ラルフ・エリーザー・ホワイトサイド・アール
ラルフ・エリーザー・ホワイトサイド・アール(Ralph Eleaser Whiteside Earl、 1785年ころから1788年ころまでの生まれ、1838年9月16日没)はアメリカ合衆国の画家である。第7代アメリカ合衆国大統領、アンドリュー・ジャクソンの「宮廷画家」と呼ばれた肖像画家である[1][2]。
略歴
[編集]父親は肖像画家のラルフ・アールで、父親は独立戦争の時に王党派に属し、1778年に妻子を置いてイギリスに亡命し、イギリス人女性と再婚した人物である。父親夫妻は1785年かその翌年にアメリカに帰国しており、ラルフ・E・W・アールは帰国後、ニューヨークで生まれたと推定されている。父親から絵を学んだ。ラルフ・E・W・アールの初期の肖像画は素朴派に近い、父親のスタイルを残している。
1809年にロンドンに渡り、1年半、アメリカ出身の画家、ジョン・トランブルに1年間学び、父親が指導を受けたベンジャミン・ウエストからもアドヴァイスを受けた。その後、1814年までイギリスに滞在し、母方の祖父の家や叔父の家にとどまり肖像画の仕事をした。パリに旅した後、1815年12月にアメリカに帰国した。
多くのアメリカの画家が歴史画の大作を描いており、アールも1812年から1815年までの米英戦争でアメリカが勝利した、ニューオーリンズの戦いを題材に描く野心を持ち、1817年にテネシーに指揮官だったアンドリュー・ジャクソンの家を訪ねた。ジャクソンと彼の家族の肖像画を描き、気に入られ、1819年にジャクソン夫人の姪と結婚することになった。妻は1920年の出産時に亡くなったが[3][1][2]、ジャクソンに好まれ、妻の死後もジャクソンの邸で暮らした。1829年にジャクソンがアメリカ大統領に当選すると、アールもホワイト・ハウスで活動し、多くの肖像画を描き、ジャクソンの「宮廷画家」と呼ばれることもあった[1][4] 。
ジャクソンが2期目の任期を終えると、ジャクソンと共にテネシーに戻り、1838年9月16日にジャクソンの邸宅「ザ・ハーミテージ」で亡くなった[1]。
作品
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アンドリュー・ジャクソン (1835)
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テネシー時代のジャクソン (1820年代)
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レイチェル・ジャクソン (1820年代)
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(1790)
参考文献
[編集]- ^ a b c d Aronson, Julie (1992). “Ralph E. W. Earl”. In Chotner, Deborah. American naive paintings. Washington Cambridge, England: National Gallery of Art Cambridge University Press. pp. 103–104. ISBN 0-521-44301-6
- ^ a b “Focus Works of Art: Andrew Jackson”. North Carolina Museum of Art. September 24, 2011閲覧。
- ^ “The First Tennessee Works of Fine Art by the Artist Who Was Close to Andrew Jackson Join the Colonial Williamsburg Collections”. ArtfixDaily. 2010年10月10日閲覧。
- ^ Dorris, Mary C. (1915). Preservation of the Hermitage, 1889–1915. Smith & Lamar. pp. 193–197