく期待はずれに終わり、ロズウェルの出来事はすぐさま公衆の視野と報道の監視から消えていった」(p.4)。

以下のものは対象について出版された一部の主要な本に書かれた出来事の推移についての話である。

The Roswell Incident (1980)

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ロズウェルUFO事件についての最初の本は、チャールズ・バーリッツ(en:Charles Berlitz)とウィリアム・L・ムーア(William L. Moore)によるThe Roswell Incident[14](邦訳:『ニューメキシコに墜ちた宇宙船―謎のロズウェル事件』[15]、『ロズウェルUFO回収事件』[16])であり、1980年に出版された。その当時の著者たちによると、彼らは90人を超える目撃者たちにインタビューした。著者に名前を連ねていないが、スタントン・フリードマンがこの本のための実質的な調査を行っていた[17]。この本はジェシー・マーセルによって叙述された残骸の話を「この地球上で作られた何ものでもない」として注目した[14](p.28)。さらなる話が、マーセルが回収した物体が超高強度を持ち、ほかの特質も知られている地球起源のどんな性質とも結びつかず、これが確実に「気象観測用気球」に関連するものでないことを示した。この本はまた、フォスター牧場でマーセルによって回収された残骸が、気象観測用デバイスに由来する残骸に取って代わられ、隠蔽の一部をなしたという主張を紹介した[14](p.33; pp.67-69)。マーセルは本物の残骸と一緒にポーズを取り、そして物体はすり替えられ、他の者たちはすり替えられた残骸と一緒にポーズを取っていた。牧場から回収された本物の残骸―著者たちが墜落したUFOに由来するものと主張するもの―は報道による綿密な調査を許可されなかった。「空飛ぶ円盤に対するどんどん沸き上がる興奮状態」の信用性を失墜させ沈静化させるための、軍による取り組みがあったことも記述された[14](p.42)。さらに、目撃者の脅迫があったというさまざまな話が含まれていた。特に、そもそも最初に残骸を報告した人物である、マック・ブレイゼルが監禁されていたという報告があった。

この本はバーニー・バーネットBarney Barnettによる異星人の話も紹介した。彼は出版の数年前に死亡している。友人たちによると、彼は数多くの機会で、フォスター牧場の約150マイル(240 km)西の、ソコロ地域で空飛ぶ円盤が墜落し異星人の死体が回収されたことを叙述していた。彼とその近辺にたまたまいた考古学者たちの一団は異星人の乗り物とその乗員に偶然に出くわしたが、軍隊員によってそこからつれ出されてしまった[14](p.53-62)。さらなる話が、これらの異星人たちと彼らの乗り物がカリフォルニア州ミューロック陸軍飛行場へと輸送されたことを示した[14](Ch.5)。この本は墜落した乗り物が二つあったか、バーネットが叙述していた乗り物からの残骸が爆発の後にフォスター牧場へと着地していたか、のどちらかであることを示唆した[14](p.62)。

この本で紹介された新しい年表は、少なくとも最初の話の一部が示していた年表と重要な違いを持っていた。新しい年表は、残骸の発見は7月初旬であり、マック・ブレイゼルを引用する文章において述べられている6月中旬の日付ではなかったとする。6月中旬とする文章は、残骸が気象観測用気球に由来することを示した話であった。マーセルの叙述によると、ブレイゼル(彼は出版の数年前に死んでいた)は、彼が残骸を見つけたのは7月7日の数日前の、彼が「奇妙な爆発」を聞いた後の朝になってからだったと言っていた[14](p.64)。もう一つの話が叙述するところでは、7月2日に地元のカップルが「大きな輝く物体」がこの領域を越えて飛んでいくのを見たとし―当時のニュース報告において言及された話―[14](p.21)、そしてバーネットの物語は7月3日に起こったとされた[14](p.53)。

マーセルと「キャヴィット」(シェリダン・キャヴィットSheridan Cavitt、マーセルは彼のファーストネームを思い出せなかった)が残骸を見に行ったのが正確にはいつであるかは明確でない。彼は「我々は7月7日にそれについて聞いた」と言っているからである[14](p.63)。しかし彼が接触を受けたのは、その前の日だと言っているように思われる。彼によると「7月6日日曜日に、ブレイゼルは街へ行きこれを誰かに報告したほうがいいと決心した」。そしてこのブレイゼルの話を聞いた者がこんどはマーセルに電話をかけた[14](p.65)。1947年には、マーセルは7月7日月曜日に彼が牧場に訪れたと言ったと引用されていた。

マーセルは7月7日の午後にロズウェルに戻ったが、空飛ぶ円盤の発見のニュースがリークされていることを発見するだけだったと叙述している。複数の電話が彼の家へかけられ、一人のリポーターの訪問もあったが、彼は報告を確認できなかった。「翌朝、その書かれたプレスリリースが発表され、その後にことは本当に大騒動になった」[14](p.67)。

この本は軍がブレイゼルの証言を周到に用意し、話をありふれた物体が牧場に着地したかのように見えるものにしたことを示した。ただし、この本は軍がブレイゼルに彼が発見した日付を6月中旬にするよう指示したとはっきりとは言っていない。六月中旬の日付については本の中では言及されていない。「ブレイゼルは…大きな平原へと行き、新聞記者たちに、彼が空軍に指示されてどのようにして彼が残骸を発見しそれがどのような物だったかについて言わされた様子を正確に話した」[14](p.40)。

UFO Crash at Roswell (1991)

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1991年、10年に渡って事件について宣伝されたことによる恩恵と多数の新しい目撃者インタビューを得て、ケヴィン・D・ランドルとドナルド・R・シュミットはUFO Crash at Roswell[18]を出版した。ここで、新しい目撃者たちは一般的にもっと詳しい話をつけ加えたが、それらはThe Roswell Incident に見られる話を補強する傾向にあった。それらの話には、回収された残骸の非地球的特質についてのさらなる話、物体のすり替えと隠蔽があったことを示すトマス・デュボーズ大佐へのインタビュー、マック・ブレイゼルのような目撃者の脅迫についての新しい話が含まれていた。マーセルは、この本の中では、もはや本物の残骸と一緒にポーズを取っておらず、それは報道の目に触れる前にすり替えられたことにされた。

年表はわずかに変えられた。ブレイゼルが残骸を報告しマーセルが牧場に行った日付は7月6日日曜日とされた。この日付は、もともとの話の一部は次の日を示し、The Roswell Incident ではあいまいなままにされていた。さらに、マーセルと名前不詳の対諜報活動員がその夜を牧場で費やしたことは、それまでに言及されていなかったことだ。彼らは月曜日に物体をかき集め、そして7月8日火曜日の早い時間にマーセルはロズウェル基地への道中で彼の家に立ち寄った。

かなりの数の新しい詳細情報が出現した。それらには牧場での「400〜500フィートに伸びる...衝突溝」の話[18](p.200)と入念な非常線と回収作戦の記述が含まれていた。The Roswell Incident では、数人の目撃者たちが武装した憲兵によってフォスター牧場から追い返されたと叙述したが、もっと広範囲の叙述は欠けていた。

バーネットの話も触れられたが、日付と場所はThe Roswell Incident に見られる話から変更されていた。この新しい話では、ブレイゼルは牧場の第二の墜落現場へと陸軍を導き、陸軍は「"バーネットを含む"一般人がすでにそこにいたことを見つけてぞっとしていた」と叙述されている[18](p.206)。

新しい目撃談は実質的に異星人と彼らの回収の報告へとつけ加えるものだった。グレン・デニスは、1989年にNBCの番組「Unsolved Mysteries」のある回がロズウェル事件を取り上げたときにホットラインに電話をし、その後に重要な目撃者として出現していた。彼のロズウェル異星人解剖の叙述は異星人の死体をロズウェル陸軍航空基地に位置させる最初のものだった[1]

ロズウェル異星人と彼らの乗り物がエドワーズ空軍基地へと輸送されたとするThe Roswell Incident に見られる主張についての言及は、ついでの記述を除いて、なされなかった。この本は次のような出来事の鎖を構築した。最初に異星人の死体は墜落現場で見られ、彼らの死体はデニスによって目撃された場所であるロズウェル基地へと輸送され、次いでフォートワース基地へと航空輸送され、最後にオハイオ州デイトンにあるライト・パターソン空軍基地に届けられた。ここが最後の知られている死体の場所である。これは、ある程度の部分がフランク・カウフマンとO・W・"パピー"・ヘンダーソン大尉Capt. O. W. "Pappy" Hendersonの証言から集成された話である。

この本はアーサー・E・エクソン准将General Arthur E. Exonによる話も紹介した。彼は回収された物体が置かれていたと主張される最後の場所に配置されていた将校であった。彼は、彼が邪悪な13人(Unholy Thirteen)と呼ぶ得体の知れないグループがあったと主張した。このグループは回収されたすべての物をコントロールしそれにアクセスしていた[18](p.231-234)。彼は後に言っている[19]:

「1955年代の時期"エクソンがペンタゴンにいたとき"、こんな話もあった。ロズウェルで起こったこと、見つけられたものはすべて、まだ厳重に保管されている。おそらく私が言ったこれらの連中が死ぬまで保管されるだろう。だから彼らは追い詰められることがないか、彼らはなぜ彼らがそれらを隠しているのかを説明する必要がないのだろう。…もともとの13人が死亡するまで、最後の一人が逝くまで、誰かが何かを公開しようとするとは思えない」

Crash at Corona (1992)

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スタントン・フリードマンの1992年の本、Crash at Corona[20](ドン・バーリナーDon Berlinerた文書に基づき、UFO回収について高レベルの隠蔽があったことを示した。これらの文書は1984年にあるUFO研究家の家に匿名で投函されたもので、後に大統領となるドワイト・アイゼンハワーへ提出された1952年の簡潔な報告書であると主張されている。その文書は、高レベルの政府機関を記述しており、彼らの目的はロズウェルで回収された異星人を調査ンはThe Roswell Incident のための調査のほとんどをやっており、Crash at Corona はその調査の上に組み立てられた。コロナは地理的にフォスター牧場の墜落現場に近いため、ロズウェルの代わりに題名にされた[20](p.ix)。

年表はそれまでのものと多くが同じであり、マーセルとキャヴィットは7月6日日曜日に牧場へ訪れたとされる。しかしこの本によると、ブレイゼルは「約一週間におよんで収監され」、7月10日にロズウェル・デイリー・レコード紙の事務所へと護送された。そこで彼は政府によって話せと命じられた話を話した[20](p.79-80)。

さまざまな研究家のあいだの論争の火蓋が切られた。フリードマンとバーリナーがバーネットの話をソコロ近くへと戻し、ジェラルド・アンダーソンGerald Andersonによる地点の新しい目撃談を紹介したのである。アンダーソンは落ちた異星人の乗り物と四人の異星人の生き生きとした叙述をもたらした。四人のうちの少なくとも一人は生存していた[20](p.90-97)。Crash at Corona が基礎とした証拠のほとんどは、UFO Crash at Roswell では「確かな論拠に基づかずに」無視されている、と著者たちは記している[20](p.206)。また「アンダーソンとランドルのあいだでの個性の衝突」はフリードマンがアンダーソンの主張を調査した著者であったことを意味するとも記している[20](p.89)。ところが、この本はUFO Crash at Roswell による出来事の推移から多くを採用している。そこでは、デニスの話に基づいて、まず異星人はロズウェル陸軍飛行場で見られ、そしてフォートワースへと輸送され、次いでライト基地へと輸送されたとされる。

この本は八人の異星人死体が二ヶ所の墜落現場から回収され、フォスター牧場から三人が死亡、一人がたぶん生存したまま回収されており、他に三人の死亡者と一人の生存者がソコロ地点から回収されていたことを示唆している[20](p.129)。

The Truth about the UFO Crash at Roswell (1994)

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1994年、ランドルとシュミットは第二の本、The Truth about the UFO Crash at Roswell[21](邦訳:『ロズウェルに堕ちたUFO』[22])を出版した。彼らの前の本UFO Crash at Roswell に詳しく説明されていた事例の多くを再び述べているが、新しいより発展した異星人の話が含まれており、異星人が回収された新しい位置が詳細に説明されていた。さらに、出来事の推移に関してほとんど完全に新しいシナリオを詳しく説明した。

最初に、物体が墜落した日付は、それまでの全ての本での7月2日水曜日ではなく、7月4日金曜日であったとされた。もう一つの重要な違いは、ブレイゼルがフォスター牧場の残骸についての知らせを受けてロズウェルへと行く前に異星人の回収がすでに進行中であった断定したことであった。実際に、一つの物体が墜落する前に数日にわたってこの近辺でいくつかの物体がレーダーによって追跡されていた。全てのそれまでの話では、軍はブレイゼルが申し出るまで異星人の墜落と主張されるものに気づいていなかったことになっていた。さらに、ブレイゼルは7月9日に記者会見を開いたとされ、彼の記者会見と「空飛ぶ円盤」の発見を宣言する最初のニュースリリースは全て「真の」墜落現場から注意をそらすための入念な策略の一部だったとされた。

この本は異星人の乗り物と異星人たちを述べるジム・ラグズデイルJim Ragsdaleによる新しい目撃談を取り上げた。ラグズデイルの話の場所は、フォスター牧場の中のコロナ近くではなく、ロズウェルのすぐ北の新しい地点である。補強証拠は考古学者たちの一団による話によって与えられた。五人の異星人の死体が見られた[21](p.3-11)。フォスター牧場も残骸の起源であったが、そこでは死体は回収されなかった。

デニスとカウフマンからは発展した話がもたらされた。そしてルーベン・アナヤRuben Anayaによる新しい話では、ニューメキシコ州副知事ジョゼフ・モントーヤJoseph Montoyaがロズウェル基地で異星人の死体を見たと主張していると叙述されていた。

ロズウェル研究家たちのあいだの不一致はほかにもこの本の中に露呈している。一つの章の全てが、Crash at CoronaThe Roswell Incident の中心部分である、ソコロにおけるバーネットとアンダーソンの話を退けることに捧げられている。「...バーネットの話は、実際には、"ソコロの近くのサン・アグスティン"平原シナリオであり、信用を破棄されなくてはいけない」と、著者たちは言う[21](p.155)。一つの付録が、Crash at Corona のもう一つの中心的部分である、マジェスティック12文書を「でっち上げ」として記述することに捧げられている[21](p.187)。

ランドルとシュミットによる二冊の本はUFOコミュニティの中で大きな影響を残しており、彼らのインタヴューと結論はウェブサイト上で広く再生産されている[23]。ランドルとシュミットは彼らのロズウェルについての調査のあいだに「500人を超える人々に2000回を超えるインタビューを行った」と主張している[24]

UFOコミュニティの分裂

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1994年のThe Truth About the UFO Crash at Roswell の出版によって、真の出来事の推移と異星人の墜落現場と主張される場所について、UFOコミュニティのあいだに深刻な分裂が発生した[25](p.24)。CUFOS (Center for UFO Studies)とMUFON (Mutual UFO Network)は二つの主要なUFO組織であるが、ランドル/シュミットとフリードマン/バーリナーによって提示されたさまざまなシナリオをめぐって対立していた。食い違いを解決しようと試みるために数回の会議が開かれたほどである。議論の下にある問題の一つはバーネットが彼が遭遇したとされる異星人の乗り物を見たときに彼が、正確には、どこにいたのか、ということである。1992年の会議はCrash at CoronaUFO Crash at Roswell に描写されるさまざまなシナリオの中で共通見解に達しようと試みた。しかし、1994年のThe Truth About the UFO Crash at Roswell の出版はバーネット問題を単純に彼を無視し、異星人の乗り物が回収されたところに新しい場所を引用することによって「解決した」。そこには、バーネットの話が引き合いに出していた考古学者たちとは接点のない、新しい考古学者たちの一団が含まれていた[25](p.25)。

この墜落現場と主張される場所をめぐる根本的な不一致は今日でもなおUFOコミュニティのあいだに存在する。

空軍の報告・懐疑論者による検証

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ロズウェルUFO事件についての空軍報告

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1990年代中ごろ、アメリカ空軍は『ロズウェル・リポート』と題した二つの報告が発表された。その報告は、1947年に見つけられ報告された残骸の原因を説明するものと、後に異星人を回収したとする報告が起こった原因を説明するものであり、発見された残骸はモーグル計画と呼ばれる極秘の政府実験に由来するものであるとしている。この計画には、一連のソビエト核実験弾道ミサイルを検知するためのマイクロフォンとラジオトランスミッターを積んだ気球が関与する。異星人の話は、擬人ダミーを使った軍の実験と軍隊員に怪我人と死亡者を出した事故を、誤認したことに起因するとして説明された。

空軍報告は、異星人の回収について多くの著者たちがしている主張に懐疑論者たちが返答する際の基礎を形づくった。ただし、フィリップ・J・クラスPhilip J. Klassとロバート・トッドRobert Toddなどの、懐疑論者の研究家はすでに数年にわたって記事を発表していて、空軍がその結論を発表する前に異星人の話について疑いを提起していた。

1990年代までの新しい報告はロズウェル事件について単なる気象観測用気球の回収だけではなく、もっと更なることがあったことを示唆すると思われた。けれども、懐疑論者たちと、さらに一部の社会人類学者たち[25]は、そういった見かたをする代わりに、話の精巧さが増していくことを、ひとつの神話が構築されている証拠として理解した。1990年代中ごろの空軍報告の発表の後、1997年に出版されたカル・K・コーフKal K. Korffの本[17]をはじめとする数冊の本が、この報告に提出された証拠に基づいて「地球外の宇宙船の遺物が関与していたとする信頼できる証拠はない」と結論づけた[11]

批評家たちは、ロズウェル事件が異星人と何も関係なかったという彼らの主張の理由をいくつか確認した。

「空飛ぶ円盤」報告の原因としての1947年の軍の実験

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1947年、アメリカはソビエト連邦との冷戦の開始段階にあった。その結果、ソビエトについての、特に彼らの核計画についての情報を得るための、多数の秘密の軍計画が実行されるところとなった。ニューメキシコ州で当時行われた軍の実験の一つは、高高度気球の放球を通してソビエトの核実験を検知するよう設計された、モーグル計画だった。これらの気球実験はアラモゴードから上空に送られた。1947年6月と7月、いくつかの気球隊列が失われている[1]。同時期に、UFOの報告は著しく突出しており、それらの報道も激増した。一つの報告の勘定は6月と7月に853件を数えている[26]空軍[10](p.3)をはじめとする一部の人々は、これらの「空飛ぶ円盤」の目撃の多くが実際には気象観測用気球の誤認であると推測している。

B・"デューク"・ギルデンバーグB. "Duke" Gidenbergをはじめとする懐疑論者たちは、最初に1947年に報告された通りの一連の出来事が本質的には正確だったと考えていた: 気象観測用気球かそれに似たデバイスが牧場から回収され、それまでにそういった装備を見たことがなかった隊員がそれがメディアに報告されている「空飛ぶ円盤」の一つかも知れないと考えた。気球実験とそれらの装備を見た経験のある隊員が物体を見たとき、誤認が明らかになり、そして訂正がメディアに発表された[1]

モーグル計画の実験が空軍報告の中に完全に記述され、それに続いて計画当事者たち、特にチャールズ・B・ムーアCharles B. Mooreによって飛行の再現がなされて[25](Ch.3)、コーフをはじめとする批評家たちは、目撃者たちが実際にはこの実験の一部を叙述していたことを示した。「疑問はいまやどのタイプの空想上の「地球外の」空飛ぶ円盤が、凧棒、その上に貼られたシンボルが印刷されたテープ、アルミフォイルでできているか?というものになった。答えはおそらくそんなものない、というものだ。しかしこれらはモーグル計画のデバイスの正確な構成要素である!」[17](p.155)。

プロのUFO本の一部は、ロズウェル航空基地で高度に訓練された軍隊員、特にマーセルがありふれた気球の残骸を「この世界に存在しない」何かと取り違えることなどありえないことを示している。The Roswell Filesウェブサイト[27]の人たちのような批評家たちは次のような指摘をする。「空飛ぶ円盤」という用語が創られたその時から、対象がどのような外見である「べき」かについての可能性がなくなった[28]。そして「空飛ぶ円盤」と呼ばれる対象は当時回収されたが、その記述と類似性を持たなかった[7]。トッド[29]とプリンティも1947年にはレーダーが比較的革新的であったこと、そしてロズウェル基地は惑星上で唯一の核配備基地であったけれども、そこはまだレーダーを配備していなかったことを指摘した。目撃者たちによって叙述された残骸の一部はレーダー関連の装置と一致する[30]。さらに、モーグル気球隊列に使われた特定のレーダー標的は革新的で当時アメリカで一般的に使われていたものではなかった[31](p.164)。ジェシー・マーセルの軍の記録に、気球隊列に使われた物体に触れる何らかの体験があったという証拠はない。マーセルがレーダー「凧」デバイスであるように見える物体を自分が回収した物の一部として認めたことから、この種の装置を単純によく知らなかっただけだと後に認めるのは彼にとって恥ずかしすぎたのだろう、と批評家たちは主張する。

目撃談にまつわる問題

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何百人もの目撃者たちがさまざまな研究家たちによってインタビューされた。これは印象的な数字だ。しかし実際に残骸または異星人を見たと主張する真の「目撃者」たちの少なさは同じぐらい印象的である、と批評家たちは指摘する。ほとんどの「目撃者」たちは実際には他人の主張を繰り返していて、彼らの証言はアメリカの裁判所では認められない伝聞証拠となるであろう、とコーフは言う[17](p.29)。コーフによると、The Roswell Incident のためにインタビューされたと主張されている90人の目撃者のうち、25人の証言だけが本の中に現れ、7人だけが実際に残骸を見ていた。これらのうち、5人が残骸に触れている[17]

最近のカール・T・フロックKarl T. Pflockは、彼の2001年の本[31]の中で、ランドルとシュミットのUFO Crash at Roswellについて同様の指摘をしている。約271人の人々が本書のために「接触されインタビューされた」人として本の中にリストされており、この数は匿名のままを選択した人たち、その他、を含んでいないため300人以上の「目撃者」たちがインタビューされたことを意味する。著者たちが頻繁に引き合いに出すとフロックが言う数字がこれである[31](p.176)。フロックによると、これらの300人強の個人のうち、41人だけが「ロズウェルまたはフォートワース陸軍飛行場の中または周りで出来事を真性に直接にまたは間接に目撃したと考えられ」、23人だけが「フォスター牧場から回収された残骸、物理的証拠を見ていたと筋を通って考えられる」。フロックによると、これらのうち7人だけが残骸がこの世のものとは思えない起源を持つとの何らかの示唆を断言している[31](p.177)。

異星人を見たと主張する人たちからのいくつかの話について、批評家たちはこれらの話に次のような問題を認めている。また聞きの話の信頼性(パピー・ヘンダーソン、エクソン准将、その他)から、明白に偽の主張をするまたは複数の矛盾した話を作る目撃者たちについての深刻な信用性の問題(ジェラルド・アンダーソン、グレン・デニス、フランク・カウフマン、ジム・ラグズデイル)、疑わしい死の床での「告白」や高齢で明らかに混乱した目撃者(エドウィン・イーズリー少佐Maj. Edwin Easley、ルイス・リケットLewis Rickett)からの話まで[17](ch.3)。

フロックは2001年の手記で、異星人の死体の直接の知識を持ちロズウェルの著者たちによってインタビューされて認められたのは以下の四人だけの人々である、と記した: フランク・カウフマン; ジム・ラグズデイル; アルバート・ラヴジョイ・デュラン中佐Lt. Col. Albert Lovejoy Duran; ジェラルド・アンダーソン[31](p.118)。デュランDuranはThe Truth About the UFO Crash at Roswell の簡潔な脚注の中で言及されてから再び言及されたことはないが、フロックによると、他の3人は全員深刻な信用性の問題を持つ。

さらに、特定の著者たちが自分が支持するシナリオに合わない話を採用している、とフロックは指摘する。たとえば、フランキー・ロウFrankie Roweの話は、消防士だった彼女の父と彼のクルーが異星人の墜落現場に出動したと言う。しかし同じ本は極秘の軍に率いられた作戦を叙述する他の話を採用する。「"これらの話は"壁に全てのものを投げて何がくっつくか見る、というようなアプローチの一部として含まれるものと思われる…」[31](p.63)。

全ての目撃談にある基本的な問題は、それらが全て問題の事件の少なくとも31年後にもたらされ、多くの事例では事実の40年以上後に詳しく話された、ということである、と批評家たちは非難する。これだけ古い記憶は信頼性が疑わしいだけでなく、それらは彼らがそれまで聞いてきた他の話からの混入も受けやすかった、と批評家たちは言う[1]

最後に、1947年に回収したものが「この世界のものではない」と最初に疑ってこの事件への興味をスパークさせたジェシー・マーセルと、父がフォスター牧場で残骸を発見したビル・ブレイゼル・Jrという、二人の主張が転換されたことは、彼らの主張の信頼性に深刻な疑いを投げかける。

ティモシー・プリンティTimothy Printyは、マーセルはフォートワースで撮られた写真に彼と一緒に写る物体が彼が回収した残骸の一部であることを明確に認めている、と指摘する[7]。この残骸については懐疑論者たちもUFO擁護者たちも気球デバイスからの残骸であると合意している。

マーセルはThe Roswell Incident の中でこう言っている。「実際は、この物体はスズ箔とバルサ材に似ていたようだが(強調は原文)、しかし類似性はそこで終わっていた」。そして、「彼らは何らかの面白くない金属製の残骸を支える床の上で私の一枚の写真を撮った...その一枚の写真の中の材料は我々が見つけた実際の材料の破片だった。それは上演された写真ではなかった」[14]

彼は一緒にポーズを取っていた物体が気球隊列の物体であるという指摘を受けた後、その物体は自分が回収したものでなかったと言うように話を変えてきた[7]。ロバート・G・トッドRobert G. Toddのような懐疑論者たちは、マーセルが、一人のパイロットであったと主張したり五つのエアメダルを受け取っていたりと、潤色と誇張の歴史を持っていたと主張する。そして彼の発展していくロズウェルの話はこれのもう一つの実例であった[32]

マーセルと同様、ビル・ブレイゼル・Jrには彼の最初の話を潤色した罪がある、とプリンティは責める[33]。マーセルと同様、彼は最初は、後に他の者からの話で言及された、地面にある溝のようなものには何ら言及をしていなかった[14]。しかし後の話が深い溝を出現させてそこから異星人と彼らの乗り物が回収されたと主張するにつれ、ブレイゼルの話も変わっていき、1980年代後期にはこう言っていたほどである:「このことはそこを通るすごいわだちを作った。そのせいで牧草が戻って回復するのに1年か2年かかった」[21]

怪しい「隠蔽」と脅迫の話

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ギルデンバーグのような懐疑論者にとって、隠蔽と目撃者の脅迫の話は迷惑な証言、特にマック・ブレイゼルの証言を言い逃れる試みでたくらまれた。彼の1947年からの話は、額面通りに受け取れば、誤認定された気球の残骸を示す、と彼らは言う。

UFO研究家は、残骸が単なる「気象観測用気球」だったとする報告に信用を与えるために、ブレイゼルが回収した残骸についての叙述を変えるように彼が脅迫された、と主張する。多数の目撃者の陳述は軍に拘置されたブレイゼルを叙述する。しかし、何十年も後からの目撃者の報告とは対照的に、懐疑論者たちは次のように主張する。当時の話によると、マック・ブレイゼルが記者会見に到着したとき、軍の護衛者と一緒ではなく、リポーターW・E・ホィットモアW. E. Whitmoreと一緒だった。ブレイゼルと一緒にいるホィットモアの存在は多くの他の目撃者たちによって確認されている。目撃者の中には、ブレイゼルが彼の父の家で一晩泊まっていたのを見たと思い出しているホィットモアの息子[31](p.154)と、ホィットモアは記者会見に出席し、そこで彼は「ほかの報道関係者からブレイゼルを遠ざけるのに彼のベストを尽くし」、そのため彼のインタビューが「スクープ」のままであったのだろう[31](p.170)[34]、と言う記者ジェイソン・ケラヒンJason Kellahinも含まれる。ブレイゼルが脅迫されていたことを示すのに使われる一つの目撃談は、ロズウェル・デイリー・リコード紙の編集者ポール・マケヴォイPaul McEvoyがもたらしたものである。彼はブレイゼルが軍の護衛者と一緒に到着したと言っている。しかし彼の自身の新聞がブレイゼルはホィットモアを伴って到着したと言っていることから、マケヴォイは隠蔽の一部を担っていたことにならなくてはいけないと思われる、とプリンティは指摘する[34]

威嚇と脅迫があったとする他の主張については、フロックによると「五つの話がある、五人―そういった断言をする人たち」[31](p.171)。フロックによると、これらの話はどれも「単純に信頼できない」ものであり、特にウィルコックス保安官とその妻イネスInezの孫、バーバラ・ダガーBarbara Duggerからの話は信頼性に欠ける。バーバラは問題の出来事の数十年後に彼女の祖母が、事件について誰かに話したら死があると軍によって夫妻が脅された、と彼女に話したと主張した。しかしダガーの母、父、おばは、三人とも軍が彼女の祖父母を訪れた時にそこにいたのに、誰も死の脅迫について何も言っていない。

軍はメディアの販売店の捜索をし「それの出来事に関するあらゆることについて書かれた新聞の全てのスクラップ」を除去したということが主張されている。しかしフロックによると、その主張は一つの情報源―リポーターフランク・ジョイスFrank Joyce―からのものであり、他のメディア職員―この話を報じたKSWSラジオの局長、ジョージ・ウォルシュGeorge Walshを含む―は誰もいかなるそういった捜索についても思い出していない[31](p.173)。

トマス・デュボーズ大佐がUFOの残骸が気象観測用気球の物体にすり替えられたことを認めていると思われるもう一つの「隠蔽」の主張についても、コーフのような懐疑論者たちは疑わしいところを見つけている[11]

デュボーズは1947年にフォートワースで残骸とともにポーズを取っていた人の一人である。プリンティによると、彼が署名した陳述は「隠蔽」を認めるけれども、この陳述は物体がすり替えられたことは示さない[7]。デュボーズにとっては、隠す話があったことは自明であると思われた―しかし何か別の秘密の軍の計画(たとえばモーグル計画)を保護するよう意図されたのであって、異星人の乗り物を回収したことの証拠を隠すためではなかった。プリンティは、研究家たちが正確には何が「隠蔽」されていたのかを彼に直接訊ねないことによって、異星人の物体と残骸がすり替えられたことの隠蔽があったことをデュボーズが確認したと信じるように読者を誤った方向に導いたとして非難する。後にデュボーズは、UFO研究家ジェミー・シャンデラJamie Shanderaに残骸がすり替えられたのかを直接問いただされ、彼はすり替えが行われたことを強く否定した[17]

シャンデラ 「二人の研究家"ケヴィン・ランドルとドナルド・シュミット"がいて、彼らはレイミー准将のオフィスにあった残骸はすり替えられて、あなたたちは気象観測用気球を持っていたと言っていますが」
デュボーズ 「でたらめだ!あの物体はすり替えられてなんていない!」
シャンデラ 「すると、あなたが言っているのは、レイミー准将のオフィスにあった物体はロズウェルから提出された本物の残骸だった、ということですね?」
デュボーズ 「まさしくその通りだ」
シャンデラ 「レイミー准将か他の誰かか、あなたに知られることなくすり替えを命令できた人はいますか?」
デュボーズ 「…私はそこにいたし、私にはあの物体についての責任があったし、それは決してすり替えなんてされていなかった」

ギルデンバーグ、プリンティおよび多くの他の懐疑論者たちによってなされた隠蔽に反対するもう一つの主張は、まさに軍が隠蔽しようと試みたと推測される「空飛ぶ円盤」そのものを公表するプレスリリースを軍が発表したという事実である[8]

食い違う結論と疑わしい調査・神話としてのロズウェル

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非常に多様な墜落した飛行物の主張があることは何年にも及ぶ出来事が一つの出来事へと組み込まれていったことを示すこと[1](p.66)、そして多くの著者たちが異星人を示すあらゆる事がらを、話が互いに矛盾する時でさえ、無批判に採用していること、を批評家は指摘する。ロズウェル異星人事件のかつての擁護者である、カール・フロックは言った: 「ロズウェルの事例は量が質に打ち勝つことの古典的な例である。墜落した円盤の話の擁護者たちは...単純に彼らの見かたを支持すると思われる全ての事がらを「証拠」というしるしをつけた箱の中へと放り込んで、「分かるかい?全てのこの資料を見たまえ。我々は正しくなくてはいけない 」(強調は原文)と言う。矛盾について何も考えない。独立な支持する事実の欠如について何も考えない。露骨な不条理について何も考えない」[31](p.223)。

カル・コーフは、多くの研究家は有能な仕事をしていないのに、一部の者にとってロズウェル異星人の考えを促進することには明確な刺激があることを示した: 「UFOの分野は他人、特にお金を払う大衆、の騙されやすさを利用しようとする人々によって構成される。歯に衣を着せずに言わせてもらうと: ロズウェルUFO神話はUFOグループ、出版社、ハリウッド、ロズウェルの町、メディア、そしてUFO学...、にとって非常に良いビジネスなのである。科学とその訓練された手法を駆使する研究家の数はぞっとするほど小さい」[17](p.248)。

ギルデンバーグたちによると、合計11地点の異星人回収現場[1]が報告されており、これらの回収物は1947年に最初に報告された出来事と限られた類似性しか持っていないか、最初の目撃者たちによって後に数えなおされたものである。これらの新しい話の一部は、1948-50年に近辺で起こった四つの軍飛行機墜落からの怪我人および死亡者を回収したいくつかの知られている事件と混同した話であろう[35]。他は、空軍報告の中で示されているように、テストダミーの回収であろう。

チャールズ・ジーグラーはロズウェルの物語は全て伝統的な民俗説話、物語的意味での現代の神話、のホールマークを持っていると主張した[25](p.1,34)。彼はThe Roswell Incident (1980)に始まり物語作家による伝達の過程を経た、六つの別個の物語を同定した。核となる話は、さまざまな目撃談から創造され、グループ(UFOコミュニティ)の伝統を維持する人たちによって形成され整形された。他の話は核となる物語を拡張するために探し出されてきた。核となる信念のラインにない話を与える人たちのものは「門番」たちによって拒否されたか脱落させられた(p.37)。他の話はこの物語を新しい形で再び語り、この過程は繰り返すのだろう。

サブカルチャー(UFOコミュニティ)の特定の信念はそのままである(政府は異星人来訪の証拠を一般に出さないよう陰謀をたくらんでいる、異星人は小型のヒューマノイドに似ている、etc.)ことに注意しつつ、特定の他の信念は、神話の共著者としてふるまうサブカルチャーとコミュニティのあいだの変化を反映して改められている。「たとえば、ロズウェル神話の各バージョンの中でバーネットと考古学者たちが(ソコロ近くの)サンアグスティン平原の墜落現場に出くわしたときの部分(バージョン1に紹介された)が三ステップの変化を受けたところにおいてそういった改変が起こった: バージョン3では、バーネットと考古学者たちはフォスター牧場の墜落現場にでくわす; バージョン5では、バーネットと考古学者たちは抹消されるが、しかし「ロズウェルの35マイル北」の墜落現場に出くわす新しい考古学者たちが導入される; そしてバージョン6では、サブプロット全体が抹消される」(p.39)。

残骸が気象観測用気球にすぎないと考えていた、シェリダン・キャヴィットによる証言のほとんど全体が脱落していることは、神話構築のさらなる証拠である。彼の話がサブカルチャーの物語と食い違っていて、そのため「門番」たちによって脱落させられ拒否されたのだ。ジーグラーはこう言った。「これらのバージョン(Crash at Corona と二冊のランドル/シュミットの本)におけるキャヴィットによる陳述の欠落は彼の近づきがたさのせいだったのではないと思われる…むしろ、彼の陳述のほとんどが無視されたように見える…この件についての彼の陳述はそれらが「好ましくない」―すなわち、それらが伝統的な慣習とUFOコミュニティの信念に反する―からロズウェル神話のさまざまなバージョンから脱落させられたと推測するのが妥当である」。(p.45)

最近の進展

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専門的なUFO研究者による否定

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ロズウェルUFO事件についての空軍報告がすぐさまもたらした成果の一つは、一部の著名なUFO研究家たちがロズウェル事件にいかなる異星人の乗り物も関わっていなかったと考えるよう決めたことであった。

最初の空軍報告はこれへの主要な理由であったが、もう一つは1948年の秘密文書の公開であった。その文書は、トップの空軍役人がメディアに報告されていたUFO物体が何であるのかを知らなかったことと、それらがソビエトのスパイビークルであるかもしれないと彼らが疑っていたことを示している。

1997年1月、著名なプロUFO研究家の一人である、カール・T・フロックはこう言った。「私の調査と他の者の調査に基づき、ロズウェルの一般的な近辺においてあるいは1947年にサンアグスティン平原の上に、単数または複数の空飛ぶ円盤がなかったとする絶対的証拠がないとこともありうる、ということ私は確信している。マック・ブレイゼルによって見つけられた残骸は…、極秘のモーグル計画からの確かな何かのほかはみな、非常に地球的な何かの遺物であった…。かつて極秘扱いだった1940年代中盤から1950年代初期までを通じて空飛ぶ円盤の謎を解く責任があった空軍上位幹部たちのあいだの通信と議論の記録がある。これは、彼らはいかなる墜落した円盤の残骸や円盤の乗組員の死体も持っていなかったが、しかし彼らはそういった証拠を得る見込みがなかったことを明白にしている…」[要出典]

ビル・クリントン大統領に、ロズウェル事件についてのあらゆる政府の情報を機密解除する大統領命令を発行するよう求める請願を組織したケント・ジェフリーKent Jeffreyも、同様に異星人は関わっていなかったらしいと結論付けた[36]

もう一人の著名な著者、ウィリアム・L・ムーアは、1997年にこう言った: 「ロズウェルに関する最近の発展を深く注意深く考慮した結果...私はもはやこの出来事にとって地球外の説明が最良の説明であるという意見を持たない」。ムーアはロズウェルについての最初の本、The Roswell Incident の共著者であった[要出典]

明らかになりつつある調査の不正とでっち上げ

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同じころに、二人の著名なロズウェルの著者の間に深刻な亀裂が生じていった。ケヴィン・D・ランドルとドナルド・R・シュミットは対象についての数冊の本を共著で出し、スタントン・フリードマンと並んで、ロズウェル事件への指導的研究家として、一般的に認められていた[36]。事件についての空軍報告が示すところでは、行われたと主張される基本的な調査が行われていなかった。これは1995年のオムニ誌の記事で立証された事実である[10]。さらに、シュミットは彼が学士号、修士号を持っていて犯罪学の博士課程に従事している途中であると主張していた。彼は医学画家であるとも主張していた。検査が行われたとき、実際は彼はウィスコンシン州ハートフォードの郵便集配人であり、知られている学術的な資格を何も持っていなかった。同時に、ランドルは公的にはシュミットおよび彼の調査から距離を置くことにした。目撃者デニスによるロズウェル基地での消えた看護師の話についてのシュミットの調査を引き合いに出して、彼は言った: 「看護師への調査は彼(シュミット)があらゆることについて嘘をつくことを証明する。彼はあらゆる人に嘘をつく…。彼は自分が虚言癖の持ち主であることを明らかにする…。私はもう彼と何かするということはない」[37]

さらに、数人の顕著な目撃者たちがでっちあげを犯している、あるいは犯していると疑われていることが示された。フランク・カウフマンは1994年のランドルとシュミットの本The Truth About the UFO Crash at Roswell における異星人の報告の主要な情報源であり、彼の証言は空軍報告が編纂されたときに彼らによって「無視」された[38]。しかし、彼が2001年に死亡した後、彼が文書を偽造しロズウェルでの彼の役割を膨らませていたことが示された。ランドルとマーク・ロドガーMark Rodeghierは2002年の二つの記事の中でカウフマンの信用性を否定した[39]

ロズウェル異星人の死体解剖がロズウェル基地で行われたことと彼と他の者たちが脅しを受けたことを証言した、グレン・デニスも疑われている。1998年にランドルはデニスを「最後の信用できる」ロズウェルの目撃者の一人だと考えた。ランドルとシュミットの1991年の本UFO Crash at Roswell の中で、デニスの話は目立って取り上げられていた。しかし、ランドルはデニスが「我々が看護師が存在しないことを証明するやいなや彼女の名前を変えてきた」ために信用できないと言っている[40]。デニスの話は研究家フロックによっても疑われている[要出典]

写真分析・ドキュメンタリー・新主張

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UFO研究家デヴィッド・ルディアックDavid Rudiakは、1947年の残骸を撮った写真の一つに写っている一片の紙が異星人が回収されたことを認める文章を含んでいると主張した。彼らは拡大したとき、レイミー准将が彼の手の中に握る紙の上の文章が「残骸の犠牲者victims of the wreck」の語を含み、他の句は墜落した乗り物の回収という文脈であるように思われると主張する[41]。ところが、この文書の解釈は文字と語が不明瞭なために疑わしい[42]

2002年、アメリカのケーブルテレビen:Sci-Fi Channelは、ブレイゼルの現場で軍が収集し損ねた未回収のあらゆる見過ごされた残骸を探す発掘の資金を提供した。これらの結果は今のところ失敗であるけれども、ニューメキシコ大学の考古学者チームは、一部の目撃者たちが彼らが長い、線形の衝突溝を見たと言った正確な地点で最近土壌の擾乱があったことを立証した。クリントン大統領の下でアメリカ合衆国エネルギー省の長官を務めた、ニューメキシコ州のビル・リチャードソン知事は見たところこの結果を刺激的に受け取ったようだ。2004年、彼はThe Roswell Dig Diaries[43]の前文に、「この墜落にまつわる謎は適切に説明されたことがない―独立した研究者によっても、合衆国政府によっても」と書いた。

2002年10月にSci Fi Channelはロズウェルのドキュメンタリーを放送したが、その前に彼らはワシントンUFOニュース会議を開いた。クリントン大統領の首席補佐官ジョン・ポデスタJohn Podestaは、政府にこの対象についての文書を公開させるのを助けるためにSci-Fiによって雇われた広報活動会社のメンバーとして現れた。ポデスタはこう言った、「政府が25年以上古い記録の機密解除しこの事象の本当の性質を決定するのを助けるデータを科学者たちに提供するときがきた」[44][45]

2005年9月9日のインタビューの中で、前大統領ビル・クリントンは彼の任期でロズウェル事件へ関心を持っていたことを控えめに述べた。彼によると、彼らがそれを調査したのは事実だが、それは理性的な説明のつくものであると信じていてそれが起こったとは考えなかった。ところが、彼が下役やキャリア官僚たちによって欺かれた可能性があるという警告を彼はつけ加えた。もしそれが事実だとしたら、嘘をつかれていたあるいは決定的な情報を隠されていたアメリカ大統領は自分が最初ではなかっただろう、と彼は言った[46][47]

2005年2月、ABCテレビネットワークはニューズアンカー、ピーター・ジェニングスが司会を務めるUFOスペシャルを放送した。ジェニングスはロズウェルの事例を「少しも証拠がない」「神話」であるとして非難した。ABCは事件が単にモーグル計画の気球の墜落から起こったという空軍の説明を支持した。

2005年11月、アメリカ国防情報局(DIA)の中の高レベルグループの人々に属すると主張する匿名の情報源は、サーポ計画に関すると主張される情報を流し始めた。この流された情報は1947年7月にニューメキシコ州に墜落した二機の地球外UFOがあったことを認めると主張されている。サーポ計画はさらに一体の生き残った異星人の実在があったという主張を流す。主張によると、この異星人およびその故郷世界とのあいだに意思疎通が確立された。その異星人は5年に渡って生き続け1952年に死んだ。意思疎通は、レティクル座ゼータ星系にあると主張される故郷世界と続けられ、それは1965年と1978年の間の交換プログラムの合意を導いた。

Witness to Roswell (2007)

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2007年、ドナルド・シュミットと彼の新しい調査の相方であるトム・キャリーTom Careyは彼らが二人でなした最初の主要な仕事、"Witness to Roswell"を出版した[48]。この本の中で、著者たちは「引き続き増加していっている600人を超えるロズウェルでの出来事に直接または間接に関係する人々が最初の話―空飛ぶ円盤が回収されたという最初の主張―を支持している」と主張する[48](p.38)。

謎めいた物体の墜落について新しい日付が示された―1947年7月3日木曜日の午後[48](p.21, 127)。そして、以前の本とは違って、ブレイゼルは残骸をコロナの街へと持っていき、その街の地元の酒場、金物屋、およびその他の場所で彼は人々に断片を見せ、南のキャピタンでは物体の一部は7月の第四回ロデオで置かれることになる[48](p.48-9)。ブレイゼルが7月6日に最後にロズウェルへ行って発見を報告する前に多数の人々が残骸の牧草地を訪れ記念品を持ち出したと記述されている。いったん軍が残骸に気づくと、それらの記念品を回収するのに広範囲の努力がかたむけられた: 「牧場の家々がくまなく捜された。家畜小屋の木製の床は板を次々に剥がされて覗き込まれ、地下フルーツ冷蔵室は全てのそれらの中身をカラにされた」[48](p.51)。

その後の出来事の推移はそれ以前に記述された出来事と似ているけれども、この本は異星人が回収された場所をフォスター牧場へと戻した。そこは1991年のUFO Crash at Roswell で言及されたのと同じ場所である。しかし、この時点でバーネットと考古学者たちはいないことになっている。シュミットと以前の相方ランドルが1994年のThe Truth about the UFO Crash at Roswell においてバーネットの主張を否定させる原因となった、バーネットの話にあった「大きな問題点」に触れながら、新しい本は1994年の本で言及されたロズウェル付近の地点は「いんちきということになった。それが一人の目撃者だと主張する人"フランク・カウフマン"の証言に基づいており、彼自身が偽情報の調達人であったことが後に発見されたからだ」とも記している[48](p.126-7)。1994年の本の冒頭で、彼による異星人の話が取り上げられ、一部の考古学者たちと一緒にいたと主張されていたジム・ラグズデイルは、新しい本では言及されていない。

この本によると、ブレイゼルは全ての本に記述がある残骸があった牧草地の近くで「二人か三人の異星人の死体」を見つけたとし、壊れた異星人の乗り物の他の部分およびそれと一緒にいる乗組員の残りを記述する。それはロズウェルの北北西40マイルに墜落する前に約30マイルほど飛んだままだった。著者たちは2005年にこの最終墜落現場を特定したと主張する。そこは「さらなる二人か三人の死んだ異星人と一人の生きた異星人が民間の考古学者たちによって発見された」場所でもあった[48](p.127-128)。この本はこの「新しい」墜落現場についてこれ以上は触れていない。この本は複数の新しい話を提示し、異星人がフォスター牧場にいたこと、さまざまな格納庫にいたこと、および謎めいた状況の下で輸送されたコンテナの中にいたことを示した。

1947年に「空飛ぶ円盤」を公表するプレスリリースを発表した人物である、ロズウェル基地の元報道官ウォルター・ホート大尉は、隠蔽があったことと彼が基地の格納庫で異星人の死体を直接見たことを記述する宣誓供述書に署名していた。この宣誓供述書は2002年に署名され、2005年に彼が死んだ後に発表された[48](p.215-7)。イライアス・ベンジャミンElias Benjaminによる新しい直接の目撃談は、ロズウェル基地の病院へと運ばれる担架の上の異星人を叙述する[48](p.136-140)。もう一つの目撃談は、異星人の死体が担架の上に安置された調査室へと連れて行かれた人物と言われていた、ロズウェル基地の書記官ミリアム・ブッシュMiriam Bushによってもたらされた[48](Ch. 12)。20年近く前のグレン・デニスの話と同様に、ブッシュの話は異星人がロズウェル基地にいたとする。この本はデニスについて、彼は嘘を話していたことが判明しており、従って信用できない証言の供給者であるのだが、それにもかかわらず彼が事件のほかの関係者と話をしたは、ロズウェル事件が異星人と結び付けられていく70年代後期よりずっと前である、とも記している[48](p.135)。

文化への影響

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一般娯楽におけるロズウェル事件

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人々の関心と想像力をかきたてることになったロズウェル事件は、アメリカだけでなく、世界各国のサイエンスフィクション映画、テレビシリーズ、ビデオゲーム、本、および音楽のありふれた対象となった。

テレビドラマ/映画

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ケヴィン・D・ランドルとドナルド・R・シュミットの1991年のノンフィクション本『UFO Crash at Roswell』は1994年のアメリカのテレビ映画『Roswell』の原作となり、同作にはマーティン・シーンカイル・マクラクランが出演した。この作品はゴールデングローブ賞の作品賞(ミニシリーズ・テレビ映画部門)にノミネートされたが、受賞はしなかった[49]。1999年から2002年までには「Roswell(邦題:「ロズウェル 星の恋人たち」)」と呼ばれるアメリカのテレビシリーズが、元々はThe WB Televison Network上で後にUPN上で、放送された。日本ではディズニー・チャンネルにて2010年10月3日から放送されている。

en:Melinda Metzの『en:Roswell High』という児童書のシリーズに基づき、この番組はロズウェルの墜落で生き残り人類の若者の容姿を帯びる4人の地球外生命体を追った。配給された子供向けアニメ「en:Roswell Conspiracies: Aliens, Myths and Legends」(1999年~2000年)は、en:Bohbot Kids Networdによって数ヶ国に配信され、2001年には同タイトルのPlayStationのビデオゲームが発売された。

ロズウェル事件はアメリカのSFテレビ番組『ダークスカイ』(1996年~1997年)、『en:Seven Days』(1998年~2001年)、『Xファイル』(1993年~2002年)、『TAKEN』(2000年)、『スタートレック:ディープ・スペース・ナイン』(1993年~1999年)、および『スターゲイト SG-1』(1997年~2007年)でも大きく取り上げられた。

アニメシリーズ『フューチュラマ』のエミー賞を受賞したエピソード「en:Roswell That Ends Well」においてロズウェル事件を大きく取り上げた。そこではプラネット・エクスプレスのクルーが1947年に行くことになり、事故で粉々になったベンダーがUFOと間違われ、空飛ぶ円盤へと再び組み立てられてしまうが、1995年の偽物のロズウェル異星人解剖フィルムのそれと似た、異星人の死体解剖が、ドクター・ゾイドバーグによって行われる。

イギリスのSFテレビシリーズ『ドクター・フー』では、「'Dalek'」というエピソードで、ロズウェルの宇宙船の走行距離計を含む、異星人の人工遺物の博物館を取り上げ、博物館の館長はブロードバンドがロズウェル墜落現場で見つけられた技術から発展したということも明らかにした。ロズウェルに関係する映画はウィル・スミスビル・プルマンが出演する『インディペンデンス・デイ』とen:Norman Lovettが出演する『Roswell 1847』がある。日本のアニメシリーズ『serial experiments lain』にもロズウェル事件を扱ったエピソードがある。

小説

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ロズウェル事件について書かれた数冊の小説があり、ホイットリー・ストリーバーの『Majestic』(1989年)、Kevin D. Randleの『Operation Roswell』(2004年)、およびen:Sonny Whitelawの『en:Stargate SG-1: Roswell』(2007年)などがある。ユーモラスなen:Bongo Comicsシリーズの『en:Roswell, Little Green Man』は、1996年から1999年まで連載され乗り物から回収された地球外生命体の事故死を追った。en:Grant Morrisonによる、コミック・ブックシリーズ『en:The Invisibles』(1994年~2000年)は、その第二巻においてロズウェル事件の広範囲な使用をしている。ロズウェルの異星人と残骸はen:Mario Acevedoの低俗シリーズフィクションとヴァンパイアとなった退役兵がヴァンパイアハンターと地球外の異星人の謎めいた技術のかけらに束縛されるファンタジー小説『The Nymphos of Rocky Flats』でも重要な役割を演じた。

秋山瑞人ライトノベルイリヤの空、UFOの夏』(2001年~2003年)においては、このロズウェル事件から半世紀以上経っても未だに人類が異星人と秘密裏に戦い続けているという設定になっている。

音楽

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米国のヘヴィ・メタル(HM)バンド、メガデスは1990年にロズウェル事件を題材にした楽曲「Hangar 18」および、同曲に関するビデオ作品を発表した。同曲を収録したアルバム(『ラスト・イン・ピース』)と、シングル・カットされた同曲は1991年および1992年のグラミー賞の個別部門にノミネートされ、米国内外での知名度も高い。

米国のHMバンド、フー・ファイターズは彼らのレコードレーベルをRoswell Recordsと命名し、2005年にロズウェル空軍基地の場所でコンサートを開いた[50]

スウェーデンのデスメタルバンドHypocrisyは楽曲「Roswell 47」を発表した。

『Area 51: The Roswell Incident』という環境音楽集CDが1997年にリリースされ、カナダのSynæsthesia、英国のHawkwind、およびドイツのタンジェリン・ドリームといったグループを取り上げた。「エリア51」の名前は他のUFO陰謀説に関連するネヴァダ州南部の空軍基地にちなむ。

Pitchshifterも"Hangar 84"と題されたロズウェル事件についての曲を出している。

テレビゲーム

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さらに、ロズウェルはコンソールゲーム『トニー・ホーク プロスケーター』におけるラストステージであり、1996年のPCアドベンチャーゲーム『en:The Pandora Directive』はロズウェルと異星人をゲームプロットのキーパーツとして取り上げた。『デストロイ オール ヒューマンズ!』では、プレイヤーは異星人クリプトとなってロックウェルという街に訪れる。

脚注

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注釈

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  1. ^ 事件は、1947年9月18日にアメリカ陸軍航空隊が陸軍から独立してアメリカ空軍となる前の話であることに注意。
  2. ^ 2002年にアメリカのテレビ局であるThe Sci Fi Channel(現 Syfy)が、ニューメキシコ大学の考古学者と共に墜落現場を調査してテレビ映画「The Roswell Crash : Startling New Evidence」を制作し記念碑を建立した。
    その記念碑の場所。
    (現在は記念碑が無い。また、以前はすぐ横に高さ数mの積石があったが、現在は崩れている)
  3. ^ Googleストリートビューに、この場所の「360°写真」あり。
  4. ^ 英語版ウィキペディアの「Roswell UFO incident」などに記載してある座標に対して、西南西の方向に直線距離で約7km離れた場所。
  5. ^ 1991年10月に日本テレビ系列の木曜スペシャルで放送された「矢追純一 UFOスペシャル第4弾 生きた宇宙人がつかまった!?」で第2墜落現場として紹介された場所。
  6. ^ ブレイゼルが見つけた物体が実際に6月14日またはその前後に最初に見られたのであれば、異星人の乗り物の回収を示す著者たちによって示される多くのシナリオが妥当でないだろう。これらのシナリオのほとんどが6月の初旬の日々に地球へと落ちた物体を見たあるいは聞いた人たちからの目撃言及をもたらすからである。正確な日付の問題はモーグル計画のデバイスが残骸の起源と示す人たちには問題にならない。最も頻繁に引用された残骸の気球隊列の起源は6月初旬に放球され、その後に見つかったいかなる残骸もそれに由来しうるからである。

出典

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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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