ラ・トゥール・ドーヴェルニュ家
ラ・トゥール・ドーヴェルニュ家(Maison de La Tour d'Auvergne)は、フランスの上級貴族の家系。テュレンヌ大元帥を出した一門として知られる。テュレンヌ子爵領、オーヴェルニュ伯爵領およびブローニュ伯爵領、後にはブイヨン公爵領およびスダン公領を獲得した。ブイヨンとスダンの両公国は独仏国境にある独立国家であり、同家は独立君主の地位を根拠として、フランス貴族(王族を除く)の序列の最高位にあたるプランス・エトランジェ(他国の諸侯)の身分を与えられた。
歴史
[編集]ラ・トゥール家はオーヴェルニュ地方のラ・トゥール(現ピュイ=ド=ドーム県)の所領を営む領主だった。ラ・トゥール領主ベルトラン1世が、1206年に史料に初めて登場する。その曾孫ベルトラン2世(1296年没)は1275年にオリエルグの領主の跡取り娘と結婚し、これを機にラ・トゥール家は2つの系統に分裂する。ベルトラン2世夫婦の長子の家系(兄脈)が父方のラ・トゥールを相続し、次子の家系(弟脈)が母方のオリエルグを受け継いだ。
兄脈は、ベルトラン4世が1389年にオーヴェルニュ伯家の娘マリーと結婚したことが機縁となり、1437年にオーヴェルニュ伯領およびブローニュ伯領を獲得した。この系統は1524年、女伯アンヌの死去により断絶した。2つの伯領はアンヌの姪にあたるカトリーヌ・ド・メディシスに相続された。
弟脈は兄脈以上の出世を果たした。アニュ4世(1489年没)は1444年、富裕な女子相続人アンヌ・ド・ボーフォールとの結婚によりボーフォール伯爵領およびテュレンヌ子爵領を獲得した。アンヌの実家ロジェ・ド・ボーフォール家は2人の教皇クレメンス6世およびグレゴリウス11世を出した名門だった。
アニュ4世の玄孫アンリは、1591年にブイヨン女公およびスダン女公シャルロットと結婚し、1594年に妻が死ぬと2つの公領を継承した。アンリはオラニエ公ウィレム1世(沈黙公)の娘エリザベートと再婚して後継ぎを儲け、新しいブイヨン公爵家を創始した。アンリの同名の次男はテュレンヌ大元帥となった。この家系は1802年に断絶し、ラ・トゥール・ドーヴェルニュ家の正嫡は絶えた。
系図
[編集]オーヴェルニュ伯家
[編集]オーヴェルニュ家 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ベルトラン4世 ラ・トゥール領主 | マリー1世 オーヴェルニュ女伯 ブローニュ女伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ベルトラン5世 (-1461) オーヴェルニュ伯 ブローニュ伯 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ルイーズ (ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユ娘) | ベルトラン6世 (1417-1497) オーヴェルニュ伯 ブローニュ伯 | ガブリエル | ルイ1世 モンパンシエ伯 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャンヌ (ヴァンドーム伯ジャン8世娘) | ジャン4世 オーヴェルニュ伯 ブローニュ伯 | アンヌ | アレグザンダー オールバニ公 | ジャンヌ | アイマール・ド・ポワチエ サン・ヴァリエ領主 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マドレーヌ | ロレンツォ2世 ウルビーノ公 | アンヌ オーヴェルニュ女伯 | ジョン・ステュアート オールバニ公 | ジャン・ド・ポワチエ サン・ヴァリエ領主 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
カトリーヌ・ド・メディシス | アンリ2世 フランス王 | ディアーヌ・ド・ポワチエ | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ブイヨン公家
[編集]アニュ4世 (1425-1489) オリエルグ領主 | アンヌ ボーフォール女伯 テュレンヌ子爵 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マルク家 | ラ・トレモイユ家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アンリ=ロベール・ド・ラ・マルク ブイヨン公 スダン公 | フランソワ3世 テュレンヌ子爵 | アリエノール (アンヌ・ド・モンモランシー娘) | ジャンヌ | ルイ3世・ド・ラ・トレモイユ トゥアール公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
シャルロット ブイヨン女公 スダン女公 | アンリ (1555-1623) テュレンヌ子爵 ブイヨン公 スダン公 | エリーザベト・フランドリカ (オラニエ公ウィレム1世娘) | シャルロッテ・ブラバンティナ | クロード トゥアール公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マリー (1601-1665) =トゥアール公アンリ3世・ド・ラ・トレモイユ | フレデリック・モーリス (1605-1652) ブイヨン公 スダン公 | アンリ (1611-1675) テュレンヌ子爵 フランス元帥 | アンリ3世 トゥアール公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マリア・アンナ・マンチーニ | ゴドフロワ・モーリス (1641-1721) ブイヨン公 | フレデリック=モーリス (1642-1707) オーヴェルニュ伯 | エマニュエル=テオドーズ (1643-1715) ブイヨン枢機卿 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マリー=アルマンド (トゥアール公シャルル・ベルジーク・ド・ラ・トレモイユ娘) | エマニュエル・テオドーズ (1668-1730) ブイヨン公 | ルイ=アンリ (1679-1753) エヴルー伯 | エリザベート=エレオノール (1665-1746) トリニー=シュル=ヴィル女子修道院長 | アンリ (1671-1747) オーヴェルニュ枢機卿 | フランソワ・エゴン オーヴェルニュ公 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
アルマンド (1697-1717) =ムラン公ルイ | フレデリック・モーリス (1702-1723) | マリー=シャルロット (ヤクプ・ルドヴィク・ソビェスキ娘) | シャルル・ゴドフロワ (1706-1771) ブイヨン公 | マリー・アンリエット =プファルツ=ズルツバッハ公ヨハン・クリスティアン | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
マリー=ルイーズ =ゲメネ公ジュール・ド・ロアン | ゴドフロワ (1728-1792) ブイヨン公 | ルイーズ (マルサン伯シャルル・ルイ・ド・ロレーヌ娘) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ジャック (1746-1802) ブイヨン公 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
参考文献
[編集]- Detlev Schwennicke: Europäische Stammtafeln Band X (1986) Tafel 94ff
外部リンク
[編集]ウィキメディア・コモンズには、ラ・トゥール・ドーヴェルニュ家に関するメディアがあります。