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ランチア・ラリー037

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ランチア・ラリー037Lancia Rally 037 )は、イタリアランチアが製造したラリーカーベータ・モンテカルロをベースにアバルトが開発を担当し、ランチアブランドで1982年世界ラリー選手権(WRC)に投入された。

正式な車名は単に「ランチア・ラリー」であるが、一般にはプロジェクトを指揮し、エンジン開発を担当したアバルトの開発コード「SE037」から「037ラリー」、もしくは「ラリー037」と呼ばれる[1]

四輪駆動(4WD)のラリーカーが時代の趨勢となる中で、ミッドシップエンジン・リアドライブ(MR)方式では最後のタイトル獲得車となった。

開発の経緯

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ランチアは、当時フルタイム4WDの舗装路での優位性がまだ確立されていなかったことと、開発期間の短縮、ストラトスで培った技術の応用、整備性の良さなどから、MRレイアウトを採用した。

当時、ランチアには4WDを開発するだけの余力がなく、将来必要になる4WDの技術取得にも時間がかかることから、「グループB初年(1983年)は後輪駆動で参戦し、グラベルでは手堅くポイントを挙げつつターマックイベントでは必ず勝利し、上位を独占する」という戦略で臨んだとされる。ラリー037の開発ではストラトスの長所を生かしつつ、同車の欠点を可能な限りつぶすこと(ホイールベースの延長、エンジン出力特性の最適化等)に注力された。

ストラダーレ

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ランチア・ラリー
ラリー037 ストラダーレ
概要
デザイン ピニンファリーナ
ボディ
乗車定員 2名
ボディタイプ 2ドア クーペ
駆動方式 MR
パワートレイン
エンジン 1,995 cc 縦置き 直列4気筒 DOHC スーパーチャージャー
最高出力 205 PS
ダブルウィッシュボーン
ダブルウィッシュボーン
車両寸法
ホイールベース 2,440 mm
全長 3,915 mm
全幅 1,850 mm
全高 1,245 mm
車両重量 1,170 kg
系譜
先代 ランチア・ストラトス
後継 ランチア・デルタS4
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型式名はZLA151ARO。ベースとなったベータ・モンテカルロ(型式ZLA137ASO)が、元々はフィアットによる低価格帯ミッドシップスポーツクーペのひとつ(X1/20)として計画されていたため、本車種の型式もランチアの800番台ではなくフィアットの100番台が与えられている。

シャシの設計はジャンパオロ・ダラーラが担当し、生産もダラーラで行われた。キャビン部分のモノコックをベータ・モンテカルロから流用し、その前後にクロムモリブデン鋼鋼管(チューブラー)を多用したトラス構造のスペースフレームを組み合わせている。

エンジンは、フェラーリのF1エンジン設計主任だったアウレリオ・ランプレディが設計し、1960年代のデビュー以来フィアットの主流となっていたDOHCユニットであり、フィアット・124・アバルトラリーフィアット・131・アバルトラリーを経て熟成が進められてきた「ランプレディ・ユニット」をベースにアバルトが開発した。ベータ・モンテカルロは同ユニットを横置きに搭載していたが、ランチア・ラリーでは運動性向上のために縦置きに変更され、出力向上のために131で経験のあるアバルトが開発したルーツ式スーパーチャージャー(ヴォルメトリコ)が組み合わせられている。

ランチアにおける過給エンジンは、グループ5英語版レーシングカーのストラトス・ターボやベータ・モンテカルロ・ターボで経験があったものの、高過給ターボエンジンの急激に立ち上がるトルク特性はラリーに向いていないとの判断から、ターボではなくスーパーチャージャーが選択された。

ボディデザインはベータ・モンテカルロ同様ピニンファリーナが担当し、ラリー目的に開発された車としては異例の流麗なデザインを持っている。

ストラダーレはコンペティツィオーネに改造された分を含め、全部で200台が製造されたものとされる。日本では当時のインポーターであるガレーヂ伊太利屋によってごく少数が輸入された。当時の車両本体価格は980万円。

コンペティツィオーネ

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ランチア・ラリー
ラリー037 コンペティツィオーネ
概要
デザイン ピニンファリーナ
ボディ
乗車定員 2名
ボディタイプ 2ドア クーペ
駆動方式 MR
パワートレイン
エンジン 1,995 cc (第1世代)、 2,111 cc(第2世代) 縦置き 直列4気筒 DOHC スーパーチャージャー
最高出力 325 PS
ダブルウィッシュボーン
ダブルウィッシュボーン
車両寸法
ホイールベース 2,440 mm
全長 3,890 mm
全幅 1,850 mm
全高 1,240 mm
車両重量 960 kg
系譜
先代 ランチア・ストラトス
後継 ランチア・デルタS4
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グループBで競われるWRCに出場するために、ストラダーレをレース専用車に改造したものが「コンペティツィオーネ」と呼ばれる(FISA英語版はエボリューションモデルと表現していた)。

WRCでのデビューは1982年の第5戦ツール・ド・コルスである。フルタイム4WDとターボエンジンで武装したアウディ・クワトロが台頭してきていた中、チェーザレ・フィオリオ率いるランチアは冬のラリー・モンテカルロのコースに塩を撒いたり、サンレモではスタート遅延を行うなど、レギュレーションの裏をかいた様々な手を駆使するとともに、ドライバーであるワルター・ロールの活躍も手伝い、モンテカルロとコルシカ、ギリシアサンレモなどで勝利し、残り2戦を残して1983年にマニュファクチャラーズタイトルを獲得した。

次期マシンとなるデルタS4の開発が遅れたこともあって、ラリー037は1985年まで現役参戦したが、グループBはすでに限界を超えた危険な領域に踏み込みつつあり、ランチアも同年のツール・ド・コルスでアッティリオ・ベッテガが死亡する事故を起こしてしまった。

デルタS4開発遅延に伴う延命のため、シャシとボディの一部にカーボンチタンなどを多用して軽量化を図った第2世代のエボリューションモデルが20台作られた。エンジンは排気量を2,111ccまで拡大し、大容量のスーパーチャージャーを使用して出力の向上を狙った。

1985年のサンレモ・ラリーを最後にワークスマシンとしての座をデルタS4に譲り、その後はプライベーターの手によって主にヨーロッパのラリーシーンを中心に活躍した。日本では1994年の全日本GT選手権(JGTC)第3戦富士スピードウェイに、レギュレーションに適合させたマシンがスポット参戦し、完走を果たした[2]

影響

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ラリー037はその登場後、いくつかのミッドシップレイアウト・スポーツカーの開発に影響を与えた。1987年に発表・販売されたフェラーリ・F40にはその構造やセッティングに痕跡が見られ、ホンダ・NSXの開発責任者を務めた上原繁は後のテレビ番組のインタビューの中で「NSXの開発で最も参考にし、また影響された車は(販売戦略上の目標であったフェラーリ・328ではなく)ランチア・ラリーであった」ことに言及している。

脚注

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  1. ^ 80年代輸入車のすべて- 魅惑の先鋭 輸入車の大攻勢時代. 三栄書房. (2013). pp. 67. ISBN 9784779617232 
  2. ^ JGTC.net | 1994 Round3”. supergt.net. 2023年10月13日閲覧。

参考文献

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  • 『RALLY CARS Vol.7 LANCIA RALLY 037』三栄書房〈サンエイムック〉、2015年

関連項目

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