リカルド・エンリケ・ダ・シルバ・ドス・サントス
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
2007年のリカルド・サントス | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
リカルド・エンリケ・ダ・シルバ・ドス・サントス Ricardo Henrique da Silva dos Santos | |||||
ラテン文字 | Ricardo Santos | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1987年2月13日(37歳) | |||||
出身地 | ヴォウタ・レドンダ | |||||
身長 | 187cm[1] | |||||
体重 | 80kg[1] | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | ウタイターニーFC | |||||
ポジション | FW | |||||
背番号 | 11 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006 | ボアヴィスタ | |||||
2007-2011 | カルマル | 80 | (22) | |||
2008 | → オートヴィーダベリ (loan) | 27 | (12) | |||
2009 | → ヨンショーピング・ソードラ (loan) | 13 | (7) | |||
2012 | ユールゴーデン | 14 | (3) | |||
2012-2013 | ソグナル | 25 | (4) | |||
2013-2014 | オートヴィーダベリ | 40 | (18) | |||
2015 | 貴州人和 | 27 | (11) | |||
2016-2018 | セレッソ大阪 | 41 | (5) | |||
2018 | ファジアーノ岡山 | 15 | (0) | |||
2019 | チャイナート・ホーンビル | 20 | (10) | |||
2020-2021 | トラート | 27 | (10) | |||
2021- | ウタイターニー | 65 | (46) | |||
通算 | 394 | (148) | ||||
1. 国内リーグ戦に限る。2023-24シーズン終了時現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
リカルド・エンリケ・ダ・シルバ・ドス・サントス(ポルトガル語: Ricardo Henrique da Silva dos Santos、1987年2月13日 -)はブラジル・リオデジャネイロ州ヴォウタ・レドンダ出身のプロサッカー選手。ウタイターニーFC所属。ポジションはフォワード(FW)。
インターネット検索では音楽のリカルドサントス楽団が検索上位に出てくるため、間違えられたこともあるが、同楽団には所属していない。
経歴
[編集]2007年、カルマルFFに移籍。翌シーズンはレンタル先のオートヴィーダベリFFでチーム内得点王となる活躍を披露。カルマル復帰後は2010-2011シーズンにかけてレギュラーとしてプレーした。
2012年8月, ノルウェーのソグナル・フトボールに移籍[2]。
2014年12月、中国サッカー・スーパーリーグの貴州人和足球倶楽部に移籍[3]。
2016年、Jリーグのセレッソ大阪に移籍[4]。2017年はリーグ戦では9試合無得点に終わったが、Jリーグカップでは10試合に出場し大会2位タイの4得点を記録した。
2018年1月14日にC大阪との契約更新に合意が発表された[5] が、1月26日のトレーニング中に左手骨折で全治3ヶ月の怪我を負う[6] と、オスマル・イバニェスの加入で外国籍枠から押し出され登録を抹消された。
2019年2月、チャイナート・ホーンビルFCへの完全移籍が発表された[7]。
ウタイターニーに加入。以降リーグ戦では自己最高記録を大きく更新する驚異的な得点数を記録している。
2021-22シーズンは得点王となり、チームの2部昇格に貢献した。
2022-23シーズンは、31試合出場で28得点13アシストという大活躍で得点王とリーグMVPを受賞、チームの1部昇格に貢献した。
2023-24シーズン、シーズン前半戦で15試合出場9得点2アシストを記録。
人物・エピソード
[編集]- 妻はスウェーデン人[8]。
- セレッソ時代は性格の明るさで、チームをムードメーカーとして盛り上げた。
- 退団後は、セレッソのサポーターになり2020年2月にセレッソがタイでキャンプしていた際には、片道4時間かけてチームを観に来た。2024年2月にもやってきた。
- 突出した上手さのある選手では無かったが、YBCルヴァンカップや天皇杯においてチームの勝利に貢献するゴールを何度も決めたため、セレッソのファンの間では優勝の影のMVPとの声も多い。
- セレッソ退団の際には、「J1昇格、2つのカップ戦に勝ち、魔法がかかった最高の瞬間を3回、共に過ごす事が出来ました。私の気持ちは引き裂かれそうですが、私の気持ちは永遠にセレッソにあります。私のキャリアの中で最大の成果はセレッソでプレーできたことです!!」とコメントした。
- いとこのマロニーもサッカー選手[9]。
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2006 | ボアヴィスタSC | RJ州選手権 | |||||||||
スウェーデン | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2007 | カルマル | アルスヴェンスカン | 8 | 0 | - | 0 | 0 | 8 | 0 | ||
2008 | オートヴィーダベリ | スーペルエッタン | 27 | 12 | - | 0 | 0 | 27 | 12 | ||
2009 | カルマル | アルスヴェンスカン | 14 | 6 | - | 0 | 0 | 14 | 6 | ||
ヨンショーピング | スーペルエッタン | 13 | 7 | - | 0 | 0 | 13 | 7 | |||
2010 | カルマル | アルスヴェンスカン | 29 | 10 | - | 0 | 0 | 29 | 10 | ||
2011 | 29 | 6 | - | 0 | 0 | 29 | 6 | ||||
2012 | ユールゴーデン | 14 | 3 | - | 0 | 0 | 14 | 3 | |||
ノルウェー | リーグ戦 | リーグ杯 | ノルウェー杯 | 期間通算 | |||||||
2012 | ソグナル | エリテセリエン | 13 | 2 | - | 0 | 0 | 13 | 2 | ||
2013 | 11 | 2 | - | 0 | 0 | 11 | 2 | ||||
スウェーデン | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2013 | オートヴィーダベリ | アルスヴェンスカン | 11 | 1 | - | 1 | 1 | 12 | 2 | ||
2014 | 27 | 15 | - | 3 | 4 | 30 | 19 | ||||
中国 | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2015 | 貴州人和 | 超級 | 27 | 11 | - | 3 | 3 | 30 | 14 | ||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2016 | C大阪 | 11 | J2 | 32 | 5 | - | 2 | 0 | 34 | 5 | |
2017 | J1 | 9 | 0 | 10 | 4 | 4 | 1 | 23 | 5 | ||
2018 | 岡山 | 16 | J2 | 15 | 0 | - | 1 | 0 | 16 | 0 | |
通算 | ブラジル | RJ州選手権 | |||||||||
スウェーデン | アルスヴェンスカン | 132 | 41 | - | 4 | 5 | 136 | 46 | |||
スウェーデン | スーペルエッタン | 40 | 19 | - | 0 | 0 | 40 | 19 | |||
ノルウェー | エリテセリエン | 24 | 4 | - | 0 | 0 | 24 | 4 | |||
中国 | 超級 | 27 | 11 | - | 3 | 3 | 30 | 14 | |||
日本 | J1 | 9 | 0 | 10 | 4 | 4 | 1 | 23 | 5 | ||
日本 | J2 | 47 | 5 | - | 3 | 0 | 50 | 5 | |||
総通算 | 279 | 80 | 10 | 4 | 14 | 9 | 303 | 93 |
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | 期間通算 | ||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||||||
日本 | リーグ戦 | 期間通算 | |||||||||
2017 | C大23 | 11 | J3 | 1 | 0 | 1 | 0 | ||||
通算 | 日本 | J3 | 1 | 0 | 1 | 0 | |||||
総通算 | 1 | 0 | 1 | 0 |
- Jリーグ初出場 - 2016年2月28日 J2第1節 FC町田ゼルビア戦(町田市立陸上競技場)
- 初得点 - 2016年4月9日 J2第7節 清水エスパルス戦(IAIスタジアム日本平)
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- カルマルFF
- スヴェンスカ・クッペン:1回(2007年)
- セレッソ大阪
脚注
[編集]- ^ a b c 『リカルド サントス選手加入のお知らせ』(プレスリリース)ファジアーノ岡山、2018年4月5日 。2018年4月5日閲覧。
- ^ “Officiellt: Ricardo Santos klar för Sogndal”. fotbolltransfers.com (1 August 2012). 8 September 2014閲覧。
- ^ 贵州人和宣布签约3名外援 at sports.sohu.com 2014-12-15 Retrieved 2014-12-15
- ^ リカルド サントス選手移籍加入のお知らせ, セレッソ大阪, (2015-1-14) 2016年1月14日閲覧。
- ^ 『契約更新について (松田選手、田中選手、ソウザ選手、柿谷選手、 リカルド サントス選手、丸橋選手、茂木選手)』(プレスリリース)セレッソ大阪、2018年1月14日 。2018年4月5日閲覧。
- ^ 『リカルド選手の負傷について』(プレスリリース)セレッソ大阪、2018年2月1日 。2018年4月5日閲覧。
- ^ 『リカルド サントス選手 チャイナートFCへ移籍のお知らせ』(プレスリリース)ファジアーノ岡山、2019年2月9日 。2019年2月10日閲覧。
- ^ エル・ゴラッソJリーグプレーヤーズガイド2017(スクアッド)p100
- ^ “Vizinho de Dedé e nome de cantor: Marrony, a nova promessa do Vasco” [Dedé's neighbor and singer's name: Marrony, the new prospect of Vasco] (ポルトガル語). Globo Esporte (28 April 2018). 24 April 2019閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- リカルド・エンリケ・ダ・シルバ・ドス・サントス - Soccerway.com
- リカルド・エンリケ・ダ・シルバ・ドス・サントス - FootballDatabase.eu
- リカルド・エンリケ・ダ・シルバ・ドス・サントス - WorldFootball.net
- リカルド・エンリケ・ダ・シルバ・ドス・サントス - Transfermarkt.comによる選手データ
- リカルド・エンリケ・ダ・シルバ・ドス・サントス - J.League Data Siteによる選手データ
- Fotbolltransfers profile
- SvFF profile