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サン=ポル伯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

サン=ポル伯(フランス語:Comté de Saint-Pol)は、現在のパ=ド=カレー県のテルノワ地域を支配したフランスの伯爵。アルトワ伯領およびブローニュ伯領の間に位置し、その名は首都であったサン=ポル=シュル=テルノワーズからつけられた。サン=ポル=シュル=テルノワーズはもともと広く深い堀に囲まれた、二つの高い城からなる要塞を起源とする。

歴代サン=ポル伯

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カンダヴェン家(Maison de Campdavaine

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  • ロジェ(1031年 - 1067年) - 出自不詳。初代サン=ポル伯。アドウィド(Hadwide)と結婚し、マナセとロベールを儲けた。妻アドウィドおよびロベールは1051年以前に死去し、マナセも1051年から1067年の間に死去した。
  • ユーグ1世(1067年 - 1070年) - アルドル司祭ランベール(Lambert d'Ardres)の記述でのみ存在が確認できる[1]。1060年にクレマンスと結婚し、ギー、ユーグ、ウスタシュの3人の息子をもうけた。クレマンスはロジェの娘で、ユーグ自身はポンティユー家の出身とも考えられている[2]。1078年11月25日、教皇グレゴリウス7世はユーグ1世の3人の息子に「サン=ポル伯」の称号を与えた。
  • ギー1世(1070年 - 1083年) - ユーグ1世の子。継承時は年少であったため、母の再婚相手アルドル男爵アルノールが摂政をつとめた。1083年、未婚のまま死去、弟ユーグ2世が伯位を継承した。
  • ユーグ2世(1070/83年 - 1118/30年) - ギー1世の弟、エリセンド・ド・ポンティユーおよびマルグリット・ド・クレルモンと結婚。
  • ユーグ3世(1118/30年 - 1141年) - ユーグ2世の子
  • アンゲラン(1141年 - 1150年) - ユーグ3世の長男、1150年にアヴェーヌ領主ニコラの娘と結婚したすぐ後に死去、長弟ユーグはその数日前に死去していたため、次弟アンセルムが跡を継いだ。
  • アンセルム(1150年 - 1165年) - ユーグ3世の三男
  • ユーグ4世(1165年 - 1205年) - アンセルムの子、エノー伯ボードゥアン4世の娘ヨランドと結婚。
  • エリザベート - ユーグ4世の娘で女子相続人(1180年 - 1212年)。 ゴーシェ3世・ド・シャティヨンと結婚。

シャティヨン家

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リュクサンブール=リニー家

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ブルボン=ヴァンドーム家

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オルレアン=ロングヴィル家

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  • フランソワ3世(4世)- マリー2世とロングヴィル公レオノールの子
  • アンリ2世 - ロングヴィル公
  • ジャン・ルイ - ロングヴィル公
  • シャルル・パリ - ロングヴィル公
  • ジャン・ルイ(再位)
  • マリー - アンリ2世の娘

マリーは1705年11月17日に、エピノワ公ルイ1世・ド・ムランの寡婦エリザベート・テレーズ・ド・ロレーヌ(ジョワイユーズ公フランソワ・マリー・ド・ロレーヌの娘)にサン=ポル伯領を売却した。

ムラン家およびロアン=スービーズ家

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脚注

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参考文献

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  • G.-Er. Sauvage Histoire de Saint-Pol, Impr. de J. Degeorge, 1834.
  • Maur-François Dantine, Charles Clémencet, Nicolas Viton de Saint-Allais, Ursin Durand, François Clément L'art de vérifier les dates des faits historiques, des chartes, des chroniques et autres anciens monuments, depuis la naissance de Notre-Seigneur par le moyen d'un table chronologique ..., Valade, 1818. [1]
  • Eugène François Joseph Tailliar Recueil d'actes des XIIe. et XIIIe. siècles en langue romane wallonne du Nord de la France, Impr. de A. d'Aubers, 1849.

関連項目

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