ルイーズ=ガブリエル=ジュリー・ド・ロアン
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ルイーズ=ガブリエル=ジュリー・ド・ロアン(Louise-Gabrielle-Julie de Rohan, 1704年8月11日 パリ・オテル・ド・スービーズ - 1780年8月22日 シュヴィイ)は、ブルボン朝時代フランスの貴族女性。ゲメネ公妃。首飾り事件の中心人物ルイ=ルネ=エドゥアール・ド・ロアン枢機卿の母。
スービーズ公エルキュール=メリアデックとその最初の妻アンヌ=ジュヌヴィエーヴ・ド・レヴィの間の第5子・四女・末娘。1718年8月4日、ジュアール修道院で同族の又従兄ゲメネ公エルキュール=メリアデックと結婚、間に7人の子をもうけた。
- シャルロット=ルイーズ″マドモワゼル・ド・ロアン″(1722年 - 1786年) - 1737年マッセラーノ公ヴィットーリオ・フィリッポ・フェレロ・フィエスキと結婚
- ジュヌヴィエーヴ=アルマンド(1724年 - 1766年) - ノートルダム・ド・マルケット修道院院長
- ジュール=エルキュール=メリアデック(1726年 - 1800年) - ゲメネ公及びモンバゾン公爵
- マリー=ルイーズ(1728年 - 1737年)
- ルイ=アルマン=コンスタンタン(1732年 - 1794年) - モンバゾン公(prince de Montbazon)
- ルイ=ルネ=エドゥアール(1734年 - 1803年) - 枢機卿、ストラスブール司教、フランス宮廷司祭長
- フェルディナン=マクシミリアン=メリアデック(1738年 - 1813年) - ボルドー大司教、カンブレー大司教
1737年10月26日、ルイーズはフォンテーヌブローにて国王ルイ15世夫妻に長女シャルロット=ルイーズを拝謁させた。シャルロットはその2日後に駐英スペイン大使のマッセラーノ公ヴィットーリオ・フィリッポ・フェレロ・フィエスキに嫁いだ。フィエスキはピエモンテ地方の小国マッセラーノ公領の君主でもあった(1741年サヴォイア家に帰服)。
1747年北フランスのローネーに所領付きの邸宅を購入している[1]。