リリー・エルベ
1926年撮影 | |
生誕 |
アイナー・モーウンス・ヴィーグナー 丁: Einar Mogens Wegener 1882年12月28日 デンマーク、ヴァイレ[1] |
死没 |
1931年9月13日 (48歳没) ドイツ国、ドレスデン[1] |
職業 | 芸術家、イラストレーター、画家 |
配偶者 | ゲルダ・ヴィーグナー(1904年 - 1930年、婚姻無効) |
リリー・エルベ(丁: Lili Elbe、1882年12月28日 - 1931年9月13日)は、デンマークの画家、イラストレーターであり、世界で初めて性別適合手術(男性から女性)を受けた人物として知られる。出生名はアイナー・モーウンス・ヴィーグナー[注 1][注 2](丁: Einar Mogens Wegener)だったが、手術後、法的に「リリー・エルベ」と改名している[3]。
リリーの生涯とゲルダ
[編集]ゲルダとの結婚
[編集]1882年に生まれ、1904年に当時学んでいたデンマーク王立美術院で出会ったゲルダ・ゴトリプと結婚した[3]。ゲルダも同じく画家であった。
エルベが女性の服装をするようになった[4]のは、ゲルダの絵のモデルが現れず、代わりにエルベにストッキングとヒールを身につけさせ、脚のモデルになるよう頼んだことがきっかけであった[3]。2人は1912年以降パリに在住し、そのころからエルベは女性として生活するようになり、生来、女性的な顔つきと体をしていたため、男性として公に出ても、ズボンをはいて男装した女性のように見えたという。染色体異常(SRY)やインターセックスの可能性も指摘されたが、真相は明らかではない。1920年代から1930年の時期には恒久的に女性の身なりで生活した。また、この頃より「リリー・エルベ」[注 3]と名乗るようにもなった[5]。
女性としての人生を求めて
[編集]そして、ついに女性の身体を求めて「母となるため」、1930年から1931年にかけて5回にわたる手術を受けることになるが、施術の拒絶反応が重く、術後は長生きできなかった。
まず1930年にベルリンを訪れマグヌス・ヒルシュフェルトの観察の下に睾丸摘出手術を受けた。次いでドレスデン市立産婦人科診療所にてクルト・ヴァルネクロスにより陰茎の除去と卵巣の移植手術が行われた。提供された卵巣は26歳の女性のものであった。この卵巣は拒絶反応により3回目と4回目の手術により再摘出されたが、1931年5回目の手術により子宮が移植され、50歳を前に念願の「母」の体となることができた。エルベは自伝をオランダ語で̺Fra Mand til Kvinde : Lili Elbes Bekendelser̺[6]として執筆する。出版は1931年に実現する[7]。
エルベの手術を知ったデンマーク国王クリスチャン10世は前年の1930年に、エルベ(アイナー)とゲルダの婚姻を無効としていた[注 4][3]。それでもゲルダはエルベの性別移行を支援し[3]、エルベは法的性別の変更と「リリー・エルベ」と記された新しいパスポートを手にすることができた[5]。しかしそのわずか3ヵ月後、拒絶反応のために、48歳で死去した。エルベの亡骸はドレスデンに埋葬された。その墓地は一度整理され平地となったが、2016年に映画『リリーのすべて』(#後述)の制作会社の資金で新しく墓碑が建立された[8]。
リリーが危険な手術を繰り返したのは、フランス人の画商クロード・ルジュンと恋に落ち、完全な女性になりたいと望んだからだった。ゲルダはリリーを最期まで支援した。
エルベ死後のゲルダ
[編集]手術の拒絶作用によるリリーの死後、ゲルダはイタリア人外交官の男性フェルナンド・ポルタと再婚しモロッコへ航り、マラケシュとカサブランカで数年過ごす。その間に描いた絵の署名は、「ゲルダ・ヴィーグナー・ポルタ」であり、リリー・エルベ(アイナー・ヴィーグナー)との婚姻関係の痕跡を残している。1936年、ゲルダは再び離婚し、1938年にデンマークに戻り、1940年に死亡した。
エルベを題材とした作品
[編集]エルベの没後まもなく、自伝はオランダ語[7]からドイツ語訳を経て1933年に英語版"Man into Woman"が上梓される[注 5]。映画化前にも改版し読み継がれてきた[注 6]。
2001年、作家のデヴィッド・エバーショフが、エルベの生涯をモチーフにした "The Danish Girl" (en) [注 7]という作品を書いている。この作品は2015年に『リリーのすべて』(原題: The Danish Girl)というタイトルで映画化された[12]。
荒俣宏は自著『荒俣宏の世界ミステリー遺産』の中で、「リリ・エルベの肖像画」としてエルベのことを紹介している[13]。この本では出生名 (Einar Wegener) を「エイナ・ヴェーナ」と表記していた。しかしながら、妻ゲルダの作品コレクションを書籍化するにあたり、荒俣は大阪大学世界言語研究センターのデンマーク語・スウェーデン語研究室が編纂した辞典[14]を参考にする[15]と、その表記に則り(のっとり)、2016年に出版した本では、出生名は「アイナ・ヴィーイナ」、性別適合手術を受けてからの名前は「リリー・エルベ」と記している[15]。
映像作品
[編集]- ルシンダ・コクソン(脚本)、トム・フーパー(監督)『リリーのすべて The Danish girl』NBCユニバーサル・エンターテイメント〈ユニバーサルシネマ・コレクション〉、2017年4月、デイヴィッド・エバーショフ 原作、イギリス作品(2015年)。Blu-ray Disc 1枚 (119分) 、カラー画像、ステレオ音声、ビスタ版。音声: 英 (5.1/DTS-HD)、日 (5.1/DTS)。字幕(英、日)。
- 製作:トム・フーパー、ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、アン・ハリソン、ゲイル・マトラックス
- 撮影:ダニー・コーエン
- 編集:メラニー・オリヴァー
- 出演:エディ・レッドメイン、アリシア・ヴィキャンデル、アンバー・ハード、ベン・ウィショー、マティアス・スーナールツ
- 声の出演:福田賢二、うえだ星子、白川万紗子、鈴木正和、津田健次郎
参考文献
[編集]各分類内は主な著者、編者の順。
- 洋書 原書 → →
- Hern, Reiner Dr. Schnittmester des Geschlechts, Transvestitismus und Transsexualität in der fühen Sexalwissenshaft ISBN 3898064638, 2005. . 電子書籍
- Man into Woman, a book about the life of Lili Erbe ISBN 0954707206. .
- 和書
- 荒俣宏『荒俣宏の世界ミステリー遺産』祥伝社〈祥伝社黄金文庫〉、2011年。全国書誌番号:21894799。『荒俣宏の20世紀世界ミステリー遺産』 (集英社2001年刊) の増補、加筆・修正。
- 荒俣宏『女流画家ゲアダ・ヴィーイナと「謎のモデル」 ~アール・デコのうもれた美女画』新書館、2016年3月20日。 NCID BB21076635。OCLC 947789028。全国書誌番号:22724605。ISBN 978-4403120251。
- 新谷俊裕、大辺理恵、間瀬英夫(編)「デンマーク語固有名詞 カナ表記小辞典」(PDF)『IDUN—北欧研究—』別冊2号、大阪大学世界言語研究センター デンマーク語・スウェーデン語研究室、2009年、240頁、ISSN 0287-9042、2016年12月28日閲覧。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 名字については言語によって様々な読み方が存在するが、元妻ゲルダの作品を集めた特別展を開いたデンマークのアーゲン現代美術館の広報映像では、キュレーターが「ヴィーグナー」として紹介している[2]。
- ^ デンマーク語の転記については以下参照:新谷俊裕, 大辺理恵 & 間瀬英夫(編) 2009。
- ^ Lili Elbe あるいは Lily という記述の文献もある。
- ^ なお、当時のデンマークは刑法により同性愛を犯罪と規定していた。
- ^ 初版はロンドン:Jarrolds刊。インターネット公開版[9]がある。
- ^ 英語版は電子書籍も流通する。Lili Elbe 著. Man into Woman ː the first sex change, a portrait of Lili Elbe : the true and remarkable transformation of the painter Einar Wegener. Niels Hoyer 編、英語、ロンドン:Blue Boat Books、2004年。OCLC 1150300828。
- ^ 原題は「デンマーク人の女の子」の意味。原作は当初、邦題『世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語』[10]として出版後、映画化に合わせて『リリーのすべて』[11]に改題(2016年)、出版社を替えて改めて発刊した。
出典
[編集]- ^ a b Lili Elbe - Danish painter - ブリタニカ百科事典 - 2021年1月24日閲覧。
- ^ GERDA WEGENER på ARKEN - ARKEN Museum of Modern Art(20s〜) - YouTube
- ^ a b c d e Russell, Helen (2015年9月28日). “Gerda Wegener: 'The Lady Gaga of the 1920s'”. ガーディアン. 2016年12月29日閲覧。
- ^ a b ゲルダ・ヴィーグナーが描いたリリー・エルベの肖像。Gerda Wegener. Portrait of Lili Elbe. 水彩、1928年頃、画家のサイン入り。OCLC 9084627532、イギリス。著作権:Wellcome Collection。
- ^ a b 教区教会の名簿(写し)。各欄は順に、職業:画家。氏名:Einar Mogens Andreas Wegener。教区名: Velje の聖ニコライ教区教会。改名後:Lili Ilse Elvene(別称:Lili Elbe)。Search (DFS), Danish Family. “Vejle Nørrevang Sankt Nicolai sogn, Nørvang, Vejle - Kirkebøger” (デンマーク語). https://www.danishfamilysearch.dk/sogn1904/churchbook/source27126/opslag5464498. 2023年1月11日閲覧。
- ^ Elbes, Lili. Fra Mand til Kvinde : Lili Elbes Bekendelser. Hage & Clausen, 1931. OCLC 1306188.
- ^ a b Rosenbeck, Bente; Mørck, Yvonne (2018-02-21). “Da Lili Elbe fik en ny identitet”. Kvinder, Køn & Forskning (4): 57–60. doi:10.7146/kkf.v26i4.110559. ISSN 2245-6937 .
- ^ ̺“Letzte Ehre fürs "Danish Girl" [「デンマークの少女」に最後の栄誉を(墓碑除幕式の報告)]” (ドイツ語) (2016年4月23日). 2023年1月11日閲覧。リリー・エルベの墓碑除幕式がドレスデンで開かれ、来賓の機会均等大臣ペトラ・ケッピング (SPD・ザクセン州)、故国デンマークのフリース・A・ピーターゼン大使ほか参列者が集った。映画会社に墓碑復元を依頼された彫刻家のエルマー・フォーゲルは、黒い花崗岩の一枚板で仕上げた。
- ^ Elbe, Lili (2004). Man into woman : the first sex change, a portrait of Lili Elbe : the true and remarkable transformation of the painter Einar Wegener. Internet Archive. London : Blue Boat Books、ISBN 978-0-9547072-0-0。
- ^ デビッド・エバーショフ『世界で初めて女性に変身した男と、その妻の愛の物語』斉藤博昭 訳、講談社(2003年)
- ^ デイヴィッド・エバーショフ『リリーのすべて』斉藤博昭 訳、早川書房〈ハヤカワ文庫 NV ; 1376〉、2016年。
- ^ “エディ・レッドメインが女性になる新作公開日&邦題決定!『リリーのすべて』”. シネマトゥデイ (2015年11月19日). 2015年11月19日閲覧。
- ^ 祥伝社〈黄金文庫〉『荒俣宏の世界ミステリー遺産』 2011, p. 81
- ^ 新谷俊裕, 大辺理恵 & 間瀬英夫(編) 2009, p. [要ページ番号]
- ^ a b 荒俣宏 2016, pp. 248–249.
関連事項
[編集]50音順。
- 映画関係者(姓の順)
- アリシア・ヴィキャンデル 助演。
- トム・フーパー 監督、製作。
- エディ・レッドメイン 主演。
外部リンク
[編集]- über Biografie - Lili Erbe - リリー・エルベについて
- Ryoko Tsukada (2015年9月28日). “ジェンダーはフルイディティが時代のキーワード”. 早耳調査隊がゆく!. ELLE online. 2016年12月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年12月29日閲覧。 - 映画『リリーのすべて』公開に際して出された、アイナー・ゲルダ夫妻を扱った記事