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ラージャラージャ1世

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ラージャラージャ1世
இராஜராஜ சோழன்
ラージャラージャ1世
在位 985年ごろ - 1014年

全名 アルルモリ・ヴァルマン(出生名)
出生 c.947年
死去 1014年
子女 ラージェーンドラ1世
王朝 チョーラ朝
父親 バラーンタカ2世英語版
母親 Vanavanmahadevi
宗教 ヒンドゥー教
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ラージャラージャ1世(タミル語:இராஜராஜ சோழன் Irājarāja Cōḻaṉ)はチョーラ朝の王 (在位:985年ごろ–1014年)。彼の治世下では王朝が復権し、南インドやインド洋での覇権を握ることとなった[1][2]。出生名はアルルモリ・ヴァルマン(タミル語:அருண்மொழிவர்மன்)である[3][4][5]

概要

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彼はパーンディヤ朝チェーラ朝スリランカ北部を征服し、モルディブラクシャドウィープを手中に収めた。また、現在のカルナータカ州南部にあった西ガンガ朝英語版チャールキヤ朝との戦争によって、チョーラ朝の影響力がトゥンガバドラー川にまで及ぶようになった。インド東岸部でも現在のゴーダーヴァリ川下流域の領有争いでチャールキヤ朝との戦っている[6][7][8][9]

また、チョーラ朝の首都タンジャーヴールにはラージャラージェーシュヴァラ寺院英語版を建立した[10]。この寺院は、中世の南インドの建築様式において重要な寺院建築の一つとみなされている。また彼の治世下では、当時のタミル詩人アッパル英語版サンバンダール英語版スンダラール英語版の詩を集めたThirumurai英語版が編纂された[7][11]1000年には大規模な土地調査と土地評価を行い、国土をvalanadusと呼ばれる区画に再編した[12][13]。ラージャラージャ1世は1014年に没し、息子のラージェーンドラ1世が王位を継承した。

脚注

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  1. ^ Charles Hubert Biddulph (1964). Coins of the Cholas. Numismatic Society of India. p. 34. https://books.google.com/books?id=iqHRAAAAMAAJ 
  2. ^ John Man (1999). Atlas of the year 1000. Harvard University Press. p. 104. https://archive.org/details/atlasofyear10000000manj 
  3. ^ Vidya Dehejia 1990, p. 51.
  4. ^ K. A. N. Sastri 1992, p. 1.
  5. ^ A. K. Seshadri 1998, p. 31.
  6. ^ Sen, Sailendra (2013). A Textbook of Medieval Indian History. Primus Books. pp. 46–49. ISBN 978-9-38060-734-4 
  7. ^ a b A Journey through India's Past by Chandra Mauli Mani p.51
  8. ^ Columbia Chronologies of Asian History and Culture by John Bowman p.264
  9. ^ M. G. S. Narayanan 2013, p. 115-117.
  10. ^ The Hindus: An Alternative History by Wendy Doniger p.347
  11. ^ Indian Thought: A Critical Survey by K. Damodaran p.246
  12. ^ A History of Ancient and Early Medieval India: From the Stone Age to the 12th century by Upinder Singh p.590
  13. ^ Administrative System in India: Vedic Age to 1947 by U. B. Singh p.76
先代
ウッタマ・チョーラ英語版
チョーラ朝の君主
985年頃 - 1014年
次代
ラージェーンドラ1世