ゴドフロワ・シャルル・アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ
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ゴドフロワ・シャルル・アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ Godefroy-Charles-Henri de La Tour d'Auvergne | |
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ブイヨン公 | |
ブイヨン公ゴドフロワ、ジャン=フランソワ・コルソン画、1775年 | |
在位 | 1771年 - 1792年 |
出生 |
1728年1月26日 フランス王国、パリ |
死去 |
1792年12月3日(64歳没) フランス王国、エヴルー、ナヴァール城 |
配偶者 | ルイーズ=アンリエット=ガブリエル・ド・ロレーヌ |
マリー・フランソワーズ・アンリエット・ド・バナストル | |
子女 |
ジャック・レオポール・シャルル・ゴドフロワ シャルル・ルイ・ゴドフロワ ルイ・アンリ |
家名 | ラ・トゥール・ドーヴェルニュ家 |
父親 | ブイヨン公シャルル・ゴドフロワ |
母親 | マリー・シャルロット・ソビェスカ |
ゴドフロワ・シャルル・アンリ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ(Godefroy-Charles-Henri de La Tour d'Auvergne, 1728年1月26日 パリ - 1792年12月3日 ナヴァール城、エヴルー)は、ブルボン朝末期フランスの貴族・廷臣。ブイヨン公爵。1747年から1775年までの長きにわたり、フランス王室侍従長の職にあった。
生涯
[編集]ブイヨン公シャルル・ゴドフロワとマリー・シャルロット・ソビェスカの間の長男。1743年11月27日、マルサン伯シャルル=ルイの娘ルイーズ=アンリエット=ガブリエル・ド・ロレーヌと結婚。最初の妻と死別後、マリー・フランソワーズ・アンリエット・ド・バナストル(1775年 - 1816年)と再婚している。
七年戦争に従軍して戦功を立て、1748年陸軍少将に昇進。1775年ルイ16世のランスでの戴冠式には王室侍従長として参加した[1]。素行は芳しくなく、オペラ歌手の愛人に入れ込んで3か月で100万リーヴル近くを濫費し、家産を傾けた。1775年侍従長を辞職した際、後任には息子ではなく甥のゲメネ公アンリが選ばれたが、これはゲメネ公が王妃マリー・アントワネットのお気に入りだったためである[2]。1777年、王立彫刻・絵画アカデミー総裁に任命された。
子女
[編集]最初の妻との間に4子があった。
- ジャック・レオポール・シャルル・ゴドフロワ(1746年 - 1802年) - ブイヨン公
- シャルル・ルイ・ゴドフロワ(1749年 - 1767年) - オーヴェルニュ公
- ルイ・アンリ(1753年) - アルブレ公
- 女児(1756年、死産)
引用・脚注
[編集]- ^ ジャン=クリスチャン・プティフィス著、小倉孝誠監修『ルイ十六世(上)』中央公論新社、2008年、P245.
- ^ アントニア・フレイザー著、野中邦子訳『マリー・アントワネット(上)』早川書房、2006年、P402。
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