リーズ・ノブレ
リーズ・ノブレ(Lise Noblet、1801年11月24日 - 1852年9月)は、フランスのバレエダンサーである。パリ・オペラ座で活躍した彼女はバレエやオペラの舞踊シーンに重要な役でしばしば出演し、バレエ『ラ・シルフィード』(1832年)のエフィ役の初演者として知られる。
生涯
[編集]本名をマリー=エリザベット・ノブレ(Marie-Élisabeth Noblet)といい、1801年にパリで生まれた。パリ・オペラ座のバレエ学校でバレエを学んだ後、1816年にパリ・オペラ座に入団し、高名なバレエダンサー、アルベール(en:Albert (dancer)) の相手役として当時パリ・オペラ座で首席振付家を務めていたピエール・ガルデル(en:Pierre Gardel )作のパ・ド・ドゥを踊り、ソリストとして活躍するようになった[1]。
1827年、パリ・オペラ座に一人の女性ダンサーが採用された。イタリアとスウェーデンの血を引いたこの女性の名はマリー・タリオーニといい、父フィリッポ・タリオーニの厳しい訓練を受けて高度な舞踊技術を体得していた。マリー・タリオーニの出現によって、ノブレのようなパリ・オペラ座の伝統的な女性ダンサーの影は薄くなったが、彼女はオペラ座に留まった[2]。ノブレはガルデルの後を継いでパリ・オペラ座の首席振付家となったジャン=ルイ・オーメール(en:Jean-Louis Aumer)の作品に多く出演し、彼が新演出を手掛けたドーベルヴァルの『移り気な小姓』(Le Page inconstant、1823年)、『ラ・フィユ・マル・ガルデ』(1829年)や新作『眠れる森の美女』(1829年)[3]、『マノン・レスコー』(1830年、ジャック・アレヴィ作曲)の初演で踊った[1][4]。
1828年に初演されたグランド・オペラ『ポルティチの唖娘』(ダニエル=フランソワ=エスプリ・オベール作曲、オーメール振付)では、主役フェネッラを演じ、巧みなマイムと舞踊の表現を見せて称賛を受けた[5][6]。また、フィリッポ・タリオーニの『ラ・シルフィード』(1832年、エフィ役を初演)、『後宮の反乱』(La Révolte au sérail、1833年)、『ドナウの娘』(1836年)の初演にも出演している[1][7]。
パリ・オペラ座に籍を置くかたわら、1821年から1824年にはロンドンでキングズ劇場に客演して、ロンドンのバレエファンにも親しまれた[1]。ノブレは彼女の忠実な友人であった名高い軍人、ミッシェル・マリエ・クラパレード(en:Michel Marie Claparède、1770年8月28日 - 1842年10月23日)の死の前年にオペラ座を退いた。その後、1852年9月に生地のパリで死去しているが、死去の日付は不明である[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『オックスフォード バレエダンス辞典』366頁。
- ^ 『十九世紀フランス・バレエの台本』17頁。
- ^ この作品はバレエ『ラ・フィユ・マル・ガルデ』やオペラ『ザンパ』などで知られるフェルディナン・エロルドの作曲で、チャイコフスキーの同名作品とは異なる。
- ^ Sleeping Beauty 2011年11月5日閲覧。
- ^ フェネッラは精神的な衝撃を受けて口のきけなくなった娘という設定のため、初演以来女優やバレリーナが演じることが多い。
- ^ 『十九世紀フランス・バレエの台本』13頁。
- ^ 『十九世紀フランス・バレエの台本』28頁。
参考文献
[編集]- デブラ・クレイン、ジュディス・マックレル 『オックスフォード バレエダンス事典』 鈴木晶監訳、赤尾雄人・海野敏・長野由紀訳、平凡社、2010年。ISBN 978-4-582-12522-1
- 平林正司 『十九世紀フランス・バレエの台本ーパリ・オペラ座』(完訳)、慶應義塾大学出版会、2000年。ISBN 4-7664-0827-6
外部リンク
[編集]- ballet-dance magazine 500 Years of Italian Dance Treasures from the Cia Fornaroli Collection by Rosella Simonari December 2 , 2006 2011年11月5日閲覧。