レオノール・ドルレアン=ロングヴィル
表示
レオノール・ドルレアン Léonor d'Orléans | |
---|---|
ロングヴィル公 | |
在位 | 1551年9月22日 - 1573年8月7日 |
出生 |
1540年 |
死去 |
1573年8月7日 フランス王国、ブロワ |
埋葬 | フランス王国、シャトーダン |
配偶者 | エストゥトヴィル女公・サン=ポル女伯マリー・ド・ブルボン |
子女 | 本文参照 |
家名 | オルレアン=ロングヴィル家 |
父親 | ロトラン侯フランソワ・ドルレアン=ロングヴィル |
母親 | ジャクリーヌ・ド・ロアン |
レオノール・ドルレアン=ロングヴィル(フランス語:Léonor d'Orléans-Longueville, 1540年 - 1573年8月7日)は、ロングヴィル公、シャトライヨン公、ロトラン侯、モンゴメリー伯、タンカルヴィル伯、アブヴィル子爵、ムラン子爵、ヌーシャテル伯およびヴァランガン伯。ピカルディーおよびノルマンディーの総督、およびユグノー戦争において司令官をつとめた。
生涯
[編集]レオノールはロトラン侯フランソワとジャクリーヌ・ド・ロアン=ジェの息子である[1][2]。ロングヴィル公ルイ1世の孫にあたり[1]、従兄弟フランソワ3世の死によりロングヴィル公位を継承した。レオノールはエストゥトヴィル公・サン=ポル伯フランソワ1世・ド・ブルボンの娘でエストゥトヴィル女公のマリーと結婚した[3]。
レオノールはラ・ロシェル包囲戦の後、1573年にブロワで死去し[4]、シャトーダンに埋葬された。
子女
[編集]マリー・ド・ブルボンとの間に以下の子女が生まれた。
- アンリ1世(1568年 - 1595年) - ロングヴィル公[3]
- フランソワ(1570年 - 1631年) - フロンサック公、サン=ポル伯[3]
- アントワネット(1572年 - 1618年) - レッツ公シャルル・ド・ゴンディと結婚[3]、レッツ公アンリ・ド・ゴンディの母。
- エレオノール(1573年 - 1639年) - 1596年にシャルル・ド・ゴワイヨン・ド・マティニョン(1564年 - 1648年)と結婚
- 2人の未婚の娘
脚注
[編集]- ^ a b Potter 1995, p. 373.
- ^ Carroll 1998, p. 47.
- ^ a b c d Potter 2004, p. 133.
- ^ Potter 2004, p. 58.
参考文献
[編集]- Carroll, Stuart (1998). Noble Power during the French Wars of Religion: The Guise Affinity and Catholic Cause in Normandy. Cambridge University Press
- Potter, David (1995). A History of France, 1460-1560: The Emergence of a Nation State. St. Martin's Press
- Potter, David, ed (2004). Foreign Intelligence and Information in Elizabethan England: Two English Treatises on the State of France, 1580-1584. Cambridge University Press
|
|
|