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リュドミラ・ズィキナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リュドミラ・ゲオルギエヴナ・ズィキナ
リュドミラ・ズィキナ(左)とスヴェトラーナ・メドヴェージェワ(右)(2009年)
基本情報
生誕 (1929-06-10) 1929年6月10日
出身地 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦モスクワロシアの旗 ロシア
死没 (2009-07-01) 2009年7月1日(80歳没)
ジャンル ロシア民謡、ロシア語歌謡
職業 歌手
活動期間 1947年-2009年

リュドミラ・ズィキナロシア語: Людмила Георгиевна Зыкина〈リュドミーラ・ゲオールギエウナ・ズイキナ〉、ラテン文字転写: Lyudmila Georgievna Zykina; 1929年6月10日 - 2009年7月1日)は、ソ連ロシアの歌手。ロシア民謡から、近代ロシア歌謡ロシア語版英語版、現代ソ連・ロシア歌謡まで、ロシア語大衆歌曲を幅広くこなし、「ロシア民謡の女王」と呼ばれた。 

経歴

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ソ連時代のモスクワに生まれる。第二次世界大戦後の1947年に、全ロシア歌唱コンクールに出場したところを、ロシア民謡を専門とするピャトニツキー合唱団ロシア語版英語版の指揮者、ヴラジーミル・ザハーロフロシア語版英語版に見込まれ同合唱団に入団、ソリストとして約13年間在籍した。当時から同合唱団のみならず、ソリストとしての他団体での客演、ラジオ出演、レコーディングなどの機会は多かった。1960年以降は、モスコンツェルトロシア語版英語版所属のソロ歌手として活躍する。時のソ連文化大臣エカチェリーナ・フルツェワと親交を深めて厚遇されたほか、ブレジネフ書記長のお気に入り歌手とも噂された。レーニン勲章(1970年)をはじめ、数多くの勲章を受章した。1973年にはソ連邦人民芸術家。ソ連国内のみならず、冷戦時代から国外演奏歴も豊富で、来日公演も数多い。また1977年には、ロシア民謡アンサンブル「ロシア」ロシア語版を創設し、ソリスト兼指導者を終生務めた。

晩年には糖尿病を患い、心筋梗塞のため2009年7月1日モスクワで死去(享年80)。同市のノヴォヂェーヴィチエ墓地ロシア語版英語版に葬られた。離婚や死別を繰り返し、内縁も含め5人の夫があったが、子供は無い。

メゾソプラノ音域は広く、中低音域まで豊かに響く深みと艶のある音色(おんしょく)が特徴的である。偶然ではあるが、ズィキナという苗字はロシア語で「大声の」(英語の"loud")を意味する"зычный"に由来する。

ズィキナが歌った「ヴォルガは流れる」("Течёт река Волга"、レフ・オシャーニン作詞、マルク・フラートキンロシア語版英語版作曲、1962年)は特に有名である。

評価

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ショスタコービッチは、ズィキナのことを「素晴らしい歌い手という以上の存在であり、歌の共同制作者であり指揮者である」と絶賛していた。

外部リンク

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脚注

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