ラブ・シャケ
ラブ・シャケ(Rab shaqe、Rabshakeh、Rab-shakeh、アッカド語: Rabshaqe、ヘブライ語: רַבְשָׁקֵה、ラテン語: Rabsaces)は宮廷の高官で、古代メソポタミアの諸国、アッカド帝国やアッシリアやバビロニアの宮廷で「大臣」や「酌人の長」に相当する[1][2]。
第一次世界大戦中には、アッシリア人の軍の階級として用語が復活した[3]。
概略
[編集]Rab šaqēはアッシリア語で「酌人(酌取り)の長」を意味する[4]。もともとは宮廷の役人だったが、ラブシャケは王族の護衛隊長となった。時と共にさらなる軍事的な役割が付与されるようになった[4]。
考古学的証拠
[編集]アッシリア王ティグラト・ピレセル3世の建てた建物の碑文には、「私はティルスに我が臣下ラブシャケを送り、金150タラントを受け取った」とある[5]。
大英博物館に所蔵されている粘土板には別のアッシリア王、アッシュルバニパルが「私は我が軍勢に加わるようにとラブシャケやすべての総督や王たち(略)に命じた」とある[6]。
聖書の記述
[編集]旧約聖書では、アッシリア王セナケリブが、タルタンとラブサリスと一緒にエルサレムに派遣された、ヒゼキヤ王への使者の一人として言及されている[7]。彼が町の北側の壁の近くに立って、王の使者およびエルサレム市民にヘブライ語で降伏を勧告する演説は、列王記下18:27–37とイザヤ書36:2–20で引用されている。
この場面でラブ・シャケはアラム語で話すように求める使者に対して、
わたしの主君は、あなたの主君とあなたにだけでなく、城壁の上に座している人々にも、この言葉を告げるためにわたしをつかわしたのではないか。王下:18:27
と言っており、ヘブライ語が使えることが理由で選ばれたことが分かる[8]。ステファニー・ダリーはこれについて、ラブ・シャケの母親がアッシリア王に嫁したユダヤ人の王女だったからとしている。
脚注
[編集]- ^ 「酌人」は語源としては文字通り飲み物を注ぐ係であり、毒殺などの陰謀を警戒する意味では極めて重要な職務であり、古代(あるいはそれ以前)から多くの宮廷に見られた。en:Cup-bearer参照。
- ^ Oppenheim, A. Leo (1964). Reiner, Erica. ed. Ancient Mesopotamia: Portrait of a Dead Civilization. シカゴ大学出版局. ISBN 9780226631875
- ^ Deighton, Len (1933). en:Blood, Tears and Folly: An Objective Look at World War II. ジョナサン・ケープ. pp. 672. ISBN 006017000X. OCLC 29292722
- ^ a b Erasmus Gaß (2016-08-25) (ドイツ語). Im Strudel der assyrischen Krise (2. Könige 18-19): Ein Beispiel biblischer Geschichtsdeutung. Vandenhoeck & Ruprecht. p. 186. ISBN 9783788730734 2020年10月22日閲覧。
- ^ James B. Pritchard (2016-03-30) (英語). Ancient Near Eastern Texts Relating to the Old Testament with Supplement. Princeton Studies on the Near East (再版 ed.). Princeton University Press. p. 282. ISBN 9781400882762 2020年10月22日閲覧。
- ^ =James B. Pritchard. p. 296.
- ^ 王下:18:17
- ^ タルタンはアッシリア軍の最高指揮官で王の代理。ラブサリスは王の軍事面の補佐官としてタルタンの監督(監視)が職分に含まれる。つまり他の二人はもともとこの場にいる必然性がある。
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