リチャード・スリンガー
リチャード・スリンガー | |
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プロフィール | |
リングネーム | リチャード・スリンガー |
本名 | リチャード・エースリンガー |
ニックネーム | チャタヌガの旋風 |
身長 | 180cm |
体重 | 99kg |
誕生日 | 1971年9月16日(53歳) |
出身地 |
アメリカ合衆国 テネシー州チャタヌーガ |
トレーナー | 小川良成 |
デビュー | 1988年8月20日 |
引退 | 2005年9月11日 |
リチャード・スリンガー(Richard Slinger, 男性、1971年9月16日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。本名はリチャード・エースリンガー (Richard Acelinger)。身長180cm、体重99kg。テネシー州出身。
略歴
[編集]叔父のテリー・ゴディを慕いプロレスの道へ。1988年8月20日にジョージア州の地元団体でデビュー[1]後、翌1989年7月にゴディのコネクションで全日本プロレスに留学生として来日[1]。1989年9月4日、岩手県水沢市大会で菊地毅を相手に日本デビュー[1]。1989年暮れに帰国するが、1990年6月に外国人選手として来日するも、そのまま道場に住み込んでレギュラー参戦する[1]。1993年9月、渕正信が保持していた世界ジュニアヘビー級王座に挑戦するが敗北。
2000年6月、プロレスリング・ノアの設立と同時に、ベイダーやスコーピオと共に同団体へ主戦場を移す。同年12月、足の負傷から長期欠場。2001年10月、復帰。その後、ベイダーやスコーピオ等と外国人チームケイオスを結成。しかし、後に脱退し、三沢光晴や小川良成等の日本人選手と共闘。2005年8月27日、ロウキーをパートナーに、杉浦貴と金丸義信が持つGHCジュニアヘビー級タッグ王座に挑戦するが敗れる。
身体を壊し、34歳で引退する[1]。
1997年3月頃に全日本プロレスに1シリーズのみ覆面レスラー「ザ・トルネード」として参戦[2]。全日マット初参戦であるハヤブサのタッグパートナーも務めた。
得意技
[編集]- 各種キック
- 中でもミドルキックと二段蹴りを得意とする。
- チャタヌガ・チュチュ
- 相手をファイヤーマンズキャリーの体勢で持ち上げ、そこから反転、パワースラムのように叩きつける技。由来は出身地名「チャタヌーガ(Chattanooga)」とグレン・ミラー楽団のヒット曲チャタヌーガ・チュー・チューから。
- ジャーマン・スープレックス
- ダイビング・ボディ・プレス
タイトル歴
[編集]- ジュニアヘビー級バトルロイヤル 優勝(1992年)
入場テーマ曲
[編集]- SINK THE PINK
その他
[編集]まだ留学生だった1989年9月2日、天龍源一郎とテリー・ゴディとの三冠戦でスリンガーは叔父のゴディのセコンドに就いていたが、ゴング前に天龍にゴディへの見せしめとしてパワーボムを喰らった[1]。これがテレビ初登場だった[1]。