ルートヴィヒ・オットー・ツー・ザルム
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ルートヴィヒ・オットー・ツー・ザルム Ludwig Otto zu Salm | |
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第5代ザルム侯 | |
在位 | 1710年 - 1738年 |
出生 |
1674年10月24日 アーヘン |
死去 |
1738年11月23日(64歳没) アンホルト城 |
配偶者 | アルベルティーネ・ヨハネッテ・フォン・ナッサウ=ハダマール |
子女 |
ドロテア・フランツィスカ・アグネス エリーザベト・アレクサンドリーネ クリスティーネ |
家名 | 上ザルム家 |
父親 | 第4代ザルム侯カール・テオドール |
母親 | ルイーゼ・マリー・フォン・デア・プファルツ |
ルートヴィヒ・オットー・ツー・ザルム(Ludwig Otto Fürst zu Salm, Wildgraf zu Daun und Kyrburg, Rheingraf zum Stein, 1674年10月24日 - 1738年11月23日)は、ドイツの諸侯。第5代ザルム侯(在位:1710年 - 1738年)。
生涯
[編集]神聖ローマ皇帝ヨーゼフ1世の侍従長だったザルム侯カール・テオドールとその妻でプファルツ=ジンメルン公エドゥアルトの娘であるルイーゼ・マリーの間の長男として生まれた[1][2]。1700年7月20日、ナッサウ=ハダマール侯モーリッツ・ハインリヒの末娘アルベルティーネ・ヨハネッテ(1679年 - 1716年)[3]と結婚し、間に3人の娘をもうけた。
- ドロテア・フランツィスカ・アグネス(1702年 - 1751年) - 1719年、分家筋のザルム=ホーフストラーテン伯ニコラウス・レオポルトと結婚
- エリーザベト・アレクサンドリーネ・フェリーツィタス・シャルロッテ・ゴットフリーデ(1704年 - 1739年) - 1721年、リーニュ公クロード・ラモラル2世と結婚
- クリスティーネ・アンナ・ルイーゼ・オスヴァルティーネ(1707年 - 1775年) - 1726年、ヘッセン=ローテンブルク方伯世子ヨーゼフと結婚、1753年にニコラウス・レオポルトと再婚。
1723年、叔母のコンデ公妃アンヌの死後、曾祖父マントヴァ公カルロ1世が1608年に入手したフランスのアルシュ公領の相続をめぐり、ルートヴィヒ・オットーは義弟のウルゼル公コンラッドと係争したが敗訴し、公領はウルゼル家に継承された[4]。
1738年アンホルト城で没し、ザルム侯家本家は断絶した。分家筋で娘婿のザルム=ホーフストラーテン伯ニコラウス・レオポルトが義父の所領と資産を継承し、1739年ザルム=ザルム侯位を授けられた。
引用
[編集]- ^ Genealogie der 1623 gefürsteten Linie Salm (altfürstliche Linie Salm), at dr-bernhard-peter.de
- ^ Luise Maria, Pfalzgräfin von Simmern, at geneall.net
- ^ Albertine Johanna, Prinzessin von Nassau-Hadamar, at geneall.net
- ^ http://search.arch.be/fr/rechercher-des-archives/resultats/inventaris/index/eadid/BE-A0510_000626_003392_FRE/zoekterm/charleville/inventarisnr/I339200002778/level/file#c:2.c:23.c:1.c:5
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