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ランカ・タミル連邦党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ランカ・タミル連邦党
இலங்கைத் தமிழரசுக் கட்சி
ඉලංගෙයි තමිළ් අරසු කච්චි
Federal Party
党首 Mavai Senathirajah MP
総裁 Mavai Senathirajah MP
創立者 S・J・V・チェルヴァナヤカム
C・ヴァニアシンガム
E・M・V・ナガナタン
Senior Vice Presidents P. Selvarasa MP,
Prof. S. Sittampalam
Deputy General Secretary K. Thurairetnasingam
Treasurer S. Thiyagarajah
創立 1949年12月18日 (1949-12-18)
分離元 全セイロン・タミル会議
本部所在地 北部州ジャフナ
政治的思想 タミル民族主義
国内連携 タミル国民連合
国会
10 / 225
シンボル
House
党旗
スリランカの政治
スリランカの政党一覧
スリランカの選挙

ランカ・タミル連邦党(ランカ・タミルれんぽうとう, タミル語: இலங்கைத் தமிழரசுக் கட்சி, シンハラ語: ඉලංගෙයි තමිළ් අරසු කච්චි, 略称:ITAK)は、スリランカ・タミル民族主義を掲げるスリランカ政党1949年全セイロン・タミル会議(ACTC)から分離する形で設立され、その後1972年に再びACTCと合併してタミル統一戦線(後のタミル統一解放戦線、TULF)を結成した。その後はTULFの一部として活動していたが、2004年にTULFと分離し再び独立した政党として活動を再開した[1]

沿革

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連邦党

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1949年、S・J・V・チェルヴァナヤカム、C・ヴァニアシンガム、E・M・V・ナガナタンという3名のセイロン・タミルによって結成された。彼らは所属していた全セイロン・タミル会議(ACTC)が統一国民党との連立政権に参加するという決定に反発し、自分たちで新しい政党を立ち上げた[2]。この政党はかつて英語で連邦党(FP)と呼称されていた[3][4]

その後ソロモン・バンダラナイケ率いるスリランカ自由党が政権を担い、シンハラ民族主義が強まるにつれ、スリランカ・タミルの声は連邦党に集約されるようになっていった[5]。国内の民族間・政党間の対立が強まった結果、少数民族の代表政党だった3政党(FP、ACTC、CWC)によりタミル統一戦線(TUF)が1972年に結成された。その後同政党は1976年に名称をタミル統一解放戦線(TULF)に変更し、タミル人による独立国家「タミル・イーラム」の樹立を主張するようになる。

その後1977年総選挙ではタミル民族主義政党として首位に立ち、北部・頭部を中心に18議席を獲得した[6]。その後タミル民族主義が暴力化し、内戦が勃発して以降もTULFはあくまで穏健派の中心だった。しかし、結果としてシンハラ、タミル双方の過激派の標的となり、数多くの指導者が暗殺された。

タミル国民連合

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2001年タミル統一解放戦線(TULF)は他の穏健派タミル人政党らと共にタミル国民連合(TNA)を結成し、同年実施された総選挙で15議席を獲得した[7]。その後TNAはよりタミル・タイガー寄りの主張をし、タミル・タイガーこそがスリランカ・タミルを代表する唯一の組織であると見なすようになった。しかしTULF内にはV・アナンダサンガレをはじめとするタミル・タイガーに反発する政治家もいたため、この主張によりTULFが分裂することとなった。その結果、TULF党首のアナンダサンガレは2004年選挙においてTNAがTULFの名称を使用することを禁じた[8]。そしてTNAの議員たちがランカ・タミル連邦党(ITAK)の名称を使用することを望み、これ以降TNAはITAKのシンボルを使って選挙戦を戦うこととなった。

選挙結果

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議会選挙

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獲得議席 増減 結果
1952年
2 / 95
増減なし 0 野党
1956年
10 / 95
増加 8 野党
1960年3月
15 / 151
増加 5 野党
1960年7月
16 / 151
増加 1 野党
1965年
14 / 151
減少 2 野党
1970年
13 / 151
減少 1 野党
1977年
18 / 168
増加 5 野党
1989年
10 / 225
減少 8 野党
1994年
5 / 225
減少 5 野党
2000年
5 / 225
増減なし 0 野党
2001年
15 / 225
増加 10 野党
2004年
22 / 225
増加 7 野党
2010年
14 / 225
減少 8 野党


脚注

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  1. ^ “TNA submits nomination lists for NE electoral districts”. TamilNet. (23 February 2004). http://www.tamilnet.com/art.html?catid=13&artid=11296 28 February 2010閲覧。 
  2. ^ Sri Lankan Tamil Nationalism by A. Jeyaratnam Wilson. Published by C. Hurst & Co. Publishers, 2000
  3. ^ Peebles, Patrick (2006). The History of Sri Lanka. Greenwood Press. pp. 100–101. ISBN 0-313-33205-3. https://books.google.com/books?id=SxO0eISluqEC 
  4. ^ Jeyaraj, D. B. S. (31 July 2015). “Political Role of Federal Party (ITAK) in Unmaking and Making Govts in 1960”. The Daily Mirror. http://www.dailymirror.lk/81793/political-role-of-federal-party-itak-in-unmaking-and-making-govts-in-1960 
  5. ^ Wilson, A.J. (1994). S. J. V. Chelvanayagam and the Crisis of Sri Lankan Nationalism 1947-1977. London: Hurst & Co. pp. 140 ff. ISBN 0-8248-1608-0 
  6. ^ DBS Jeyaraj. “TULF leader passes away”. Hindu News. 2009年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月4日閲覧。
  7. ^ PARLIAMENTARY GENERAL ELECTION - 2001 ALL ISLAND RESULT Composition of Parliament”. Department of Elections, Sri Lanka. 26 August 2010時点のオリジナルよりアーカイブ。28 February 2010閲覧。
  8. ^ “Objection against TNA using HOUSE symbol rejected”. TamilNet. (28 February 2004). http://www.tamilnet.com/art.html?catid=13&artid=11340 28 February 2010閲覧。