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ルノー・ド・ボージュー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ルノー・ド・ボージュー[2](Renaud de Beaujeu, Renaut de Bâgé, ~de Baugé)は、中世フランスのアーサー王伝説ブルターニュ題材)の作家。大作としては『名無しの美丈夫[2](Le Bel Inconnu、6266詩行)の一点のみで知られる[3]。古フランス語、12世紀末から13世紀初頭の成立とされている[5][7][9]

『名無しの美丈夫』の作者は、作品の終末で自らを"Renals de Biauju"(6249行目)と名乗っており、かつてはルノー・ド・ボージュー(Renaud de Beaujeu)と現代風に呼び慣わされてきたが[10]、近年の研究・編訳本ではルノー・ド・バジェ(Bâgé)を正しいとしており、バジェとはブレス地方の領主家の家名である[11] § 年代と家系譜参照)。

ルノー作の『名無しの美丈夫』は、ひとつの書写本が残存する(シャンティイ城図書館/コンデ美術館蔵 472本).[8][12]

年代と家系譜

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青地に、テン柄のライオン・ランパント。バジェ惣家の紋章。

ウィリアム・ヘンリー・スコフィールド英語版(ハーバード大学教授)の当時(1895年)においては、著作者の出自などの情報は極めて乏しかった。ただ『名無しの美丈夫』 以外にも、同名人物が詩歌を作詞しており、その歌詞一節が、『薔薇、またはギョーム・ド・ドール物語英語版』で引用された[10][13]。そしてこの作詞家が"Renaut de Baujieu, De Rencien le bon chevalier"(1451–2行目)と名指されることから[14] 、ルノーが騎士階級の身分であるという事までは判明していた[15]

しかしその後の研究で、著作者の身元・家系を解明する説が現れている。これはアラン・ゲロフランス語版による、紋章学的なヒントを基にした解析の功績が大きい[16]。『名無しの美丈夫』では、主人公の紋章は、白貂毛皮〔アーミン〕模様の獅子、背景〔フィールド〕はであるとされるが[18] 、これは作者自身のものを代用したと仮定すると、作者はじつはバジェ家(Bâgé)の家柄であり、ライバル家のボージュー家ではないことが判明したという[20][21][23]。ここで成立年代に合致するのは二名のルノーだが、より有力とされるのが、サン=トリヴィエ領主ルノー(Renaut, Seigneur de Saint-Trivierfl. 1165–1230年)である[注 1][注 2][17][6]

また、『ギョーム・ド・ドール物語』の作者はルノーを"Rencien"出身者と述べたが、これは"Rencieu"(ラテン語: Rantiacum)の誤記とも考えられ、であれば現今のランシー英語版であり、バジェ家の次男三男が拝領する上述のサン=トリヴィエに近い地名を指しており[24]、バジェ家同定考証の傍証となっている。

作者に同定されるサン=トリヴィエ領主ルノーは、嫡流のバジェフランス語版領主ルノー3世(Renaud/Raynald III、当主1153–1180年)の三男[25]。ルノー3世は、継承の1153年に、マコン伯ジラール1世 (マコン伯)フランス語版や、ボージュ―領主ユンベールらを相手どり合戦した[26][27]。1180年にルノー3世が死ぬと、作者の長兄ユルリク3世[?] が後継となったが[25]、先妻の息子ギーは1215年に先立ったため、ユルリクが1220年に死ぬと、後妻の息子のルノー4世が引き継ぎ、バジェとブレスの当主となった[25][注 3]

注釈

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  1. ^ "Saint-Trivier-de-Courtes"はバジェ=ル=シャテル(Bâgé-le-Châte)の12マイル (19.3 km)北東でこれが該当し、Saint-Trivier-sur-Moignansは別。Fresco, note4.
  2. ^ もう一人の候補は、その甥であるルノー4世(Renaut IV, Seigner de Bâgé et de Bresse、fl. 1180–1250年)。
  3. ^ ルノー4世は、上で注釈したように、年代的に作者「ルノー」の可能性が残るもう一人の人物である。

出典

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  1. ^ (書評)渡邉浩司「フィリップ・ヴァルテール著『ルノー・ド・ボージュー作『名無しの美丈夫』―儀礼・神話・物語』(フランス大学出版、1996年)」『フランス語フランス文学研究 plume』第1巻、名古屋仏文学会、1997年7月、68–72頁。 
  2. ^ a b 詩人と作品の日本語表記は専門学者の渡邉浩司の初作品にて確認[1]
  3. ^ Busby, Keith (1996). "Renaut de Beaujeu". In Lacy, Norris J. [in 英語]; Ashe, Geoffrey [in 英語]; Ihle, Sandra Ness; Kalinke, Marianne E.; Thompson, Raymond H. [in 英語] (eds.). The Arthurian Encyclopedia. New York: Peter Bedrick. pp. 448–449. ISBN 9781136606335; New edition 2013p. 380
  4. ^ Fresco ed. & Donager tr. (1992), p. xi.
  5. ^ おおよそ、この成立時期範囲で諸々の解説に記述されるが、意見の差異はある。英訳付きテクスト編者のフレスコは、クレチアンが作家活動停止した1191年から、後述の『ギョーム・ド・ドール英語版』が成立した1212/1213年の間の範囲とする[4]
  6. ^ a b Walters (1993), p. 22.
  7. ^ 一方、ウォルターズは、(フレスコ)よりもやや早期の1185–1190年頃の成立が、学界意見の大半だと主張しているが、これに与さない意見としてゲロ―(Guerreau)の1200年頃の論や、コルビー=ホール(Alice M. Colby-Hall)が、遅くば1230年という例外を挙げている.[6]
  8. ^ a b Perret ed. (2003), p. viii.
  9. ^ フランスの編者ペレ(Michèle Perret)は13世紀初頭とみる[8]
  10. ^ a b c Schofield, William Henry (1895). Studies on the Libeaus Desconus. Boston: Ginn and Company for Harvard University. p. 2. https://books.google.com/books?id=gXc4AQAAIAAJ&pg=PA2 
  11. ^ Fresco ed. & Donager tr. (1992), pp. ix–xi.
  12. ^ Renaut de Beaujeu - Arlima - Archives de littérature du Moyen Âge”. arlima.net. 2024年2月2日閲覧。
  13. ^ このルノーの「歌」はフレスコ編本に附録として数節の歌詞が復刻され、音符も併記されている。
  14. ^ Fresco ed. & Donager tr. (1992), p. 420.
  15. ^ ガストン・パリスが指摘、ウィリアム・ヘンリー・スコフィールド引き[10]
  16. ^ Guerreau (1982), pp. 29–36、フレスコ引き:注1で、ルノーの人物像は、これに大きく依存するとしている。
  17. ^ a b Fresco ed. & Donager tr. (1992), p. ix.
  18. ^ Le Bel Inconnu, vv. 73–74; 5921–22.[17]
  19. ^ Fresco ed. & Donager tr. (1992), p. x.
  20. ^ ただし両家は縁戚同士ではあろうが[19]
  21. ^ Fresco ed. & Donager tr. (1992), p. ix and note 1
  22. ^ Guichenon, Samuel (1660). Histoire généalogique de la royale maison de Savoye. 1. Lyon: chez Guillaume Barbier, imprimeur ordinaire du Roy, et de S. A. R. de Sauoyë, à la Place de Confort. p. 347. https://books.google.com/books?id=KyNu3UgAr3MC&pg=PA347 
  23. ^ フレスコは、サミュエル・ギシュノン著『サヴォイア王家の系譜』(1660年)を引用して、これと同じ紋章の図柄がある箇所を指し示すが、それはサヴォイア公アメ(Amé、フランス読み)すなわちアメデーオ1世・ディ・サヴォイアの肖像と、家系のいくつかの紋章の挿絵があり、当該の紋章はサヴォイア・ボージェ(Savoie Baugé)家のもの、となっている[22]。ボージュ―家の家系譜は同書のp. 1161、バジェ(ボージェ)家はpp. 1209–10に掲載される。
  24. ^ Fresco ed. & Donager tr. (1992), pp. xi–x.
  25. ^ a b c La Chesnaye Des Bois, Alexandre Aubert de (1771). Dictionnaire De La Noblesse: Contenant les Généalogies, l'Histoire & la Chronologie des Familles Nobles de France. 2 (2 ed.). Paris: Chez La Veuve Duchesne. pp. 73–74. https://books.google.com/books?id=1qZBAAAAcAAJ&pg=PA73 
  26. ^ Juenin, Pierre (1733). Nouvelle histoire de l'abbaïe royale et collegiale de Saint Filibert, et de la Ville de Tournus [...]. Dijon: Antoine de Fay. p. 333. https://books.google.com/books?id=1CNqJK9IwuwC&pg=RA4-PA333 
  27. ^ Jarrin, Charles (1882). “La Bresse et le Bugey: 5e partie”. Annales de la Société d'émulation et d'agriculture de l'Ain 15: 276. https://books.google.com/books?id=yGDpN2S88M0C&pg=PA278. 
参照文献
  • Guerreau, Alain (1982). “Renaud de Bâgé: 'Le bel inconnu', structure symbolique et signification sociale”. Romania 103: 28–82. 

外部リンク

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