コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ラ・セル=サン=クルー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
La Celle-Saint-Cloud

行政
フランスの旗 フランス
地域圏 (Région) イル・ド・フランス地域圏
(département) イヴリーヌ県
(arrondissement) サン=ジェルマン=アン=レー郡
小郡 (canton) 小郡庁所在地
INSEEコード 78126
郵便番号 78170
市長任期 オリヴィエ・ドゥラポルト
2008年-2014年
自治体間連合 (fr) fr:Communauté de communes des Coteaux de Seine
人口動態
人口 20 870人
2008年[1]
人口密度 3 586人/km2
住民の呼称 Cellois
地理
座標 北緯48度50分28秒 東経2度08分04秒 / 北緯48.8411度 東経2.1344度 / 48.8411; 2.1344座標: 北緯48度50分28秒 東経2度08分04秒 / 北緯48.8411度 東経2.1344度 / 48.8411; 2.1344
標高 最低:75 m
最高:176 m
面積 5.82km2 (752ha)
La Celle-Saint-Cloudの位置(フランス内)
La Celle-Saint-Cloud
La Celle-Saint-Cloud
公式サイト www.lacellesaintcloud.fr
テンプレートを表示

ラ・セル=サン=クルーLa Celle-Saint-Cloud)は、フランスイル=ド=フランス地域圏イヴリーヌ県コミューンパリ16区ポルト・ドートゥイユから12km離れている。

地理

[編集]

ラ・セル=サン=クルー市街は、南のヴェルサイユ平野を背後にしたドリオーヌ谷に主にある。サン=ジェルマン=アン=レーの南東約8マイル、ヴェルサイユの北約6マイルに位置する。

市街は東部にあるエリゼ2(1963年完成の大規模集合住宅)や、南のボールガール地区のような建築群で高度に都市化されている。しかし南部と西部には広域な森林が保存されている。

歴史

[編集]

ラ・セルの名が最初に現れるのは697年、サン=ジェルマン=デ=プレ修道院の死亡記事においてで、村の名はCella fratrumとされていた。7世紀以降、村は上記の修道院の領地であった。846年にはヴァイキングが村を襲撃した。

1683年、ジャン=バティスト・コルベールは、ヴェルサイユに面した荘園をサン=ジェルマン=デ=プレ修道院から購入し王家の狩猟地を広げるためラ・セルの村を買った。

人口が急増したのは、第二次世界大戦後の復興期からである。

1955年11月6日、当時の首相アントワーヌ・ピネーは、亡命していたモロッコスルタンムハンマド(のちのモロッコ王ムハンマド5世)とラ・セル=サン=クルーにて協定を結んだ。協定の内容には、ムハンマドの叔父ムハンマド・イブン・アラファから実権を取り戻し帰国することが盛り込まれていた。この協定はモロッコ独立に向けた通過地点ともなった。

交通

[編集]

建築物

[編集]
画像をクリックして拡大

姉妹都市

[編集]

出身者

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ Populations légales 2008 de la commune : La Celle-Saint-Cloud sur le site de l'Insee
  2. ^ Béatrice Gurrey (2018年9月27日). “Jérôme Solal-Céligny, l’inconnu de la rédaction de la Constitution de 1958”. Le Monde(ル・モンド). 2022年12月21日閲覧。.