ランカ・タミル連邦党
ランカ・タミル連邦党 இலங்கைத் தமிழரசுக் கட்சி ඉලංගෙයි තමිළ් අරසු කච්චි Federal Party | |
---|---|
党首 | Mavai Senathirajah MP |
総裁 | Mavai Senathirajah MP |
創立者 |
S・J・V・チェルヴァナヤカム C・ヴァニアシンガム E・M・V・ナガナタン |
Senior Vice Presidents |
P. Selvarasa MP, Prof. S. Sittampalam |
Deputy General Secretary | K. Thurairetnasingam |
Treasurer | S. Thiyagarajah |
創立 | 1949年12月18日 |
分離元 | 全セイロン・タミル会議 |
本部所在地 | 北部州ジャフナ |
政治的思想 | タミル民族主義 |
国内連携 | タミル国民連合 |
国会 |
10 / 225 |
シンボル | |
House | |
党旗 | |
スリランカの政治 スリランカの政党一覧 スリランカの選挙 |
ランカ・タミル連邦党(ランカ・タミルれんぽうとう, タミル語: இலங்கைத் தமிழரசுக் கட்சி, シンハラ語: ඉලංගෙයි තමිළ් අරසු කච්චි, 略称:ITAK)は、スリランカ・タミル民族主義を掲げるスリランカの政党。1949年に全セイロン・タミル会議(ACTC)から分離する形で設立され、その後1972年に再びACTCと合併してタミル統一戦線(後のタミル統一解放戦線、TULF)を結成した。その後はTULFの一部として活動していたが、2004年にTULFと分離し再び独立した政党として活動を再開した[1]。
沿革
[編集]連邦党
[編集]1949年、S・J・V・チェルヴァナヤカム、C・ヴァニアシンガム、E・M・V・ナガナタンという3名のセイロン・タミルによって結成された。彼らは所属していた全セイロン・タミル会議(ACTC)が統一国民党との連立政権に参加するという決定に反発し、自分たちで新しい政党を立ち上げた[2]。この政党はかつて英語で連邦党(FP)と呼称されていた[3][4]。
その後ソロモン・バンダラナイケ率いるスリランカ自由党が政権を担い、シンハラ民族主義が強まるにつれ、スリランカ・タミルの声は連邦党に集約されるようになっていった[5]。国内の民族間・政党間の対立が強まった結果、少数民族の代表政党だった3政党(FP、ACTC、CWC)によりタミル統一戦線(TUF)が1972年に結成された。その後同政党は1976年に名称をタミル統一解放戦線(TULF)に変更し、タミル人による独立国家「タミル・イーラム」の樹立を主張するようになる。
その後1977年総選挙ではタミル民族主義政党として首位に立ち、北部・頭部を中心に18議席を獲得した[6]。その後タミル民族主義が暴力化し、内戦が勃発して以降もTULFはあくまで穏健派の中心だった。しかし、結果としてシンハラ、タミル双方の過激派の標的となり、数多くの指導者が暗殺された。
タミル国民連合
[編集]2001年、タミル統一解放戦線(TULF)は他の穏健派タミル人政党らと共にタミル国民連合(TNA)を結成し、同年実施された総選挙で15議席を獲得した[7]。その後TNAはよりタミル・タイガー寄りの主張をし、タミル・タイガーこそがスリランカ・タミルを代表する唯一の組織であると見なすようになった。しかしTULF内にはV・アナンダサンガレをはじめとするタミル・タイガーに反発する政治家もいたため、この主張によりTULFが分裂することとなった。その結果、TULF党首のアナンダサンガレは2004年選挙においてTNAがTULFの名称を使用することを禁じた[8]。そしてTNAの議員たちがランカ・タミル連邦党(ITAK)の名称を使用することを望み、これ以降TNAはITAKのシンボルを使って選挙戦を戦うこととなった。
選挙結果
[編集]議会選挙
[編集]年 | 獲得議席 | 増減 | 結果 |
---|---|---|---|
1952年 | 2 / 95 |
0 | 野党 |
1956年 | 10 / 95 |
8 | 野党 |
1960年3月 | 15 / 151 |
5 | 野党 |
1960年7月 | 16 / 151 |
1 | 野党 |
1965年 | 14 / 151 |
2 | 野党 |
1970年 | 13 / 151 |
1 | 野党 |
1977年 | 18 / 168 |
5 | 野党 |
1989年 | 10 / 225 |
8 | 野党 |
1994年 | 5 / 225 |
5 | 野党 |
2000年 | 5 / 225 |
0 | 野党 |
2001年 | 15 / 225 |
10 | 野党 |
2004年 | 22 / 225 |
7 | 野党 |
2010年 | 14 / 225 |
8 | 野党 |
脚注
[編集]- ^ “TNA submits nomination lists for NE electoral districts”. TamilNet. (23 February 2004) 28 February 2010閲覧。
- ^ Sri Lankan Tamil Nationalism by A. Jeyaratnam Wilson. Published by C. Hurst & Co. Publishers, 2000
- ^ Peebles, Patrick (2006). The History of Sri Lanka. Greenwood Press. pp. 100–101. ISBN 0-313-33205-3
- ^ Jeyaraj, D. B. S. (31 July 2015). “Political Role of Federal Party (ITAK) in Unmaking and Making Govts in 1960”. The Daily Mirror
- ^ Wilson, A.J. (1994). S. J. V. Chelvanayagam and the Crisis of Sri Lankan Nationalism 1947-1977. London: Hurst & Co. pp. 140 ff. ISBN 0-8248-1608-0
- ^ DBS Jeyaraj. “TULF leader passes away”. Hindu News. 2009年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月4日閲覧。
- ^ “PARLIAMENTARY GENERAL ELECTION - 2001 ALL ISLAND RESULT Composition of Parliament”. Department of Elections, Sri Lanka. 26 August 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。28 February 2010閲覧。
- ^ “Objection against TNA using HOUSE symbol rejected”. TamilNet. (28 February 2004) 28 February 2010閲覧。